連載
posted:2012.10.25 from:三重県伊勢市・松阪市 genre:暮らしと移住
〈 この連載・企画は… 〉
ひとつのまちの、ささやかな動きかもしれないけれど、創造性や楽しさに富んだ、
注目したい試みがあります。コロカルが見つけた、新しいローカルアクションのかたち。
writer's profile
Tomohiro Okusa
大草朋宏
おおくさ・ともひろ●エディター/ライター。東京生まれ、千葉育ち。自転車ですぐ東京都内に入れる立地に育ったため、青春時代の千葉で培われたものといえば、落花生への愛情でもなく、パワーライスクルーからの影響でもなく、都内への強く激しいコンプレックスのみ。いまだにそれがすべての原動力。
credit
撮影:MOTOKO
ムービー編集:菅 健太
三重県松阪市猟師町は、車1台通るのがやっとの狭い路地が入り組んでいる。
それだけに都会とは違って、隣近所とのつき合いも深い。
そのようなコミュニティを築き上げるのに、
年1回の盆踊り「かんこ踊り」が一役を買っている。
かんこ踊りとは、三重県に広く伝わる念仏踊り。
雅楽の楽器である羯鼓(かっこ)という太鼓を持って叩きながら踊ることが由来となり、
転訛して“かんこ踊り”と呼ばれている。
盆の時期に行われ、初盆を迎える先祖を供養する。
三重県に伝わるのは、かつてこの羯鼓が伊勢神宮で奏でられていたからと言われている。
県内でも地域ごとに異なったかたちで現存するかんこ踊りは、
古くは1000年以上前から伝わる郷土芸能であるが、
そもそも一子相伝で外にもらしてはいけないという慣習ゆえ、
全国的に広く知られているわけではない。
このような奇祭を、前出の松阪市猟師町、
そして伊勢市の佐八町と円座町で見ることができた。
猟師町の狭い路地を進んでいき、頭上に行灯がチラホラ見え始めると、
祭りの始まる空気が漂ってくる。まち全体がかんこ踊りを待ち望んでいるのだ。
まちの中心にある海念寺の境内に4人の若者が胸に羯鼓を持って並んだ。
周りで数人が音頭を取り始めると、
人々は4人が持つ太鼓に対して列をつくって並び、
その場にいるみんなが順番に叩き始める。
おじいちゃんから小学生まで、叩き方は全員マスターしているようだ。
小さな子どもに、小学校高学年のお姉さんが教えている姿がほほ笑ましい。
しばらく経つと羯鼓を抱えていた青年たちが、顔にかんむり(さらし)を巻き始めた。
どんどん顔を覆っていくことで、個性を無くし、人間ではなくなっていくという。
「顔に巻いていくうちに、どんどん気持ちが入り込んでいきます。
そして精霊の使者になるんです」と教えてくれたのは、
猟師かんこ踊り保存会会長の八田謙介さん。
顔を完全に隠し、頭には桜の花をモチーフにした
「しゃぐま」(しゃごまともいう。形状は地域によって多種多様)
と呼ばれるかぶりもの、足下は素足。
このいでたちで各自胸に抱えた羯鼓を叩きながら、飛び上がって踊る。
躍動感あふれ、汗がほとばしるエネルギッシュな動き。
しかも、初盆の家庭を1軒ずつ訪れて踊るのである。
今年は39軒あったので、3日間にわけて1日13軒。
夕方から始まって、1軒につき所要約40〜50分。
終わるころには日は昇っている。3日間夜通し踊る、ハードな祭りだ。
ある1軒が終わると、次のお宅へみんなでぞろぞろ移動。
踊りの現場に合わせてまちごと移動しているかのようだ。
子どもの頃から当たり前に繰り返されるかんこ踊り。その存在はきっと理屈じゃない。
「子どもの頃から見ていてかっこいいと思っていました。
身近にあって、みんなが踊っているもの。
他所から言われて初めて、特殊なものなんだと気づいた」と語る八田さんだが、
しかし「このままではかんこ踊りが無くなると思った。
無くしたら猟師町が猟師町じゃなくなると感じた」と、
19歳のときに形骸化していた保存会を復活させた。
「みんな三重のなかでも、うちのかんこが一番やと思っていますよ。
誇りがある。だからこんなにひとが集まるし、かっこ悪いこともできない」
現在行われているかんこ踊りでも、その長い歴史において、
一度途絶えてしまったものを復活させたというまちも多い。
そんななか、「終戦の年に1回休んだだけ」という強者のまちもある。
伊勢市佐八(そうち)町のかんこ踊り。
ここでは500年ほど前から伝承されている。
500年間ほぼ休まず、お盆にかんこが踊られてきた。
中央にたいまつが焚かれ、それを囲うように10数人〜20人程度の列が入場してくる。
通常の盆踊りに近いような陣形だが、姿形はこれまた異形。
馬のしっぽでつくられた「しゃぐま」を頭にかぶり、
垂れ下がった毛で顔を隠す。そして腰蓑を装着。もちろん胸には羯鼓だ。
写真だけみたら、ハワイか何処か南国の民族ダンスと間違えるかもしれないが、
ここは三重県の山のなか。
羯鼓を叩きながらクルクルと回るので、そのたびに腰蓑がスカートのようにフワッと開く。
踊っているのは25歳までの男性。
運営自体も小学校4年生から42歳の厄年までの男性に限られている。
着流しの音頭が数人ごとのユニットとなって歌い、
和太鼓や法螺貝なども鳴り、大変にぎやかだ。
「佐八では、昔日本にたどりついた韃靼人が故郷を偲んで始めたとも伝えられています。
大火、大病をおさえるためとも言われています。
しかし実際のところは、記録が無いのでわかりません」と、
佐八町・前区長の小坂正通さん。
顔を隠すことの本当の意味はもはや知ることはできないが、
かつては外に広めてはいけないものだったということも関係しているかもしれない。
佐八町でも、踊っていいのは長男のみという一子相伝。
次男などが踊りをマスターしてしまうと、
将来、まちから出ていって踊りが漏れてしまうからだ。
「昔は、盗まれるといけないから、踊りの稽古も山で隠れてやっていましたよ」
というエピソードもあるくらい、厳重そのもの。
「もう、こわくてやめられない」なんて小坂さんは笑うが、
それもあながち冗談ではないだろう。
500年も踊られてきた伝統行事を、何の権利でやめることができようか。
「誰かが率先しているものは、
そのひとがやらなくなったりすると途絶えてしまうと思います。
しかし佐八では誰が中心ということなく、みんながやるという伝統で、
システムができ上がっています。
長男に生まれたからには踊らなければならないし、
次男なども火の番や受付など、さまざまな仕事をしています」
と小坂さんが言うように、何も疑問はなく、自然に行われていることなのだ。
これは松阪の猟師町にも共通して感じることだ。
伝統とは、意気込まず、自然に行われていることの繰り返しなのかもしれない。
猟師町、佐八町、円座町のいずれのかんこ踊りも三重県の無形文化財に登録されているが、
“無形”だけに、書面などの記録に残された伝承ではない。
だから起源も曖昧だし、音頭、踊りともに、失われてしまったものも多く、
それを取り戻すことはできない。
だから今重要なのは、現状のものを途絶えさせることなく、伝えていくこと。
その試みに大切なのは、誰かが上から仕組みをつくるのではなく、
地域から生まれる小さな力。
面白いことに、どちらも他の地域のかんこ踊りに詳しくない。
というより、ほとんど興味を持っていない。
「お盆に旅行なんて行ったことない」と猟師町の八田さんが笑う。
お盆は他のまちになんて行かない。我がまちのかんこ踊りに全力なのだ。
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