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沖縄県那覇市

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NAHA, OKINAWA Interview 09

12歳から始めた太鼓を
沖縄で演奏でき、
誇りに思っています。

「祖父が、幼い時に移民したと
聞いています。祖母は、
ブラジル生まれの2世だったようです。
今回、沖縄には初めて来ましたが、
こんなにキレイな土地だとは
思わなかった。知らないはずの
故郷の人たちはみんな優しくて、
沖縄で出会うひとつひとつに
小さな感動があります。
自分が沖縄人の子孫であること、
この旅によって、
ウチナーンチュであることへの誇りが、
より強まりました。
だから、初めての沖縄ではあるけれど、
故郷に帰ってきた感じがしています。
まるで、自分の土地、
おうちに帰ってきたみたいな。

子どもの頃の日常生活に
沖縄文化はありませんでした。
父がブラジル人なので
もちろん、暮らしはブラジル式。
でも、いつもおばあちゃんは
沖縄の唄を口ずさんでいた。
幼い頃、それを聴いていると
幸せな気持ちになったのを覚えています。
エイサーは、
ブラジルで先生が教えてくれて、
始めたのですが、
その影響でブラジル人の父が
三線で沖縄民謡を始めた
ということもありましたね。
12歳のとき太鼓を始めたのは、
やはり沖縄の移民だった
先生や親や親戚にすすめられたのが
きっかけです。演奏すればするほど、
気持ちがどんどん惹かれていったし、
とても高揚感があった。
自分はブラジル人として生まれて、
ブラジル人としても誇りがある。
でも同時に、
ウチナーンチュとしての誇りもある。
今回、沖縄に帰ってきて、
この大会に参加することができて
本当にうれしいです」