連載
posted:2016.6.11 from:徳島県神山町 genre:活性化と創生 / アート・デザイン・建築
〈 この連載・企画は… 〉
地方都市には数多く、使われなくなった家や店があって、
そうした建物をカスタマイズして、なにかを始める人々がいます。
日本各地から、物件を手がけたその人自身が綴る、リノベーションの可能性。
writer profile
Kosuke Bando
坂東幸輔
京都市立芸術大学講師/坂東幸輔建築設計事務所主宰。1979年徳島県生まれ。2002年東京藝術大学美術学部建築学科卒業。2008年ハーバード大学大学院デザインスクール修了。スキーマ建築計画、東京藝術大学美術学部建築科教育研究助手を経て、2010年坂東幸輔建築設計事務所設立。京都工芸繊維大学非常勤講師。徳島県神山町、牟岐町出羽島など日本全国で「空き家再生まちづくり」の活動を行っている。主宰する建築家ユニットBUSが第15回ヴェネチア・ビエンナーレ国際建築展(2016)日本館展示に出展。
ボンジョルノ〜! 建築家の坂東幸輔です。
第15回ヴェネチア・ビエンナーレ国際建築展が5月28日から始まりました。
ビエンナーレの日本館の展示に私が主宰する建築ユニット〈BUS〉が出展しています。
〈BUS〉は現在、私と須磨一清、伊藤暁(2011年加入)の、
3人で構成されている建築ユニットです。
東京にそれぞれの設計事務所を持っていますが、神山町ではBUSの名義で活動しています。
先月、準備やレセプション出席のため、ヴェネチアを訪れていました。
今年のビエンナーレ全体のテーマは
「REPORTING FROM THE FRONT(前線からの報告)」、
日本館は「en[縁]:アート・オブ・ネクサス」というテーマで展示をしています。
新しい世代の12組の日本人建築家の作品を展示することで、
現代の日本の社会問題を建築の力で解決した事例を紹介しています。
日本館の展示は大成功、
国別参加部門で約60か国の中で第2席となる審査員特別表彰を受けました。
私たちのBUSは神山町プロジェクトの代表作、
〈えんがわオフィス〉〈KOYA〉〈WEEK神山〉の映像作品を展示しています。
3つのプロジェクターを使って、3面の壁に
神山の豊かな自然の中にあるそれぞれの建物の映像を投影することで、
まるで神山町にいるかのような臨場感を体験できる展示になっています。
映像制作は菱川勢一さん率いる〈DRAWING AND MANUAL〉が担当、
彼らも神山町にサテライトオフィスを構えており、
神山町のご縁が生んだチームでの展示になりました。
展示は11月27日まで行われていますので、
ぜひこの機会にヴェネチア・ビエンナーレを訪れてみてください。
さて、展示されている神山町のプロジェクトはどのように始まったのか。
vol.1ではハーバード大学からリーマンショックを経て、
無職になった私と神山町との出会いについて書きました。
今回は小さな空き家の改修から始まった神山町プロジェクトが、
どうしてヴェネチア・ビエンナーレ国際建築展に出展するまでに成長したのか、
そのきっかけについて紹介したいと思います。
キーワードは「人の縁」です。
2008年10月に無職の私が神山町と出会ってから約1年半後、
2010年4月に東京藝術大学の教育研究助手に着任したことを
〈NPO法人グリーンバレー〉の大南信也さんに報告したことから
神山町での空き家改修のプロジェクトが始まります。
最初のプロジェクトは、クリエイターが神山に滞在して
作品制作するための拠点〈ブルーベアオフィス神山〉です。
「学生たちを神山に連れてきて、空き家を再生してくれませんか」
そう、大南さんからメールをもらい、
さっそく空き家改修のプロジェクトチームを結成しました。
東京藝大の学生たちを集めると同時に、
ニューヨーク時代に出会った建築家の須磨一清さんに声をかけました。
BUS(元・バスアーキテクツ)結成の瞬間です。
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須磨さんは慶応義塾大学SFCを卒業後、
ニューヨークにあるコロンビア大学で修士号を取りました。
出会った頃はまだニューヨークの設計事務所で働いていました。
私と須磨さんはお互いの奥さんがきっかけで知り合ったのですが、
アイビーリーグ出身同士気が合ったのか、
一緒にコンペに挑戦するような仲になりました。
須磨さんの奥さんが妊娠したことで、
私と同じ時期にニューヨークから日本に帰ってきていました。
田舎での暮らしを体験したことがない東京生まれの須磨さんは
山の中にある神山町に滞在して空き家改修に参加することにとても乗り気でした。
2010年8月、夏休みの1か月間に須磨さんや大勢の学生たちと神山町に滞在し、
築80年の長屋の一角の空き家を改修して、〈ブルーベアオフィス神山〉を完成させました。
地域の大工さんに協力してもらいながら、建物の解体や壁のスギ板張り、塗装や漆喰塗りなど
自分たちで施工できる部分はDIYで工事を行いました。
これまでペンキ塗りくらいは自分でしたことがあっても、
初めてやる作業が多く、工事が本当に終わるのか心配でした。
さらに自分にとっての初めての作品になるので、デザインも妥協できません。
しかも、田舎の大工さんは図面や模型をきちんと見てくれません。
彼らとのコミュニケーションが最も大変で、大工さんが勝手に工事したところを、
後で学生たちと解体するといったピリピリするやり取りもありました。
予算も少なく、工事も自分たちでしなくてはいけない、
しかも大工さんは言うことをなかなか聞いてくれない。
条件のいいプロジェクトだったとは言えません。
でも、当時は初の建築作品をつくりたいという必死の思いがあったんだと思います。
たくさんの人手には恵まれました。
大勢の学生たちが神山町を訪れてくれ、
地域の人や道行く旅人まで、工事に手を貸してくれました。
なんとか、大工さんとも理解し合い建物も無事完成しました。
この〈ブルーベアオフィス神山〉と、
のちに紹介する〈神山バレーサテライトオフィスコンプレックス〉は
NPO法人グリーンバレーからの依頼で
リノベーションのデザインをしていますが、
交通費以外のお金は貰っていません。
「デザイン料を払わないけれど、デザインに口出しは一切しない」
というのがグリーンバレーのポリシーです。
口出しはしないが全力で支援する。
デザイン料を払わない代わりに、
都会ではなかなか仕事が得られない若者にチャンスを与えるというのが、
彼らの真意なのだと思います。それが
「神山なら自分の夢が叶うのでは」
という独特の空気感につながっているのではないでしょうか。
私はリーマンショックで海外で働くチャンスは失いましたが、
神山町で建築家としてデビューするチャンスをもらいました。
クリエイターがアトリエとして使えるようにコンクリートの土間にしたり、
2階の半分の床を取って、ロフトをつくったり、
地域の人にとってはビックリするような改修だったかもしれませんが、
一度も反対されたことはありませんでした。
作業に疲れると近くの川で泳いだり、
毎晩のように地域の人たちとお酒を酌み交わしたりと、
神山の豊かな自然環境や魅力的な人たちとの交流、
いわゆる田舎生活をおおいに楽しみながらプロジェクトを行いました。
夏休みでやり切れなかった工事のため、翌月神山を訪れると、
須磨さんも高校時代の友だちを連れて神山を訪れていました。
てっきり残りの工事を手伝いに来てくれたのだと勘違いし、
その友だちにブルーベアオフィス神山の改修前の空き家に放置された
大きなタンスを運んでもらったのですが、
実はその人はテレビCMを流すような、東京に本社を構える、
ITベンチャー企業〈Sansan株式会社〉の社長・寺田親弘さんだったのです。
かつて三井物産の商社マンとしてアメリカ勤務の経験のある寺田さんは、
自分の始めた会社Sansanで新しい働き方を探求していました。
そのためにSansanのオフィス内装を変えるべく、
設計を依頼していたはずの建築家の須磨さんが
設計そっちのけで徳島に入り浸っています。
どういうことか聞いたところ、自然が豊かで、おもしろい人たちがいて、
さらに高速インターネットのある徳島県の神山町という場所にいると、説明を受けたそうです。
それを聞いた寺田さんはすぐに神山町を訪れました。
そこは、寺田さんにとって、自分の思い描く新しい働き方を実践するのに、
最適な環境に思えたそうです。
寺田さんと大南さんが出会ってからはトントン拍子に話が進み、
なんと2週間後には神山に築150年の立派な古民家を生かした
Sansanのオフィスができていました。
東京と違って満員電車の通勤もなく、食品も安全、人も穏やかで、風景も美しい、
寺田さんはITベンチャーで働く人たちの憧れの環境を手に入れました。
これが、神山町のサテライトオフィス第一号です。
現在、神山町には十数社の企業がサテライトオフィスを構えています。
消費者庁移転の業務試験の場所として神山町が選ばれるなど、
日本中から注目されている神山町のサテライトオフィス事業ですが、
大南さんとリーマンショックでどん底の私が出会い、
私が須磨さんを神山町に連れていき、
そのつながりで友だちの寺田さんが神山町を知るという
〈ブルーベアオフィス神山〉の改修工事が生んだ
「人の縁」がサテライトオフィス誕生のきっかけとなりました。
グリーンバレーが目指すまちづくりは、B級グルメやゆるキャラをつくることではなく、
神山におもしろい人を集めることを目標に活動されています。
コンテンツはすぐに消費されてしまいますが、
魅力的な人がいるとそこに人が集まるようになります。
〈ブルーベアオフィス神山〉の「人の縁」はまさにそれを体現する、
奇跡のようなプロジェクトでした。
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その後、神山町でBUSが設計したプロジェクト
〈神山バレーサテライトオフィスコンプレックス〉や〈えんがわオフィス〉、
〈WEEK神山〉などはサテライトオフィスブームの中から生まれました。
その勢いはすさまじく、いつの間にか神山町は地方創生のロールモデルと呼ばれ、
日本中から注目されるようになります。BUSの活動も
ヴェネチア・ビエンナーレ国際建築展に出展するまでに発展していったのです。
ヴェネチア・ビエンナーレはBUSのゴールではありません。
ビエンナーレ総合ディレクターのアレハンドロ・アラベナ氏は
チリ・カトリック大学とチリの石油会社COPECとの共同により
〈ELEMENTAL〉(エレメンタル)を設立し、
政策や金融、環境や気候問題といったさまざまな条件を取り込みながらも
高いデザイン性を生かした建築による社会問題の解決を行っています。
今回のビエンナーレでアラベナ氏の企画する展示を見て、
世界には建築で解決するべき問題がたくさんあることを知り、
それに挑戦する建築家が大勢いることに大きな刺激を受けました。
BUSはこれまで過疎地域の空き家の問題の解決に取り組んできましたが、
これからは空き家だけでなくほかの問題に対しても、
建築やデザインの力での解決に果敢に挑戦していこうと心に誓いました。
BUSの作品だけでなく、
今回日本館に出展している作品はどれも小さな規模の建築作品ばかりです。
日本に経済的な余裕のあった時代の建築家から見ると、
私たちは大志を抱かない草食系の若者に見えるかもしれません。
しかし、審査員に私たちの展示が表彰されたのは、悲観的な状況のなかでも、
楽しく問題解決に取り組んでいる様子が評価されたのだと思います。
〈ブルーベアオフィス神山〉が日本の働き方が大きく変わるきっかけとなったように、
社会を変化させるチャンスはどこに眠っているかわかりません。大学の建築学科では、
未だに立派な美術館や音楽ホールをつくる建築家が目指すべき姿だと教えられます。
しかし、これから建築家を目指す学生、若者たちには
これまで建築家のする仕事だと考えられていないような
どんな些細なプロジェクトでも、もしかしたらそれが新しい価値を生むかもしれないと考えて、
まっすぐ素直に取り組んでほしいと思います。
次回は、紹介しきれなかった
〈神山バレーサテライトオフィスコンプレックス〉や
〈えんがわオフィス〉、〈WEEK神山〉について紹介したいと思います。
それでは、チャオ〜!
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