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移住はできなくても縁は続く。
お世話になった美杉へ、最後の旅|Page 3

暮らしを考える旅 わが家の移住について
vol.013

Page 3

美杉との縁のはじまり、農家民宿〈なかや〉

名古屋での撮影を終え、美杉の家へと向かいます。
家の前の最後の坂を上がると見慣れた赤い屋根が見えてきて、
ほっとしている自分に気づきました。
いつの間にか、自分にとって居心地のいい場所となっていたのです。

数日間は、美杉の家で家族3人ゆっくりと過ごしました。
裏山へ出かけ、いつもよりもっと奥まで散策してみたり、
何度も眺めた山の風景も、もう一度家族3人揃って眺めました。
「あ~、いいところだな~」
溜め息まじりのその言葉から、夫の気持ちが十分すぎるほど感じられました。

三重県の中でも標高の高い太郎生(たろお)。一晩にして、辺り一面真っ白な雪景色となっていました。

その夜、美杉でとてもお世話になっている
〈農家民宿なかや〉さんを訪ねました。延期になっていた新年会をやろうと、
オーナーの岩田二三男さん、裕恵さんご夫妻が
夜ごはんを用意してくれていたのです。
私たちはこの機会に、三重から離れることを
きちんと伝えたいと思っていました。
「こっちに住み始めてみて、なにか困ったことがあったら
いつでも言ってください」と、私たちをいつも見守ってくれていました。

「まずは、東京から戻ってきてお帰りなさいだね!」
という岩田さんの乾杯の音頭に促され、
「実は……」と、夫が話しづらそうに切り出しました。

年始にいったん三重を離れることになったときにも、
岩田さんに事情を伝えに行きました。
その帰りに車内で受け取った「娘さんを大切に」という岩田さんのメールで、
折れそうになっていた心が救われたのを覚えています。

夫の話を真剣な眼差しで聞いていた岩田さん。

「残念やけど、一番大事なのは子どもさんのことやし。
美杉を離れることになっても、
一度できたこの縁はずっとつながっていくんやし」

その言葉を聞いて、すっと気持ちが軽くなりました。

「津留崎さんたちが別の場所に住むことになったら、
僕らもその土地と人とつながっていくかもしれないし、
どんどん循環していけばいいんじゃないかな」

その横で「うん、うん」と深くうなずく裕恵さん。
その日もいままでと同じように、深夜までお酒を酌み交わしました。

岩田家の玩具を引っ張り出して遊んでいる娘に、
「それ、もう使ってないから持っていって」と、
プレゼントしてくれたのは木製の玩具。
いまは高校生になった息子さん千明くんの、
2歳の誕生日にと購入したものだそう。

「娘さんが大きくなったら、また誰か別のお子さんに差し上げてください。
そうして、どんどんいろんなお子さんのあいだを
渡っていったらいいと思うんです」

「岩田千明 2才誕生プレゼント」という記述の下に、娘の名前と譲り受けた日にちを書き記しました。

思えばこのなかやさんに泊まったことから、
私たちと美杉との縁が始まったのです。

「娘さんに似ている子どもさんが近くに住んでるよ」
と岩田さんが連れていってくれたのが、
この連載でもたびたび紹介している沓沢家との出会いでした。

そもそも私たちは、沓沢家の生き方に刺激を受け、人柄に惚れ込み、
それがきっかけで美杉への移住を意識するようになりました。
不思議なくらいにすっと自然に馴染むその関係は、
たった2年のつき合いとは思えないほどです。

いろいろ悩んだ末にようやく美杉に住もうと決めたとき、
沓沢夫妻はそれをとても喜んでくれました。
そのふたりの気持ちを裏切るようで、それが悲しくて。
美杉を引き上げるか迷っているあいだも、
ずっとその思いが胸につかえていました。
きちんと話しに行かなくては。