和歌山県東牟婁郡那智勝浦町
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親族で助けあい、受け継ぐ
勝浦の素朴な伊勢海老漁。
まぐろばかりがクローズアップされる勝浦のまちではあるが、
実は「裏名物」とも呼べるものがある。それは「伊勢海老」。
名前からすぐに三重県の伊勢市を連想するが、
その語源は「伊勢で獲れるから」という以外に
「磯(イソ)の近場にいるから」「威勢が良いように見えるから」
など諸説あり、新宮出身の作家・佐藤春夫は著作の中で
「伊勢神宮に奉仕する神職の人たちが熊野で獲れた海老を
京都にお土産に持って行ったことから
『伊勢海老』と呼ばれるに至った」という説を
紹介している。(出典『熊野路』)
事実、その漁獲高においても和歌山県は
千葉県・三重県と全国一を競うほどで、ここ那智勝浦も
また良質の伊勢海老が獲れる漁場があることで知られている。
早朝6時頃、那智勝浦北東部・小島町のひっそりとした港に
4、5人の男女が集まってくる。
彼らは伊勢海老漁の船を待っているのだ。
しばらくすると、沖から一隻の小さな漁船が現れて静かに停泊し、
船内からひとりの男性がひょっこりと顔を出した。
勝浦海老網組合の組合長も務める遠山浩正さん。
78歳にしてひとりで漁船を操る現役の伊勢海老漁師だ。
「小学生の頃から、祖父と父と一緒に
伊勢海老漁の手伝いをしてたねえ。大人になってからは
20年近くまぐろ漁船に乗ってたこともあったから、
伊勢海老漁の船には45年くらい乗っていることになるかなあ」
漁の方法は伝統的なもので、沖約1kmの岩礁の漁場に
前日の夕方までに「刺し網」と呼ばれる網を仕掛け、
夜の間に這い出してきた海老を絡ませて、
翌朝にそれを引き揚げるというもの。
「台風の後とか、シケの時は海水が濁ってよく獲れるんよ。
海老が多くいる岩場を探すのは長年の経験やね。
これはやっぱり競争やからね」と遠山さん。
この港では、引き揚げられた網に絡んだ海老を
ひとつひとつ手で取り外していく作業が行われる。
集まった人々はみな遠山さんの娘や兄弟などの家族や親戚。
細い糸でできた網のつくろいなど、
熟練の技術が世代間で受け継がれている。
「藻やゴミが網にたくさん絡んでしまった時なんかは、
親戚みんなに声をかけて協力して取ることもあるね」
遠山さんが船内から取り出した刺し網を受け取ると、
彼らは木竿にその網をかけ、それぞれ網に絡んだ伊勢海老を
慣れた手つきで丁寧に取り外していく。
姿造りなどで供されることの多い伊勢海老は、
その価値において姿形が重視されるため、
「角」と呼ばれる2本の触角や脚が破損しないよう、
慎重に取り扱われる。
「今日は少ないなあ」「これはなかなか大きいで」など
のんびりとした会話が交わされる中、
体長約20cm以上もある大きな伊勢海老が
次々と籠に放り込まれていく様子は何とも贅沢なもの。
「勝浦の伊勢海老は一番旨い。刺身もええし、
炭火で丸焼きにしてもええし、味噌汁にしてもええ。
どうやっても旨いわ」と遠山さんは胸を張る。
温暖な気候と黒潮に育まれた南紀の伊勢海老は、
引き締まったプリプリの肉厚な身と上品な甘みが特長。
勝浦の旅館や料亭ほか各所では、姿造りをはじめ
さまざまな伊勢海老料理が食べられる。
伊勢海老の出汁で作る「イセエビ汁」も人気があるそうだ。
伊勢海老漁は秋〜冬頃が最盛期で、
多い時は一回の漁で20kgほども獲れるという。
高級食材としてよく知られる派手な伊勢海老と、
のどかな勝浦の港で行われる素朴な漁の様子の対比は
どこか不思議な気もするが、
ここ勝浦では大昔から続く普遍的な風景だ。
ひっそりとした港で出会った、
土地に根づいた文化としての伊勢海老の姿。
その旨味にさらに味わいが増すというものだ。