〈 この連載・企画は… 〉
ローカルにはさまざまな人がいます。地域でユニークな活動をしている人。
地元の人気者。新しい働きかたや暮らしかたを編み出した人。そんな人々に会いにいきます。
profile
Miyuki Tanaka
田中みゆき
山口県在住。デザインをバックグラウンドとし、展覧会の企画や書籍の編集を行う。暮らしの中から生まれる表現に興味を持っている。
カピン珈琲は、カフェを持たず、出張喫茶を中心に活動する夫婦のユニット。
各地の職人やアーティストとともにオリジナルの珈琲道具をデザインし、
出張先やウェブサイトで販売している。
山口だけでなく福岡や松本、東京などで約8年
そういった活動を続けてきたカピン珈琲が、「珈琲豆御渡所」というかたちで、
11月1日に山口市の自宅の隣に初めてのショップ「龜」をオープンした。
もともとは山口県宇部市を拠点に音楽イベントの企画などをしていた
亀谷靖之さんと妻の千晴さんが、自宅を設けるにあたり、
ひと目で気に入った日本家屋の平屋を見つけたのを機に、
2012年春より山口市に拠点を移して活動を始めた。
カピン珈琲として活動を始めたのは、ふたりが出会ってすぐの8年前。
萩市にある窯元・大屋窯の濱中史朗さんのアトリエで
喫茶をすることになったことが始まりだった。
そのために濱中さんがオリジナルの器をつくってくれたという。
それまでは個人的な趣味として焙煎をして飲むだけだったが、
そのことがきっかけで、日頃飲んでいる珈琲を記憶として残したいと思うようになった。
出張喫茶も、記憶として残すという意味で思いついた形式だ。
「珈琲はいまや日常の節目に句読点的な感じで飲まれていますが、
遡るとイギリスで流行ったコーヒー・ハウスでは、政治や文化が育まれていました。
自分も珈琲をクリエイティブなことが生まれる原点として追求してみたいと思い、
珈琲に絞って活動しています。
味を楽しむだけでなく、さらにおいしく飲むために、
空間や音楽など、五感で楽しむ方法を、自分なりのフィルターを通して
紹介していきたいという想いがあります」(靖之さん)
「カピン珈琲」とは、ポルトガル語の
「黄金の草」(カピン・ドゥラード Capim Dourado)に由来し、
亀谷という名字の「亀」を意識し、Capimの最後にeをつけている。
シンボルマークは、両手で珈琲に向き合えるように取手を敢えてなくした
カピン珈琲オリジナルの器(ボル)を、珈琲豆で形どったもの。
ボルのほか、ドリップポット、砂糖入れ、ミルクピッチャーなど
珈琲を抽出する道具から器まで、珈琲に関わるさまざまな道具は、
濱中さんをはじめとする各地の作家と一緒に開発し、販売している。
毎日使うものだからシンプルで飽きのこないものをつくりたいという想いから、
経年美が期待でき、機能美を兼ね備えたものを
納得がいくまで時間をかけてつくっている。
開発中のメジャースプーンは2年越しでようやく完成するという。
そのように自分たちは器や道具を提案するブランドとして
活動しているというスタンスから、カフェを持たない方針でやってきた。
それは「それぞれの人が家をカフェのように楽しんでほしい」
という想いがあったからだ。
「かつてのカフェブームはインテリアを楽しむ要素も大きかったのではないか」
と靖之さんは語る。部屋もカフェ並みにこだわる人が増えてきたなかで、
自分の空間でそういった時間を楽しむ人も増えてきた。
エスプレッソではなくドリップにこだわったのもそれが理由だ。
淹れる道具が高価なエスプレッソは外で、
自宅では自分がカフェのマスターになった感覚で
気軽にドリップし珈琲の時間を楽しむ。そんな使い分けができるのではと考え、
豆や道具を提案するスタンスを保ち続けてきた。
豆はイエメンやブラジル、コロンビアなどの在来のものを使い、
大量につくられているものがたくさんあるなかで、手のこんだものをセレクトしている。
試行錯誤の末たどり着いた独自の焙煎方法は、
天気や湿度、室温を見ながら靖之さんだけが担当する。
品質が良いことは当たり前。
シンプルに、冷めても飲めるものかどうか、常においしく飲めるかどうか。
あとは嗜好品なので好きか嫌いかで自由に選んでもらえばいいという考え方だ。
ただ「素材が良くないとそれ以上においしく飲むことはできないので、
まずはいい豆がちゃんと焙煎されているか、次に淹れ方」(靖之さん)
実は靖之さんと出会った頃は珈琲が嫌いだった千晴さん。
「まったく興味がないからこそ、言われたことを受け止めて、
喧嘩せずにいいアイデアが出し合えると思った」と話す。
そしていろいろと試していくなかで、自分の体に合うものや、
必要な条件が整っていれば飲めるということがわかってきて、
「洗脳されたのかな」と笑う。
ふたりのものづくりの役割分担は、
アイデアを出して、構成や監修をするのは靖之さん、
イラストや図面に起こすのは工学部でデザインを学んでいた千晴さんと、
はっきりしている。
珈琲においても、焙煎、ドリップ以外のすべて、豆の状態のチェックから、
出張喫茶の荷作り、接客、片づけまでを千晴さんが受け持つ。
そんなカピン珈琲が山口市に移ったという噂を聞きつけ、
豆を直接買いたいと家を訪れる人が増えてきた。
それを受けて、自宅に隣接していたトタン張りの物置小屋だった場所を改装し、
カフェではなく、珈琲豆を取りに来てくれる場所を設けようと考えた。
最初に考えたのは、タバコ屋のようなスタイル。それが発展し
「茶室のようにプロセスが詰まった小さな空間に入る体験自体を楽しんでもらえたら、
わざわざ取りにきてもらう楽しみができるのでは」(靖之さん)と考えた。
いちばんこだわった入口は、茶室のにじり口のように頭を下げて入るようになっていて、
2、3歩先を曲がったところでようやくカウンターが見えてくる。
構想は1年前頃から始めた。
道具同様、素材にこだわり、経年美を大切にしたいので
風化が味になる土壁にしたいと考えた。
下関市の安養寺に建てられた、隈研吾設計による阿弥陀如来像収蔵施設の
土壁を担当した福田靖さんという左官屋さんを紹介してもらい、
土壁のタイルからオリジナルのものを一緒につくった。
サンプルをつくってもらい、日数を経た変化なども踏まえ、
土とモルタルの配合を決めた。
入口のドアを銅にしたのも風化を念頭にしている。
隣接する建物がない土地にポツンと立つ亀谷さんの自宅。
暖簾をくぐって中に入り、和室を脇に見ながら廊下を抜けると、
右手にみごとな吹き抜けの空間が広がる。
半年ほどかけて改装されたモダンなリビングスペースは
修道院をイメージして白を基調としており、珈琲豆御渡所「龜」のオープンを機に、
これからは時にギャラリー空間にも生まれ変わる。
第一回目の展覧会は、東京・元麻布の「さる山」を主宰する
猿山修さんによるオリジナルの食器やカトラリーなどを中心とした
「猿山修展」が開催された(11月1日〜17日)。
オープニングには福岡のビストロ「mi:courier」を迎え、
濱中さんの器を使ってパーティーが開かれた。
ギャラリーに限らず、生活する空間でもあり、アトリエ空間でもある、
多目的な空間として運用していく予定だ。
「龜」でも、ただモノを売り買いする場所ではなく、
例えばパンや音楽など、自分たちでは扱っていないけれど
さらに珈琲を楽しめる要素を体験できる場所にしていきたいという。
「豊かな自然と食が楽しめる山口に、少しずつカルチャーの要素を足していきたい」
と、靖之さん。
ただ、お店ができたからといってそこに来てもらえば完成ではなく、
お客さんが持ち帰った豆を抽出して飲んでもらって
初めて完成するというスタンスは変わっていない。
「住みながら完成に近づけていくつもり」(靖之さん)という亀谷家は、
一年半が経ったいまでも、部屋の延長として庭に敷石が加えられたり、
訪れるたびに手づくりの家具が増えていたり、
亀谷夫妻の生活を豊かにする試みはとどまることを知らない。
珈琲豆御渡所「龜」は、カフェでもスタンドでもないあり方で
珈琲文化を豊かにするための提案だ。
information
CAPIME coffee
カピン珈琲 珈琲豆御渡所「龜」
山口県山口市大内御堀2422-1
*営業日はウェブサイトでご確認ください
http://capime-coffee.com/
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