沖縄県・竹富島
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台風が近づいてくるのを待ち、過ぎていくのを待ち、過ぎた後は、葉をなくした木々が再び繁茂するのを待つ。自分たちの手では動かしようのない自然の所作に対して、人々ができるのは備えて待つことのみだ。
しかし、2012年9月の台風17号の場合は、少しだけ特別だった。「十五夜祭(ジュンゴヤサイ)」を月末に控えていたからだ。
十五夜は、特に子孫繁栄を願う重要な祭りで、男たちがすべてを取り仕切る男の祭り。3つの集落のちょうど中心付近にある竹富小中学校のグラウンドに、集落ごとに趣向をこらした10m近くもある旗頭が集結するメインイベントがあるのだが、いつもちょうど台風シーズンにあたるので、中止になってしまうことがあるのだ。
そういうわけで、台風17号がフィリピン沖で発生したときから、人々はやきもきし始めた。台風はいつ来るのか、どのくらい大きいのか、どっちへ向いているのか、祭りはできるのか、一年に一度のことなのにできなかったら困る、男たちの願いが届けられないのは困る、子孫繁栄のためなのに、云々。
結局、17号は28日に最接近し、29日には八重山を抜けていた。その後、沖縄本島に甚大な被害をもたらしたが、幸い竹富島には人的被害はなく、木が丸裸になって空が広くなり、かえって見通しが良くなったくらいで、30日の十五夜祭は予定どおり開催されることになった。
絵に描いたような青空に、赤・青・黄の色鮮やかな旗頭がよく映えて、みんなの心も安堵して、晴れ晴れとして、そしてきっと頭上には神さまがいた。この日を迎えられたことがうれしくて喜ばしい。そのときはすべてがそれだけで結ばれていた。銅鑼と太鼓が鳴り響く中、人々が二手に分かれ、グラウンドの中心に向かってガーリを繰り返す。そこに渦巻いていた幸福のエネルギーは、陽気で力強くて温かくて、どんどん大きく膨らんでいくようだった。
なるほど、だから祭りが必要なのだ。しかもそれは、いつもと同じ場所で同じ形式で行われることが重要なのだ。みんなでこんなふうに喜びを共有できるなら、何があってもそのときは救われる。島人は、絶対にひとりぼっちで放っておかれることはない。
350人の人々はひとりひとり別々だから、島の未来はいつも流動的だ。島の外に出ていく者もあれば、外から入ってくる者もあるし、また次の台風が来襲すれば、今度は大変な被害があるかもしれない。確かな明日はない。でも、この日このひとときがこんなにも喜びで満たされたのなら、明日もいい一日になると信じて眠ることができる。それだけでも、生きていくにはじゅうぶんな豊かさかもしれない。