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和歌山県東牟婁郡那智勝浦町

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4 Keep making Natural vinegar 無添加の味を守る、酢の職人。

小坂晴次さん

熊野の木桶と名水が育んだ
世界に認められる「丸正」の酢。

暗い木造土間の醸造蔵に立ち並ぶ、
高さ2m・厚さ5cmの熊野杉の古木で作られた杉桶。
この蔵の主・小坂晴次さんは毎日ここへ足を踏み入れる前に、
神棚に手を合わせ、「法螺貝」を吹く。
修験道の聖地として知られる熊野の地で修験者たちに使われてきた
法螺貝のブオーという神秘的な低音が蔵内に大きく響き渡る。
精神を統一し、「生きている酢」と対話するための儀式だ。

和歌山県は古くから醤油や味噌など発酵食が広く食され、
老舗の蔵元が多く残ることで知られるが、
漁業の盛んな那智勝浦エリアでは家庭での酢の消費量が多く、
いくつもの酢醸造元があったという。
そんな歴史を持つこの土地で、
伝統的な古式醸造法を頑固に受け継ぎ、
こだわりの酢づくりを続けているのが「丸正酢醸造元」。
明治12年創業の老舗である。
3代目にあたる小坂さんは蔵元を継いで60年以上の大ベテラン。
「手づくりによる高品質の酢を少量生産・販売」を信念として、
現在では日本のみならず世界にその名を轟かせる醸造元の社長は
「これまで“これはもうやめる時が来た”と思ったことが
何度かありますよ」と快活に笑う。
創業以来の木桶が生み出す、香り高くまろやかなコクを持った酢。
その「本物の味」を守り続ける同社の歴史は苦難の連続だった。

その最初の危機がやってきたのは昭和40年代。
当時、短くても3か月はかかるはずの醸造が
8〜24時間で可能な速成醸造機が開発され、
大量生産が可能になった。
大手メーカーが低価格の商品を大々的に宣伝し、
スーパーを席巻し始めたことで、
県内に多くあった酢の醸造所は4分の1にまで減少。
丸正酢醸造元もまた廃業の危機を迎えた。
またこの頃、醸造に使われる容器もホーロー製のタンクが登場し、
より密閉性が高くメンテナンスの容易なものにとって変わっていった。
扱いが難しく、醸造中に約5%も蒸発してしまう木桶は、
経済効率の面から考えれば、これらの新容器には到底及ばなかった。
「廃業か、新容器導入かの決断を迫られた時、
私は実験をしてみました。同じ条件で3か月酢づくりを行なってみた。
すると、『酢の命』とも言える香りと味のコクが
明らかに違っていたんです」
小坂さんは導入をやめ、「本物の酢の味を守る」道を選んだ。
減り続けていた得意先を1軒ずつ回り、
その品質の違いを粘り強く話し続けた。
すると、半年ほどで減少に歯止めがかかり、
少しずつ業績が上向き始めたのだという。
小坂さんが今でも木桶での手づくりにこだわり続ける理由は、
そんな経験に裏打ちされている。

蔵内に並ぶ12の桶にはそれぞれ、
「双葉山」や「千代の富士」といった
相撲の歴代の大横綱の名前がつけられている。
相撲好きだった祖父が始めたもので、
「桶に対する愛着が沸く」とか。
発酵温度を保つための「こも」をかぶった桶のひとつひとつを回り、
環境に応じて変化する菌の微妙な状態を小坂さんは見つめる。
木桶とともに重要と考えているのが「水」だ。
名水として知られる那智山の伏流水である軟水は、
味にまろやかな深みを与える大事な素材。
江戸時代から続くとされる蔵内の井戸で、
小坂さんは毎朝、感謝の気持ちを込めて礼拝を行う。

昭和50年代中頃、
近隣のまちの人口減少と産業の衰退を見てとった小坂さんは、
「地元だけを相手にした商売は成り立たなくなる。
都市部で売れる商品を」と新たな商品の開発に取り組み、
デパートの物産展などを通じて徐々に全国にファンを増やしていった。
そんな中で、その広がりが海外にまで達するきっかけとなったのが、
自然食健康法「マクロビオテック」の提唱者として知られる
久司道夫さんとの出会いだった。
「久司先生が何度もウチへいらして、
酢づくりについてお話をしました。
その後、先生の推薦がありアメリカに出荷が始まったんです」
「丸正」の古式醸造による高品質の酢は、
海外のシェフや食にこだわる人々の間で
大きな支持を受けるようになった。
ヨーロッパを含めて15か国で売られるようになり、
「あまりにも注文が多く、
ドラム缶での出荷を求められたくらいでした。
しかし、木桶での生産には限界がある。
品質を守るため、限定生産にさせてもらいたいとお願いをしました」

効率や利益を追求するよりも、
本物の味を受け継ぎ、伝えていくことが優先。
数々の苦難を乗り越えながら頑固なまでに古来の製法を守り、
世界に認められた職人としての自負をのぞかせる。
「酢づくり65年はほんの入口」
と語る小坂さんの仕事に終わりはない。
仕込み中の木桶は絶対空のままにはしておかず、
完成すればすぐ仕込む。菌を少しでも弱体化をさせないためだという。
今日も明日も、ここ勝浦で130年間続く醸造元で
「うちだけにしかつくれない酢を」つくり続けていく、
と誇らしげに語る小坂さん。
「ただし、これ以上は会社は大きくはなりません。
私のようなおやじがやっている限りはね」