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神奈川県横浜市寿町

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7 Epilogue 人を描くということ。

名前も知らない者同士がお互いに認め合える。
芸術の根っこもそこにあると思う。

田千依の50日間のドヤ滞在は、
これまで寿町に来たアーティストの最長活動記録となった。
滞在期間中は絵を描くだけでなく、
同時期に滞在制作していた水川千春とふたりでツアーも企画した。
週末限定・予約制で、まちめぐりとともに、
自分たちのドヤへ参加者を招待。
希望者にはドヤ一泊体験もしてもらった。
「初めて来た人は恐いって思うの。ツアーのとき、
みんなでセンターで昼ごはんを食べるんだけど、
初めて来た人はすごい速さで食べる。
おじさんにからまれたら恐いから。
私も最初のころは、みんなが恐がらないようにって
気を使っていたけど、そのうち、それはみんながそれぞれ
感じればいいことだから、まあいいや、と思うようになった」

寿町にいると、きっと誰もが社会全体のしくみを考えてしまう。
それは、持つ者が持たざる者に与えようというような話ではない。
むしろ、まちの力強さに圧倒されるのだ。
「寿は、自分がすごく守られて生きてきた存在だということが
よくわかる場所。いろいろ苦しんですべてを失って、
ただひとりになったとき、それでも自分は自分でいられるのか。
しんちゃんやスーさんが絶対的にすごいと思うのは、
彼らがそれを保ってる人たちだから。
私はアートにすがって生きていることを自覚してる。特に
絵を描き出す前は親にも心配される弱い人間だったと思う。
今後、たとえばもし自分の両腕がなくなって絵が描けなくなったら、
そのとき自分は起き上がれるだろうかと考えたとき、
それをやってのけた人たちが目の前にいる。
全然同じフィールドには居ない、私にはできないと思う。
そういう人になりたい。どうしようもなくても、
どうしようもないなりに、毎日笑って生きている人たち」

しんちゃんとスーさんの絵は、
ふたりに届くように、ふたりのためだけに描いた。
まるでラブレターを書いているような気持ちだった。
「伝わるかどうかドキドキしてた。
だけど伝わるんです。めちゃくちゃ。
それがすごかった。伝わったってわかるんです。
説明するのは難しいけど、確信が持てる」

しんちゃんは、
「チエとオレは縁があったんだよ、気が合った」と言う。
スーさんは、「チエちゃんのやさしさを感じてる」と言う。
ふたりはきっと、千依や他のアーティストたちと出会って、関わって、
「よし、明日も自分の力で生きていこう」と思っているはず。
千依たちは毎日寿町にいるわけではないけれど、
ずっと信じている友だちだからだ。

幸田千依の絵のテーマは一貫して「プールと人」。
正確には水面と人を描き続けている。
美大生のころにプールの監視員のアルバイトを始めて、
以来、ずっとプールを上から眺めてきた。
プールのなかでは男も女も老いも若きも、
みんなほとんど裸で行ったり来たり。
普段は人の目を気にしたり、弱い者いじめしたり、
着飾ってツンツンしたり、意気がってカッコつけたり、
強がっている人たちもいるけど、
プールのなかではどんな人も、見た目からしてほとんど差がない。
泳いでいるか歩いているかくらいのもの。
ただ人が集まっているというだけで、その間に波が立っている。
水の自由な流れが全体を包んでいる。
「フォーカスしていくとケンカしてるふたりがいたり、
いろいろなんだけど、全体で見ると、ああ人っていいなと。
そういうふうに思いたい。引いたり寄ったり、
シンプルに見たり、ものの見方を変えると考え方も変わる。
もうダメだ!って思うことも、見方を変えれば
なんとか乗り切れるかなと思う。その感動、気持ち、
ああこれでいいんだ、みたいなものを描き込みたい」
プールと人の絵を描き続けて8年くらい経つ。
それでもまだ全然、描き切れていない。

2月からは台北で滞在制作に入る。外国では初めての体験だ。
「言葉が通じないわけだから、それならいっそのこと、
知らない言葉を教えてもらうということを
取っ掛かりにしようと考えてる。
筆談したり絵を描いて説明したりして、それで自分が理解して、
言葉を覚えていくプロセスも見せようと。
人と関わらずにはできないから、どんどん外に出ていきたい」

自分なりに人と関わって生きる。
それを強く意識してやることが、いい絵を描くための手段。
幸田千依は、これまでそう考えてきた。
でもこれから先は、手段だなんて思わなくても、
ちゃんと生きることと、いい絵を描くこと、
ふたつを同じに重ね合わせていきたいと思っている。
絵描き・幸田千依と人間・幸田千依は、
やっぱりどう考えても同じひとつの生命だから。