Page 4
翌朝、深々と雪が揺り積もるなか、沓沢家へと向かいました。
いつもと同じように、やわらかい佇まいで出迎えてくれるご主人の敬さん。
作陶中のさっちゃん(佐知子さん)も、
私たちが来たことに気づいて上がって来てくれました。
これから話さなくてはいけないんだ……。
他愛もない会話が続いているあいだ、私はほとんど上の空でした。
そのうち、夫が意を決したように話し始めました。
私はふたりの表情をみることができなくて、うつむいたまま。
「そうなんや、そうかそうか」
驚くこともなくただうなずくふたりを見て、
彼らが予想していたのだとわかりました。
「そっか~、残念やけど仕方ないね」
さっちゃんのその言葉を聞いて、構えていた全身の力がゆるんでいきました。
「場所はどこでもいいんだと思うよ、親がこうだと思ったことを
覚悟を持ってやっていけば」
敬さんのその言葉が、私の胸にずしっと響く。
「しっかりしろよ、応援してるから」
その思いが私には痛いほど伝わってきました。
敬さんはこのとき、自宅に新しい浴室をつくっている最中でした、
しかもひとりで。
お風呂って自分の手でつくれるんだ……、
また沓沢家に固定概念を崩されたのです。
作業現場を興味津々でのぞく夫。ひょっとしたら……。
「敬さん、つるちゃん(夫)いたらお役に立ちますか?」
という私の問いに、
「え!? そりゃあもう、助かる助かる!」と、敬さん。
「じゃ、今日から手伝いますよ」と夫の返答。
そうした流れで、その日から3日間、
夫は沓沢家の浴室工事を手伝うことになりました。
お世話になった恩を少しでも返したいという気持ちが夫にはあったようです。
こうして2年間沓沢家に通い、一緒に過ごした時間のなかで、
どれほどのことを学んだのだろうか。
沓沢家と出会ったのは、まだ自分たちが移住を決断できずにいるときでした。
もし出会っていなかったら、移住せずに
東京でずっと暮らしていたかもしれません。
それくらい強く、私たちの人生を動かす存在だったのです。
東京へ戻る日の朝、もう一度沓沢家に行きました。
これが終わりじゃないんだから、そうわかっていても、
どうしても寂しい気持ちが胸にこみ上げてくる。
その気持ちを追いやるようにして、いつもと同じ挨拶をしました。
「またね、またすぐに来るから」
さっちゃんも、いつもと同じように手を振っていました。
「うん、またね、元気でね、またね」
東京に戻ってしばらくすると、〈丸八酒店〉のお母さんから
一通の手紙が届きました。丸八酒店とは私たちが暮らしていた
美杉の太郎生(たろお)にある酒屋さんで、
そこのご夫婦にとても親切にしていただいていたのです。
ご夫婦はしばらくのあいだお店を空けるとのことで
直接お会いすることができず、
太郎生を離れることを手紙でお伝えしていました。
「お手紙いただいて、驚いています。
せっかくこの太郎生を選んでくださったのに……、仕方ないですね。
お子さんがもう少し大きかったらと思ったり、
私がもっとお役に立てたかもしれないと思ったりしています。
津留崎さんとお知り合いになって、大切な人ができたような思いです。
いい季節になりましたらぜひこちらへ足を運んでくださいませ」
information
農家民宿なかや
information
日本料理 朔
住所:三重県津市美杉町八知3541
営業時間:11:30~16:00(11:30~と13:15~の2回)
定休日:水曜・木曜・金曜
*各回6名まで、完全予約制、4300円(税込)のおまかせコース