連載
posted:2015.12.2 from:長野県北安曇郡小谷村 genre:暮らしと移住
〈 この連載・企画は… 〉
ひとつのまちの、ささやかな動きかもしれないけれど、創造性や楽しさに富んだ、
注目したい試みがあります。コロカルが見つけた、新しいローカルアクションのかたち。
writer profile
Hiromi Shimada
島田浩美
しまだ・ひろみ●編集者/ライター/書店員。長野県出身、在住。大学時代に読んだ沢木耕太郎著『深夜特急』にわかりやすく影響を受け、卒業後2年間の放浪生活を送る。帰国後、地元出版社の勤務を経て、同僚デザイナーとともに長野市に「旅とアート」がテーマの書店〈ch.books〉をオープン。趣味は山登り、特技はマラソン。体力には自信あり。
credit
撮影:前田聡子
長野県の北西、新潟県との県境に位置し、特別豪雪地帯に指定されている小谷村。
そのなかでも最北端にあり、一度新潟県をまたがないと入ることができない
大網(おあみ)集落は、四方を山に囲まれ、
小谷村民でも「行ったことがない」という人がいるほどの秘境だ。
約44戸、70人あまりの住民の6割以上は高齢者。
そして、冬は積雪量が3メートルを超えることも少なくない。
そんな厳しい自然環境のなかで、人々は独自の文化と生活の知恵を育み、
我慢強くもたくましく、他人を思いやる心を持って生きてきた。
その大網に根ざし、この地ならではの暮らしや伝統、
そして人々の魅力を受け継いで伝えていきたいという思いで、
2012年から活動をしているのが〈くらして〉だ。
メンバーは、いずれもIターン移住した前田浩一さん・聡子さんと、
北村健一さん・綾香さん夫妻の4人。
彼らの特徴のひとつは、ただこの地に暮らすのではなく、
林業や炭焼きといった山仕事や農業、伝統食の栃餅(とちもち)づくりなど、
自分たちの生業(なりわい)もつくり出していることである。
冬になると雪に閉ざされるこの地では、昔は出稼ぎに行く人が多く、
いままでは仕事がないからと近隣に移住する人も少なくなかった。
しかし〈くらして〉は「ここに住んで、ほかの地域に働きに行くのはもったいない」
と考え、「仕事がないなら自分たちで生業をつくろう」という考えに至った。
「暮らしていることが仕事になるといい。“働き手”ではなく“暮らし手”へ」
そんな思いが、〈くらして〉の名前には込められている。
Page 2
そもそも、4人の出会いは、廃校になった北小谷小学校大網分校を活用した
〈(公財)日本アウトワード・バウンド協会(OBS)〉長野校にある。
英国発祥で世界30か国以上にネットワークを持つ
非営利冒険教育機関のOBSは、大自然を舞台にした冒険活動
(登山遠征、ロッククライミング、沢登りなど)にチャレンジすることで、
自己のなかに秘められた可能性や他人を思いやる気持ちなど豊かな人間性を育み、
「社会の中で自己実現ができる人」を育てることを目的としている。
長野校は1989年に開校し、これまでに3万5000人以上が全国から入校。
ここで働くスタッフはOBSの仕事をしながら集落で暮らし、
地域の活動にも積極的に参加して、地域の人々との関わりを深めてきた。
そうしたなかで〈くらして〉の4人は“よそもの”である自分たちを
受け入れてくれた地域の人の懐の広さや温かさに触れると同時に
高齢化という課題も実感し、この先もこの地で生きていこうと決めた。
「もちろん、この場所が気に入ったことや
田舎暮らしが好きなことも定住の理由ではあるけれど、
80歳を過ぎてできないことも増えてきた地域の“おじちゃん、おばちゃん”たちのために、
今度は自分たちが恩を返していく番だと思ったんです」
そう話す浩一さんは2000年、妻の聡子さんは2005年にOBSに入り、
以来、大網で暮らしている。
それに対し、浩一さんと同年に入校した健一さんは1年で大網を離れ、
10年前から北アルプス山麓の大町市にある
ユニークな山の仕事人集団〈山仕事創造舎〉で林業に従事。
妻の綾香さんは1999年に入校し、5年間OBSに携わったのち、
その経験から魅了されたスノーボードに力を入れ、
2004年以降はプロとしてトレーニングのために全国をめぐっていた。
ふたりは2008年に結婚。
それから終の棲み家を探すために大町市の山奥から小谷村の全地域を回るうちに、
OBSの仲間がいたり、かつて世話になった地域の人たちに頼られるようになったことで、
2012年3月に再び大網に移住した。
それが〈くらして〉を立ち上げる直接的な引き金になった。
「自分たちはここで結婚して暮らしていこうと決めていたけど、
ある意味では転換期でもあり、この先をどう生きていくかを話し合っていました。
そんななかで、ものすごく頼りになる綾香となべちゃん(健一さん)が
大網に戻ってきて、一緒に話をするようになると、
やりたいことや守っていきたいものが同じだとわかって
勇気づけられたんです」(聡子さん)
そんな4人の土台には、やはりOBSの精神がある。
この学校は、人間が本来持っている可能性を引き出し、
高めることをミッションとしているため、物事を表面的に捉えずに
腹を割ってとことん話し合い、何事にも全力で取り組む。
だから、4人で「この地域を残し、次の世代に伝えていくことにつながるのであれば
なんでもやっていこう」と決めたことに迷いはなかった。
Page 3
4人の生業はそれぞれ。全員が農林業に携わりながら、
浩一さんは2013年10月まで常勤していたOBSから要請があれば、
いまも非常勤スタッフとして手伝いに行き、
聡子さんは東京の写真学校で技術を磨いてフォトグラファーとしても活躍している。
温かい雰囲気の写真にはファンも多く、この記事に掲載している写真も
すべて聡子さんが撮影したものだ。
山仕事を専門にしている健一さんは外部から伐採などの依頼があれば出かけ、
綾香さんは2歳の愛娘・おとあちゃんの育児をしながら栃餅をつくって販売し、
4人の活動拠点でもある〈つちのいえ〉を守っている。
〈つちのいえ〉とは、空き家を地域で活用するための補助金を使って
2014年に古民家を再生するかたちでオープンした農山村体験交流施設。
村営ではなく〈くらして〉が村から指定管理を受けて運営している。
この施設建設のきっかけのひとつには、
綾香さんが地域のおばちゃんたちからつくり方を習い、
それまで途絶えていた栃餅づくりを復活させたことがある。
かつて、大網には栃餅工場があったが、老朽化していたことから
「また始めるなら新たな工場が必要ではないか」という話があがり、
村役場から空き家を再生して地域の事業を行う施設をつくろうという
提案が寄せられたのだ。
「役場の人たちは積極的だし、おじちゃんたちは
『若い人たちがやるならいいんじゃねえか』という。
それでも、自分たちは〈くらして〉を始めたばかりで、
大きなお金を使って建物を建てても
どのくらい栃餅がつくれるかわからない不安もあったから
『まだ早い』と断っていました。ただ、最終的にはおじちゃんたちに
『やれる範囲とできるペースで、好きに始めればいい』と言われて、
そうだなと」(浩一さん)
こうして集落の中で何度も話し合いが行われ、
建築家や地域活性の専門家を交えた勉強会「大網どうするだ会議」なども開催。
改修する古民家も自分たちで選び、設計にも携わって、
施設での事業も明確化していった。
そして、村の中心部にあった築130年を超える古民家を再生した
〈つちのいえ〉が2014年6月に完成。
栃餅づくりができる作業場を併設し、共有スペースでは
小谷村の暮らしが体験できるワークショップなどを開催しているほか、
宿泊も可能で、料理は宿泊者が〈くらして〉のメンバーとともに調理をしている。
Page 4
最近では、そろそろ定年退職を迎え、親の後を継ぐために大網に戻ってくる
“おじちゃん、おばちゃん”たちの息子世代もいて、〈くらして〉の活動に
興味や理解を示し、よき協力者や相談相手になってくれているという。
〈つちのいえ〉はそういう人たちに対してもよい発信の場になっていて、
「いいタイミングで〈くらして〉と〈つちのいえ〉が立ち上がった」
と4人は声を揃える。
「〈つちのいえ〉を運営することで、ここを訪れた人が小谷村の魅力を見出したり、
人との交流を感じる場所にしたいと思っています。
そして、ここでの経験が、その人にとっての成長や気づき、
学びのきっかけになるといいですね。
〈くらして〉が守っていきたいことは特別なことではなく、
おじちゃん、おばちゃんたちの日々の暮らしに息づいていることだから、
それを大事にしていきたいんです」(浩一さん)
栃餅づくりも、当初は機械化して特産品として
効率的に売り出すことを役場から提案されたが、
綾香さんは昔からのやり方自体を残すことが大切だと考え、
手間ひまをかけて、できる範囲で生産、販売している。
このように地域の伝統や習わしをできるだけ経験して体に染み込ませ、
記録としても残している〈くらして〉。
その活動は大網全体に広がり、いまでは隣接する姫川温泉地区と共同で
「このむらを残していく」を理念に、集落住民による
“地域残し”のプロジェクトが進行している。
そのなかでも〈くらして〉のメンバーはそれぞれに役割分担をし、
浩一さんは「祭りの伝承」を担当。
それは、祭りをただかたちとして継承するのではなく、
意味や思いも含めて伝え継いでいくことだという。
「高齢化が進んで村の恒例行事も維持できなくなってくるなかで、
祭りの知恵は一度失われてしまうと二度と取り戻せないものになってしまう。
それは農作業も同じで、この時期にはこの野菜の苗を植えるとか、
4と9がつく日は種を蒔かないという迷信のようなものとか、
大網流のやり方はネットで調べてもわからず、
ここの人に聞かなければ知ることができないんです」(浩一さん)
Page 5
そして、こうした問題は大網だけでなく、
日本全体に言えることではないかと聡子さんは話す。
「いま、日本中で同じように過疎化による課題があって、
私たちはそれにまっすぐに向き合っている感じです。
自分たちがここで諦めざるをえない状況になって、どうしても暮らせなくなったら、
この社会の仕組みとして、日本全国みんな難しいんじゃないかって。
だから、日本が抱える課題のひとつとしてやってみようと、
勝手にみんなを代表しているような気持ちです(笑)。
ただ、みんなで取り組んだらできるだろうと根底では自信を持っていても、
将来を考えると収入はどれくらいかと不安になることもある。
揺れながら、でも、基本的には4人でここでやっていけば、
自分たちが考える豊かで幸せな暮らしができると思えています」(聡子さん)
その言葉を受けて、綾香さんも続ける。
「みんなが常に変化に対応しながら進んでいるから、その時々で考えも変化します。
でも悪いほうにはいっていない感じです。
それに、いまはやりたいことをやりながらも農業とか山仕事とか屋根の雪下ろしとか、
仕事はたくさんあるのだから生きていけないわけがない。
そのなかで、一般的な稼ぎである“お金に変わる仕事”を
どのくらいのバランスでやるかという課題はあるけれど、
必要なときはその分を稼げばいい。そういいながら半年後は
まったく変わった状況になっているかもしれないですけどね(笑)。
でも、4人でずっとやっていくことは変わらないところではあるし、
それぞれがやりたいことを幸せに営んでいける4人であればいいな」
そんな4人には、まるで何年もこの活動を続けてきたような落ち着きも感じるが、
〈くらして〉としてはまだ始まって2年あまり。
「生まれてまだ2歳のおとあみたいなもの」と4人は笑う。
「高熱も出すし、転んで怪我もするし、しばらくはいろいろな痛みも伴うけど、
日々そうやって学んで、おとあと一緒に成長している感じやね。
まだまだ始まったばかりです」(浩一さん)
では、この先〈くらして〉はどんな“大人”になり、どんな大網をめざしていくのだろう。
「20年前に村のお祭りを復活させた横川さんという先輩から
『人も20年経って成人になるから、物事は20年続けないと』と言われたし、
OBSも20年続けてきたことで私たちのような者が出てきました。
だから〈くらして〉も20年続けたら次の何かにつながっていくかもしれない。
その〈くらして〉の活動を通して大網に移り住む人が少しずつ増えていけば、
20年後にまた新しい動きが生まれるかな」(聡子さん)
価値が多様化し、めまぐるしく変化する現代において、
〈くらして〉のようにあえてローカルを選び、
生産性や効率ではなくていねいさを求める安らかな暮らしもある。
それによって人生全体にも余裕が生まれ、考える習慣が身につく。
これは豊かな人生を送るうえでとても重要なことだ。
大網を拠点にローカルな暮らしの可能性を模索し続ける4人の生き方からは、
なんだか健やかさと元気をもらうとともに、
しなやかで幸せな生き方をあらためて考えさせられた。
information
くらして
つちのいえ
Feature 特集記事&おすすめ記事