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連載

ひとをつなげる
フードディレクターという仕事。
奥村文絵さん 前編

貝印 × colocal
「つくる」Journal!
vol.007

posted:2015.6.9  from:東京都中央区  genre:ものづくり

〈 この連載・企画は… 〉  歴史と伝統のあるものづくり企業こそ、革新=イノベーションが必要な時代。
日本各地で行われている「ものづくり」もそうした変革期を迎えています。
そこで、今シーズンのテーマは、さまざまなイノベーションと出合い、コラボを追求する「つくる」Journal!
ものづくり・しくみづくり・ひとづくり・食づくり、場づくりetc、
貝印 × コロカル × earthradioチームが、フレキシブルにテーマを取り上げていきます。

writer's profile

Tomohiro Okusa

大草朋宏

おおくさ・ともひろ●エディター/ライター。東京生まれ、千葉育ち。自転車ですぐ東京都内に入れる立地に育ったため、青春時代の千葉で培われたものといえば、落花生への愛情でもなく、パワーライスクルーからの影響でもなく、都内への強く激しいコンプレックスのみ。いまだにそれがすべての原動力。

credit

メイン写真:21_21DESIGN SIGHT 『テマヒマ展<東北の食と住>』撮影・西部裕介

自分の部屋をレストランに。フードディレクションの原体験。

フーデリコの奥村文絵さんは、フードディレクター。
食に関する仕事にはフードコーディネーター、料理人、店舗オーナー、
デザイナーとさまざまあるが、フードディレクターとはどのような仕事なのだろうか。
それをひも解くのに、奥村さんの中学生時代にさかのぼる。

「中学生のころに、よくレストランごっこをしていました。
友だちを招いて、そのひとのためのフルコースをつくり、私の部屋で食べるんです。
料理本を見ながら、今日はどれをつくろうかとあれこれ考え、
買い物から始まって、料理に合わせて親が大事にしまっている食器を出してきて
組み合わせる。それからベッドや勉強机、本棚のある狭い部屋の真ん中に、
ガーデンチェアとテーブルを置いて、テーブルクロスを敷いて食卓をつくり、
リビングにあったスタンドで、ちょっとムーディにしたりして、
毎回、自分の部屋をレストランのような空間にしたんです」

そう原体験を語ってくれた。中学生にして、これが思いのほか奥深い。

「食べることが大好きな家族のなかで育ちましたが、
うちの台所の食卓で食べるのと、レストランで食べるのとでは、
時間や空間の感じ方がまったく違ったんです。
みんなの意識がテーブルに集まる。
いつもの家族なのに、どことなくお互いを尊重しあう会話になって、
そのたびにちょっと大人に近づいていくような感覚がありました。
つまり、食を介して、ひととの関係も変わるということに興味があったんです」

だから呼ぶ友だちは「もっと話してみたい友だち」だ。
ふたりで向き合ってゆっくりと食事をする。すると、いつもと違う会話が生まれ、
学校では見えてこない相手の表情や心情が滲み出てくる。
悩み多き年頃にテーマはいくらでもある。いつの間にかとっぷりと陽が暮れ、
スタンドの明かりを挟んで、話も関係性も深まっていく。
「味を追求する欲求というよりも、ひととの関係が変わることが面白い」と、
食を介してひとの関係が近づくことを意識し、体感してきたのだ。

Foodelcoが主催する〈ごはんの学校〉で講評している奥村文絵さん。ごはんの学校の詳細は次週。写真:山平敦史

奥村さんは、大学を卒業後、東京デザインセンターに勤務していた。
併設のイベントホール担当者として、
その時期にグラフィック、建築、インテリア、照明など、
ありとあらゆるジャンルのトップに立つデザイナーとの仕事に恵まれた。
その経験を通じて「自分を表現するジャンルがあるだろうか」と見つめたときに、
「食かもしれない」と思いついたという。

「食と言っても、自分が興味があるのは、料理人ではなく、
食から広がるコミュニケーションでした。
当時、フードコーディネーターという仕事が出始めていて、それが一番近いと思い、
右も左もわからないなかで、とりあえず弟子入りしました」

そこからレシピ開発や広告撮影の仕事が始まった。
「ひたすら明太子を成形したり、お弁当やお中元のカタログ撮影をしたり」する日々。
そのなかで少しずつ、コーディネートだけでなく、
コンセプトワークやディレクションを行うようになっていった。

Foodelcoが展開していたオリジナル食品ブランド〈800 for eats〉。
(現在は終了)写真:山平敦史

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食におけるデザインの概念。

こうして徐々にフードディレクターという仕事を確立していく。

「私はシナリオを書く役割です。脚本家や建築家に近いかもしれません。
クライアントの抱える課題に対して、どういうコンテンツが必要になるか。
新商品か、ウェブなのか、パッケージか、イベントか、
新店舗か、販売マニュアルなのか。
その策定のために、とにかくクライアントと話し合い、彼らの仕事を丹念に取材します。
長い歴史を持つ飲食企業はどこも個性的です。
プロジェクト推進のためとはいえ、外部スタッフが入り込むのを懸念する現場も多い。
まず彼らの得意不得意を理解し、そのうえで相性の合うデザイナーや
各分野のプロフェッショナルを選ぶ。
外部チームをきちんと機能させる環境づくりも大事な仕事です」

Foodelcoがフードディレクションを担当した〈ビジュー・ド・穂坂〉のジャム。果樹園のお母さんたちがつくっているジャムを、地元のフレンチシェフ山田真治さんにレシピ監修してもらいブラッシュアップした。写真:山平敦史

大きく言えば、“つくるひと”と“食べるひと”のつなぎ役ともいえる。
そのスタンスに、時折クライアントからは「コンサルティングですよね」と
言われることもあるが、「自分はあくまでも食のディレクター」という姿勢を崩さない。
売上などの数字は参考にするが、フードディレクションの核となるのは、
企業および商品をどのようにデザインしていくか、
というクリエイティブディレクターに近い視点だ。

「たとえばお米があって、パッケージをつくりましょうというとき、
私はその農家さんのこれからの人生をつくるような気持ちで
パッケージを考えるのです。だから、農家さんの考え方、その土地の歴史、
文化をちゃんと理解してからつくりたいという気持ちが強い。
同時にもう一方では、このお米を売ることで、
農家さんの生き方やそれらを取り巻く社会がどう変わるか、
そこにどんな色や形がふさわしいかを考え、
そのビジョンをデザイナーさんに伝えることが私の仕事。
私は農家さんの話も理解できるし、デザイナーさんとも話すことができる。
経営者の苦悩もわかる。絡まった糸をほぐすように全員の言語を理解し、
新しい食のあり方をどうデザインし、未来へつなげていけるか。
だから目に見える形のことだけを考えることはあり得えません。
私は今、連綿と続いてきた食の歴史の最先端に立っている、
そういう気持ちで仕事をしたい」

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デザインと食の関係。

いまの時代、広義のデザインという意味は捉えがたい。
これまで食にデザインは介在していなかったのだろうか。

「去年、21_21DESIGN SIGHTで行われた〈コメ展〉を
お手伝いさせていただいたときに、しみじみと実感したのですが、
そもそも食は、そのすべてが意識せずともデザインされて今に至っているんです。
たとえば鯛という魚も、海のなかでは自然、つまり命です。
それをひとが食べ始めたときからデザインは始まっています。
包丁を1、2回入れるだけで身が崩れないように“活き絞め“し、
一切捨てないように食べ尽くす技術。もっとおいしく、もっと無駄なく食べようと、
試行錯誤を繰り返しながら見いだしたノウハウは、
長年かけて培ってきた工夫と情報の集積ですよね。
それらをデザインとは言い表してこなかったけれど、道具類、調理科学から、
味加減のコツ、盛り付けに至るまで、
実は数え切れないほどたくさんのデザインが集積しています。
新しい言語で言い直すと、新しい発見が生まれることもあります。
デザインという言葉を、あえて食の世界で使ってみることで、
“食べることのみが食である”という発想が、もっと広がると思うんです」

グラフィックデザイナーの佐藤卓さんと、文化人類学者の竹村真一さんがディレクションしたコメ展。
21_21DESIGN SIGHT『コメ展』写真:淺川 敏

奥村さんはコメ展に企画立案、コンテンツ制作、取材、リサーチなどで協力した。写真:淺川 敏

「21_21DESIGN SIGHTで2012年に行われた『テマヒマ展〈東北の食と住〉』にも
企画協力しました。東北で古くから継承されてきた保存食の技術を紹介する目的で、
60か所くらい取材をしたんです。
たとえば天然のフリーズドライともいえる凍み豆腐は、
東北の人々の貴重なタンパク源でしたが、
零下になるような気候をうまく利用して屋外に干してつくります。
ただ、これが次の世代に必要かといえば、正直なくても困らない。
効率的につくる技術も生まれているし、他に食べるものもあります。
実際、いまそれらをつくれるのは、70〜80代のおじいちゃん、おばあちゃんたちです。
その下の世代になると、高度経済成長期に都会に出稼ぎに出たひとも多く、
郷土料理のつくり方を知らないひとも多いんです。
その時代に、ローカルな食文化がぷつんと途切れてしまったんだと実感しました」

つまりここ10〜20年程度で、なくなるかもしれない食べ物なのだ。

東北6県の食や住にまつわる展示が行われた。写真:西部裕介

「まさに時代の境目に生きていると感じました。
しかし都会のひとが、田舎に古き良き時代を重ねて、
“継承すべき”と感傷的に発言しても、未来につながる話にはなりません。
私たちがどのようなビジョンを持ち、どのような食の未来をつくっていくのか。
それを生産者、企業、つくり手と一緒に一生懸命考えて、それらに適した手段をつくる。
それが私たちに託された仕事なのだと思います。
最近では、日本国内だけではなく、
海外のひとたちに日本の食文化を伝える仕事も増えてきました。
和食やお茶、漆器や陶芸など、日本の食文化に深い関心を持つ海外のひとたちは、
日本の良いところも悪いところも、とてもグローバルな視点で語ってくれます。
そこに未来の食に対するヒントが、たくさん詰まっているんです」

食材がそのまま飾られている様子。展覧会後に発売された『東北のテマヒマ【衣・食・住】』の食のパートも奥村さんが執筆した。写真:西部裕介

奥村さんは、食文化をいま一度、捉え直す。
おいしい一辺倒ではないし、効率化だけでもない。
その間をつなぎ直すのがフードディレクターかもしれない。

「食を介して、ひととつながりたい。
私の横には、本物の仕事に徹する生産者や職人がいます。
彼らの多くは口を開かず、仕事に語らせる堅気たち。
私はレンズのように側に立って、彼らから放たれる光を広げる役割を担いたい。
これまで自分が発見したような感動を、もっとたくさんのひとに知ってもらいたい。
食べることが好きという動機でこの仕事に就き、
周りのひとたちに食の深さを教えられて、いまがあります。
それで気付いた人生の面白さや生きることの深さは、
単に“食”というジャンルをはるかに超えて、私のなかに多様に渦巻いています。
わくわくするようなことがたくさん寄ってくるんです!」

後編【つくるひとと食べるひとをつなぎ、食文化を現代につむいでいく。奥村文絵さん 後編】はこちら

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TEL:03-6280-4733

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