連載
posted:2022.6.30 from:長野県南佐久郡 genre:暮らしと移住
〈 この連載・企画は… 〉
ひとつのまちの、ささやかな動きかもしれないけれど、創造性や楽しさに富んだ、
注目したい試みがあります。コロカルが見つけた、新しいローカルアクションのかたち。
writer profile
Kotaro Okazawa
岡澤浩太郎
おかざわ・こうたろう●1977年生まれ、編集者。『スタジオ・ボイス』編集部などを経て2009年よりフリー。2018年、一人出版社「八燿堂」開始。19年、東京から長野に移住。興味は、藝術の起源、森との生活。文化的・環境的・地域経済的に持続可能な出版活動を目指している。
photographer profile
Osamu Kurita
栗田脩
くりた・おさむ●1989年生まれ、写真家、長野県上田市在住。各地で開催しているポートレイト撮影会「そうぞうの写真館」主宰。ちいさなできごとを見逃さぬよう、写真撮影や詩の執筆を行う。二児の父。うお座。
自然という環境下での保育や、地元の有機野菜を採り入れた給食などの点だけを見れば、
特段めずらしい試みをしているわけではない。
〈認定こども園 ちいろばの杜〉(以下、ちいろば)の特徴は、
例えばこんなところに表れる
――子どもたちの発案で「探検隊」が組織され、
森に行くまでの道になっていたアケビの実を採りに冒険しに行く。
あるふたり組が帰りの会で発表した人形劇が、年長組全員が参加する演劇に発展し、
物語と配役と衣装を子どもたちがつくる。
ラグビーW杯を見て夢中になり、ボール替わりに長靴を手に、
泥だらけになって自作の「ハカ」を披露し合う。
泥だらけになって遊ぶ子どもたち。「帰りたくない」の声が響く。(写真提供:認定こども園 ちいろばの杜)
森へ続く道中も遊びの宝庫。植物や昆虫の姿に目を輝かせる。(写真提供:認定こども園 ちいろばの杜)
小屋を建てたい、絵を描きたい、火おこしをしたい……
それぞれの子どもたちの内側から湧き出た、たくさんの「やりたい」「楽しい」気持ちと、
実現までの試行錯誤を何よりも大切にする。
大人たちが答えを手解きすることはほとんどない。
大人は少し離れて見守るか、子どもに触発されて一緒に楽しんでいる。
失敗しても構わない。評価も競争もない。
春先に芽生えた新芽のように、子どもたちが森にみずみずしく躍動している。
まずは自分でやってみるのが、ちいろば流。大人は子どもの姿をそっと見守る。(写真提供:認定こども園 ちいろばの杜)
森や田んぼや畑など、自然の環境に身を置きながら、
保育や教育などを行う「森のようちえん」。
近年の生活意識の変化などから注目を集めているが、
〈NPO法人森のようちえん全国ネットワーク連盟〉によると、
同連盟の加入団体だけでも、その数は全国で250以上に広がっている。
長野県南佐久郡佐久穂町にある、ちいろばもそのひとつだ。
厳冬期は氷点下20度にもおよぶ標高約1000メートルの森の中、
八ヶ岳に連なる山々の空気と水と土に囲まれ、子どもたちは日々を生き生きと遊んでいる。
園舎からの風景。晴れた日は山々が見渡せる。
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「ちいろばの一番の特徴は、『誰かの失敗を、思い切りどつく』みたいな、
人間臭さです(笑)」と語るのは、ちいろばの園長を務める内保亘(ないほわたる)さんだ。
内保さんは子どもや保護者からも「わたにぃ」の愛称で呼ばれている。
その原点は、内保さんの幼少期にある。いじめられっ子でひ弱だった自分を見て、
母は技能を身につけさせようと、英会話やギターなど、あらゆる習いごとを経験させた。
「だけどすべて失敗。劣等感の塊でした」
しかし高校2年生のとき、
「生まれて初めて自分の意志で」オーストラリアへの留学を決意。
ホームステイ先が幼稚園を運営していたことから、子どもという存在に興味を抱いた。
大学・大学院では『点子ちゃんとアントン』などを著した
エーリッヒ・ケストナーらドイツの児童文学を専攻し、
戦時下の困難な時代にも遊び心と希望を持ちながら、
自分たちの社会をつくっていく子どもたちの姿に魅せられた。
子どもたちが描いた絵。森で見た光景だろうか。(写真提供:認定こども園 ちいろばの杜)
ところが事務職として就職した幼稚園で違和感を覚えることになる。
「ケストナーが描いた子どもたちと違う」と内保さんは当時を振り返る。
目の前で行われていたのは、英会話、俳句の暗唱、フラッシュカード、
そして平均台や跳び箱を並べた円形のコースを
30分間ローテーションするなどのいわゆる才能教育的なものだった。
「大人の管理」を感じずにはいられなかった。
自分が小さい頃、それに傷ついたことを思い出し、
内保さんは、この管理から遠く離れたところを求めることになる。
園舎の風景。靴の脇にあるウクレレは保育士も子どもたちも弾く。
「子どもたちは、大人が用意した環境から得る影響が、どうしたって大きくなる。
確かに、こういう環境が合う子もいると思うんです。
でも自分の想いとは矛盾していると感じました。
だけどただ批判するのはかっこ悪い。
だったら、これとは真逆の世界を自分でつくったらどうか。
いま思えばこの体験をいい機会にして、
そういう選択肢が初めて生まれました。
『大人の管理』へのアンチテーゼを投げかけられる、
子どもが自分の自由や自己発揮を考えられる世界をつくることが、
僕の人生の課題になりました」
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幼稚園を2年で退職し、幼児教育の専門学校で保育士の資格を取得、
卒業と同時に縁を伝って長野に移住した。
下見してまわった各地の森のようちえんに感動し、
当初は育児カフェのような子どもを軸としたコミュニティづくりを思い立ったが、
最終的には地元の有機農園に推されるかたちで、
妻のひとみさんとともに2012年に〈森のようちえん ちいろば〉をスタートさせる。
ちいろばの一日は円になって歌う「朝の会」から始まる。
しかし、新幹線の通る中心地・佐久平からは車で40分と遠く、
またまちには子どもがとても少なく、
「絶対に上手くいかない」と不安が大きくつきまとっていたという。
それでも、貯金を切り崩しつつ、あるときはボランティアにも支えられ、園を続けてきた。
給食は地元の有機農園などから食材を取り寄せて園舎内でつくっている。
迎えた開園5年目、「ちいろばに通わせたい」と移住してきた一家が初めて現れる。
それまで地元でなんとか子どもの数を確保していたちいろばにとって、
これが大きな転機になった。
2019年に同じ町内でユニークな教育プログラムを掲げる
茂来学園大日向小学校が開校したことや、
新型コロナウイルスの流行で地方への移住が注目されたことも手伝い、
まちや近隣に全国から移住者家族が集まり、
園児のほとんどを移住組が占めるようになった。
そして今年2022年、開園10年を迎え、初年度は4人だった子どもたちは、
現在25名を数えるまでになった。
これまでの10年を振り返り、一番印象深かったことを尋ねると、
「(園に通わせていた)自分の娘の卒園」だと内保さんはいう。
子どもたちは日々、森の中で自分の遊びを自分で見つけていく。(写真提供:認定こども園 ちいろばの杜)
「彼女は生まれてから卒園するまで家でも園でもずっと親の目があって、
自分の秘密を持てないから『可哀そう』って思っていたんです。
だから卒園式のときに卒園証書に『ずっと一緒にいてごめん』と書いて渡したんです。
彼女はすごく感じるものがあったみたいで、
その夜の食卓で『今日の卒園式は良かった』と言うんです。
『何が良かったの?』と聞いたら、
『わたにぃ(亘さん)とひとっち(ひとみさん)が、
ちいろばのことをとても愛していることがよくわかった。
だから私も愛するものがほしい』と。
これはうれしかった。すごく報われた思いがしたんです」
「娘は同い年のほかの子と『将来は一緒にちいろばの園長をやる』と言っていて(笑)。
ここを卒園した子どもたちにも、そのまま育ってほしいと思うけど、
たぶん、そうならないと思うんですよね。
だけど、ちゃんと原風景や種はもっていてほしいんです。
『いつか時代が変わるから、そのときまでしっかりあたためておいて』って。
大切なことは小さかった頃にすっごく詰まっているから」
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ちいろばがほかの森のようちえんと異なる、もうひとつの大きな特徴は、
園にかかわる大人の意識が変わることだ。
ただ、「親が主体的に園にかかわる」といっても、
何かの係や責任のような負担を背負うのではない。
子どもと同じように、大人が自分らしさを取り戻していくのだ。
背景にある「『生きるって楽しい!』があふれる世界を」は、ちいろばのミッションのひとつ。
「子どもと接していると、ドロドロした部分とか、自分ばっかりが引き出されるんです。
普通の保育なら大人が感情的にものを言ってはいけないんだけど、
自分の子どもが園にかかわってから、親としての自分も出てきてしまうから、
そう思わなくなりました。
あまりにも言い過ぎた次の日は『ごめん、言い過ぎた』って(笑)。
だけど子どもたちは最後には僕の『保育士像』ではなく
『人間像』をちゃんと受け取ってくれる。
いままでちいろばをつくってきたのは、保育的な感覚よりも、
やっぱりそういう人間臭さだと思うんです。
だから僕はスタッフにも、『保育者である前に、人であってね』と伝えています」
保護者によるハーブ園。効能ごとに畑を分けるなど工夫している。
例えば実際に、歌が好きなある保育士は、ある子がつぶやいた何気ない言葉を聞き留めて、
メロディとコードをつけて歌をいくつもつくった。
別の保育士たちは森で遊ぶ子どもたちを写真に撮り溜め、
地域のコミュニティセンターで写真展を企画中だ。
保護者も感化された格好で、
自らの発案で園の敷地でハーブ園や畑をつくるサークルなどを立ち上げた。
2か月に一度ある子どもたちの誕生会は、
プログラムだけでなくあり方そのものから、保護者が中心となって話し合う。
例えば、「誕生会のときだけ食べられる特別なおやつ」をつくるという
保護者のアイデアから、「ちいろば焼き」という名物お菓子が生まれた。
今川焼をアレンジした「ちいろば焼き」の試作中。
「子どもたちが『生きるって楽しい』って感じるために、
私たち大人が心がけておかないといけないのは、
自分が楽しんでいる後ろ姿を子どもたちにたくさん見せること。
子どもが大人を見て絶望したら、
『この先、絶望の世界しか待っていない』
『社会に順応して生きるしかない』と思ってしまう。
だけど日常から解き放たれて、
子どもみたいに楽しく歌を歌ったり遊んだりする大人が身近にいることが、
結果的に子どもたちのそういう世界をつくっていく。
大人が自分の『好き』に没頭していれば、
子どもも真似して自分で『好き』を探すと思うんです」
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子どもを育てるというよりは、人間が人間らしくいられる場をつくるという発想が、
ちいろばにはある。大人も同じく、保育士も保護者も、
肩書を外して人間に戻っていくようだ。
だから、「ちいろばは、保育をしたい場ではないんです」と内保さんは断言する。
そのために、2021年にちいろばが認定こども園になったとき、
「森のようちえん ちいろば」から「認定こども園 ちいろばの杜」に変わり、
「ようちえん」の文字を名前から消したのだ。
何を捕まえたのか、うれしそうな表情が弾ける。(写真提供:認定こども園 ちいろばの杜)
子どもも大人も、子ども心を大切に、自分の楽しさを表現する。
「それを続けていくと、いずれちいろばが故郷になる。楽しかった場所が故郷になるから」
確かにそれはもう幼稚園ではない。
内保さんが移住当初に掲げた「子どもを軸としたコミュニティ」の姿がその先に見える。
ちいろばが理念に掲げる
「0歳から100歳までの子どもたちとともに いつも戻ってこられる故郷になる」には、
そういう思いが込められている。
10年後、成長した子どもたちが見る森の風景は変わっているだろうか。(写真提供:認定こども園 ちいろばの杜)
スタッフ間の目下のテーマは「暮らし」だという。
そして内保さんは、卒園生が戻ってこられる場所を
ちいろば以外にも地域にいくつもつくり、ネットワーク状につなげることも構想している。
「そのなかで、自分の子どもだけを抱え込むんじゃなくて、
ひとつの家族として、違う子どもに対しても同じような目や愛情を注いでいく。
そういう臭いのする保育や日常が生まれたら」と内保さんは言う。
だったら、子どもたちが共同生活できる寮をつくるのはどうか、
と取材の最後に提案したら、話が一段と盛り上がった。
ちいろばは今後、どんな場所に育っていくのだろう。
どんな人たちが集まってくるのだろう。今後が楽しみだ。
profile
Wataru Naiho
内保亘
ないほ・わたる●愛称:わたにぃ。千葉県出身。中央大学大学院ドイツ文学科で児童文学を研究。千葉県の幼児教育施設を経て、保育専門学校を卒業後、2012年に妻とともに長野県へ移住。同年、佐久穂町大石地区にある旧冬季分校を改装して園舎とし、〈森のようちえん ちいろば〉(現〈認定こども園 ちいろばの杜〉)を始める。
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認定こども園 ちいろばの杜
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