連載
posted:2014.8.2 from:長野県長野市 genre:活性化と創生 / アート・デザイン・建築
〈 この連載・企画は… 〉
地方都市には数多く、使われなくなった家や店があって、
そうした建物をカスタマイズして、なにかを始める人々がいます。
日本各地から、物件を手がけたその人自身が綴る、リノベーションの可能性。
writer's profile
KEI MIYAMOTO
宮本 圭
1970年長野県生まれ。工学院大学工学研究科建築学修了後、宮本忠長建築設計事務所勤務を経て、シーンデザイン一級建築士事務所を設立。ツリーハウスプロジェクト、絵馬プロジェクトなど建築とその周辺にあるものを面白く結びつけていくためのプロジェクトに多数携わる。2009年に有限責任事業組合ボンクラを立ち上げ、善光寺門前にある古い建物で、建築家・編集者・デザイナーが集まり、単なる建築の再生だけでなく、地域やコミュニティの再生も視野に入れた「プロジェクトカネマツ」を実践中。2013年からは、リノベーションカンパニー「CAMP不動産」のメンバーとして活動中。
9年前の2005年、冬季長野五輪を終えてから8年。
かつて開会式会場をはじめ、オリンピックの中心地となり賑わいを見せた長野市でしたが、
その頃にはうってかわって中心市街地の空洞化が顕著となっていた時期でもありました。
そんな状況のなか私は地元長野の設計事務所、宮本忠長建築設計事務所在籍中に
中心市街地の百貨店跡地再開発の一担当者として関わっていました。
たくさんの古い建物の解体撤去から
現在の再開発ビル群が完成するまでの一部始終を見ることとなり、
長野市の中心市街地の大きな転換点を体感することにもなりました。
古き良き時代の……などというノスタルジックな気持ちではなく、
なんとなくこのプロジェクトに関わっている間中、
心のどこかで気にかかる事柄がありました。
それは、初めて経験する“再開発の現場”が、
都市の多様な考え方や思いを画一化する作業をしていくように思えたことです。
再開発プロジェクトに対する批判ではなく、
そうせざるを得ない状況も多々あることで仕方がないことでもあると思っています。
その一方で、この再開発とほぼ同時期、
私はもうひとつのプロジェクトに携わっていました。
善光寺表参道大門町に江戸の頃から続く老舗旅館「藤屋御本陣」の
リノベーションプロジェクト「THE FUJIYA GOHONJIN」です。
この周辺地域の再生をも視野に入れた老舗旅館のリノベーションと
中心市街地再開発のふたつの案件を担当しながら、
時には同じ日に両方の打ち合わせを行ったりもしていました。
まちの“つくりかた”にはいろいろな方法があるのだと思いますが、
このふたつのプロジェクトほど対照的なものはありませんでした。
どちらも、事業としての成功は企業にとって大きな願いであるし、
まちを元気にしたいという気持ちは同じベクトルのはずですが、
アプローチは全てが真逆でした。どちらが良い悪いといった話ではなく、
同じ時代、同じ地域のまちづくりの一端を担うプロジェクトの意思決定のプロセスが、
これ程までに違うものかと単純に驚き、戸惑ったものでした。
この経験から、リノベーションについて……というか
“つくりかた”について、いろいろなことを考えるようになり、2006年に独立をして
「シーンデザイン一級建築士事務所」を開設するきっかけにもなりました。
独立後、自分の設計事務所の仕事のほかに「ツリーハウスプロジェクト」や
「プロジェクトカネマツ」などの活動も行っています。
それについてはコロカルに取材されたこともありますが、
(山崎 亮ローカルデザイン・スタディ#052 参照)
この連載でも後々もう少し詳しく触れるとして、今は仕事も、そのほかのプロジェクトも、
2005年に携わったあのふたつのプロジェクトに感じた違和感を片隅に留め
“つくりかた”に心を置きながら取り組んでいるように思います。
そんなことを思いながら4年、
2009年のはじめに「THE FUJIYA GOHONJIN」の仕事でお世話になった方を通じて、
築52年の鉄筋コンクリート造の土屋ビルという建物のリノベ計画のお話をいただきました。
善光寺へと通じる長野市中央通り、
長野冬季オリンピックの表彰会場にもなった「セントラルスクゥエア」のほど近くにある
「土屋ビル:長野外国語センター(現ナーガ・インターナショナル)」のことは、
実を言うと知りませんでした。というより、
雑多なまちの風景に完全に溶け込んでしまっていたそのファサードに
意識的な眼差しを向けることがなかったからです。
きっと、ある日、突如としてここが更地になっていたとしても、
かつてここに何があったのか思い出せなかったかもしれません。
この土屋ビルはこれまで、さまざまなテナントが入居してきましたが、
今は「ナーガ・インターナショナル」という語学学校になっています。
英語のみならず、さまざまな国のことばを学べ、同時に文化の違いや、
違う言語の人たちがお互いの考え方を理解するためのお手伝いをする、
長野では老舗の語学学校です。
当時、長野外国語センター30周年の節目を迎えるにあたり、
オーナーは建て替えるのではなく、もう一度このビルに新しい息吹を吹き込んで
リユースすることを選択し、シーンデザインに声をかけてくれました。
さて、依頼を受けてからまじまじ建物を見てみると、3階以上の外壁は、
ほぼすべて金属でできた飾り格子で覆われているという、
かなり個性的なファサードを持った建物であることがわかります。
でも、歩いている人の目線には、こんな光景しか見えません。
自分が何者であるか、名札をたくさん貼られ、
かえって自分の個性に自信をなくしてしまっているようで建物が可哀そう……。
いや、でももしかしたら、
この特徴的な外壁の飾り格子は室内からはとても役立つ機能を持っているのかもしれない。
たとえばまぶしい日差しを遮るブラインド的な役割とか。
さっそく内部から飾り格子部分を見てみると……
うーん……内部は室内を石こうボードで間仕切られ、室内は倉庫と化していました。
外壁に施された飾り格子には
何の意味も機能も期待されなくなって久しい現況が見て取れまました。
あの鉄格子のファサード、すごく個性的で、この建物にとってなくてはならない、
素晴らしい特徴になり得る可能性をひしひしと放っているのに、
使用者がそのことを忘れてしまっていたり、あるいは気付いていなかったり、
そんな状況がそこにはありました。
近年、リノベーションという言葉や活動を頻繁に目や耳にしますが、
ただ単純に時代の変化を押し付けたり、
目的や用途の変化に合わせて着せ替えても建物は生きてこない。
使う人たちが建物の性格をよく理解してあげていれば、
もっと魅力的な建物になっていくと思うのです。
世の中のどんな建物も、つくられた当時は
必要とされて生まれてきたに違いはないですよね。
でも、この長野外国語センターも然り、
たいていの場合リノベの依頼を受けて古い建物を下見にいくと、
大概、建物が物理的にダメというよりも、使い手がこの建物の神髄を理解しておらず、
無用の長物にしてしまっている、ということが多いように感じました。
そして、もっと、建物の声に耳を傾けたい、そう思ったのです。
調べてみると、土屋ビルは1962年(昭和37年)に竣工し、
長野市では鉄筋コンクリート建築の先駆けであり、
当時は長野で一番高いビルと大変な注目を集めていたそうです。
時は流れて周辺にはより高層の建物が建ち並び、
ビルの用途も薬局、ブティック、ケーキ屋、喫茶店、ディスコ、外国語教室と
さまざまな業者が入れ替わり、その都度改装が重ねられてきました。
改装が重ねられるたびに使用者が変わり、用途が変わるたびに
竣工当初にこの建物に込められた願いは薄れ、忘れられてきたのでしょう。
もはや、飾り格子が何のために施されていたのか
外国語センターの誰も憶えていませんでしたが、
そんな建物の“いいところ”を見つけ出し、
伸ばしていくことができたらと思い、このビルの改修プランを考えました。
依頼を受けてから7か月が経った2009年7月。
実施設計が終わり、いよいよ工事が始まります。
まずは解体工事です。
建物の素顔を見ることができるので、私はこの解体の工程が好きです。
度重なる改修の痕跡を辿るうちに、
建物が本来持っている思いがけない表情に出くわしたりすることも多々。
例えばケーキ屋時代の防水床の跡だとかディスコ時代のミラーボールの残骸など。
今は真面目で教育熱心な先生が、実は昔「暴走族だったんだぞ」と。
そんな話に似ています。
解体してみて初めてわかることも多いから、
その都度、設計を修正しながら工事は進みました。
そして、今回のプランの目玉は、
この建物の最大の特徴である飾り格子をどう生かすかというところに絞られました。
なぜなら、外壁の飾り格子と窓との隙間で見つかったライトアップ用電源などから、
約50年前の竣工当初、まだ明かりが少ないまちなかで、
このビルは行燈のように浮かび上がっていたらしいことがわかったからです。
きっと、当時のまちのランドマークだったのだと思います。
今回の工事では当時のデザインコンセプトを尊重して、
ライトアップを復活させることにしました。
ただし、どんな光源や角度でライトアップされていたかは、
資料が無かったのでわかりません。
そこで、クライアントや工事関係者を交えて、
どんなライトアップがこの飾り格子を美しく見せることができるのか実験をしました。
通りを歩く人も、車で通り過ぎる運転手も、みんなこの建物を見上げていく。
その姿を見るのが楽しかった。聞き耳を立てると、行きかう人々からは
「何ができるの?」「いつの間にできたの?」
なんて、会話が聞こえてきます。この建物は約50年間、ここに建っていたのに(笑)。
こうして、照明の色や角度、光の強さなど、
関係者みんなが納得のライトアップが決まりました。
テーマは多文化の融合。外国語センターという用途に由来してのことでした。
その他、外装の工事は1階エントランス部分のみに留め、
2階以上の外壁は既存を生かす計画として、内部に少し手を加えました。
その他、語学学校の教室となっていた2階の部屋の窓に多数貼られていたサインシート。
これをすべて剥がし、外からも授業の様子がうかがえるようにしたり、
ラウンジで生徒が講師の先生と会話している様子が外からちらちら見えたりします。
内部のアクティビティーがまちに漏れ出すことが建物の表情を豊かにし、
もう過剰なサインが無くても、
語学学校であることは建物自体が語ってくれるようになりました。
土屋ビルがリニューアルオープンしたのは2009年9月のこと。
土屋ビル改修の仕事は、私にとってある視点を得る、転機となるものでした。
何らかの意図をもってつくられた建物の記憶をたどること。
それは謎解きのようでもあり、新しい物語を綴る作業のようでもあります。
その建物や空間は年月とともにどう進化したか。
ここで何が起こり、それはどのように進展または消滅したか。
模様替えされたところとされなかったところはどこか、そしてそれはなぜか。
そんな風に問いを常に建物に投げかけては想像する。
いま既にあるものを無視したり、否定することなく、
肯定するところから始める姿勢が、まちとどんな関係を
これから結んでいけるのかを考える大事なきっかけになると学んだ気がします。
そして、まちには同じような境遇の建物がたくさんあるかもしれないし、
まずは今ある建物のことを、みんなが“知る”だけでも
まちは変わるんじゃないかと思うようになりました。
真新しいビルに囲まれても、そのなかに埋もれることなく、
むしろ50年間このまちに存在し続けたことを誇らしげに建つことができた土屋ビルは、
見る人にいろいろなことを語りかけてくれたのではないかと思います。
そんなわけで私はリノベーションという“つくりかた”の面白さを確信したのです。
information
シーンデザイン一級建築士事務所
住所 長野県長野市 東町207-1 KANEMATSU内
電話 026-262-1178
http://scenedesign.jp/
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