〈 この連載・企画は… 〉
ひとつのまちの、ささやかな動きかもしれないけれど、創造性や楽しさに富んだ、
注目したい試みがあります。コロカルが見つけた、新しいローカルアクションのかたち。
writer profile
Chizuru Asahina
朝比奈千鶴
あさひな・ちづる●トラベルライター/編集者。北陸の国道沿いのまちで生まれ育ち、東京とバンコクを経由して相模湾に面した昭和の残り香ただようまちにたどり着きました。旅先では、細い路地と暮らしの風景に惹かれます。
credit
撮影:池田理寛
穏やかな瀬戸内海に面したまち、松山は、
各所にことばがあふれている。
大通りを行き交う路面電車に、
街灯に取りつけられたタペストリーに、心に投げかけてくるような
ことばのかけらたちが描かれている。
―この先、足元にことばの落としもの あります。
松山城に向かうリフトに乗ると、そんな案内が支柱に貼られていた。
「松山はお湯とことばが湧いています。」
「かしとおみ! 心のリュック半分持つけん。」
「かあさんの瀬戸内の小学校、尋ねあてましたよ。」
足元に次々と現れる、ことばのバナー。
旅先で、いつもよりも自由な気持ちでいるなかで
目に飛び込んできたことばについて思いを巡らすのは、
旅行者にとっては有意義な時間の過ごし方でもある。
もし、胸がキュンとするような、もしくはずっしりと重く響くような、
そんなことばに出会えたなら、
土地の記憶も伴って、忘れられないことばになるに違いない。
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ことばを大切にしたまちづくりを行う松山は、“文学のまち”としても知られている。
その背景には、明治時代に活躍した
俳人の正岡子規や高浜虚子の生地であることや
子規の友人である作家、夏目漱石の書いた『坊っちゃん』の舞台となっていることが大きい。
松山市では、毎年「坊っちゃん文学賞」や「俳句甲子園」も開催しており、
全国でも珍しい“文学のまちづくり”を行っている。
司馬遼太郎が書いた人気小説『坂の上の雲』のファンならば
主人公である軍人・秋山好古、真之兄弟の過ごした家や
同じく登場人物である正岡子規にまつわる場所など
小説にゆかりのある地を訪れるのは、聖地巡礼のようでもある。
いっとき、100年以上前にタイムスリップして
彼らが生き生きと躍動する姿を想像しながらまちを歩いてみるのもいい。
いたるところに確かに彼らが存在した気配を感じることができるはずだ。
松山城の東に位置する道後温泉も、文学との関わりが深い。
聖徳太子も浸かったといわれている日本最古の名湯は、
『万葉集』『日本書紀』『源氏物語』にも登場し、全国にその名を轟かせている。
聖徳太子にはじまり、一遍上人、額田王(ぬかたのおおきみ)、小林一茶、種田山頭火、
柳原極堂、河東碧梧桐、与謝野鉄幹、与謝野晶子……。
道後にゆかりのある文人を挙げるとキリがない。
もちろん、漱石や子規も大いに関係がある。
そんな道後温泉でまちを歩くと、
さりげなく設置された俳人、詩人の句碑に出会う。
そんな歴史と文学の息遣いを探してみるのも、
道後温泉界隈を散策する醍醐味のひとつだ。
温泉宿の浴衣に着替え、道後温泉本館でひとっ風呂浴びたら、
カランコロンと下駄を鳴らして次の湯へ。
椿の湯、道後温泉別館 飛鳥乃湯泉など、公衆浴場をはしごするのも趣がある。
途中、路傍にある歌碑の存在を意識しながら歩けば
自分好みの句に会えるかもしれない。
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冒頭に戻ろう。
松山城へ向かうリフトで見かけたことばのバナーは、
主に「ことば」による松山市のまちづくりの一環で開催された
「だから、ことば大募集」の公募で集まった作品を使用している。
応募者が紡いだ珠玉のことばをもとにして、
バナーがつくられ、空港や港、商店街などに配されたほか、ラッピング電車まで登場した。
短いことばから、絵本や歌までもが生まれている。
申請をして許可をもらえば、工事現場に置かれるコーンにだって使ってもいい。
誰だって選ばれたことばたちを使用していいのだ。
松山市内にことばがあふれているのは、こういう背景があるからだ。
「だから、ことば大募集」が開催されたのは2000年、2010年、2020年の3回。
3回目の昨年は第2回の12200点を大幅に上回る22440点もの応募があった。
全国各地のほか、アメリカ、台湾、ドイツなど10の国と地域からも応募があり、
松山市のことばへの取り組みは、地域を超えて広がっている。
授賞式後、審査員長を務めた作家の高橋源一郎さんと
地元出身のラッパーDisryさんのトークショーが行われ、
ことばを職業にするふたりらしい話が繰り広げられた。
高橋さんは、「坊っちゃん文学賞」が初めて開催された30年前から、
足繁く松山に通っていて、まちのことをよく知る。
「松山は、文学への取り組みに非常に熱心ですよね」
高橋さんは取り組み方のしっかりしている松山に関して、
本気でやっているなという印象を抱いているという。
「まちのあちこちにことばがあるって、ほかではなかなかないですよね。
正岡子規も司馬遼太郎もどこかの遠い人じゃなく、
いたるところに作品がありますから。
ほかの文学者にしても、ただ単に出身者というわけではなく、
作品のなかにまちが出てきますから、まちの人にとってはより近い存在ですよね」
丸ごと松山が舞台になっている文学として代表的なのは『坊っちゃん』。
夏目漱石自身が、愛媛県尋常中学校で、
教鞭をとっていたときの体験をもとに書いた作品だ。
歴史的な名作のなかに、タイムカプセルのように、
地方のまちそのものが入っていて、誰もがパッと思い出せる文学作品など
なかなかないと高橋さんは話す。
教科書にも掲載される純文学の傑作は、
読んだ人なら誰もがすぐに、坊っちゃんといえば松山、と思い出せるのだ。
「ことばや文学への取り組みを30年も続けている松山市は
これが土地の強みになっているんじゃないですかね。
そういう意味では、こんなふうに文学やことばが
土地に根づいているのはすごいことなんじゃないですか」
高橋さんの仰る通り、このまちがどんなにことばにあふれているか、
通りすがりの旅行者にさえもまちの取り組みの本気度を感じられるところがあった。
それは、意識さえすればたやすく見つけられる。
初めて松山を訪れた人でも臆せずに俳句ポストに投函できる気軽さがいい。
松山というまちとの新しい接点がそこから生まれ、
投句した人にも新しい世界が広がる。
ことばがあふれる松山で、たくさんことばのシャワーを浴びたなら、
自分に響くことばを紡いでみよう。
きっとそこから生まれたことばが、誰かの心にも響くと信じて。
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