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移住はできなくても縁は続く。
お世話になった美杉へ、最後の旅|Page 2

暮らしを考える旅 わが家の移住について
vol.013

Page 2

伊豆下田から、荷物を引き上げに美杉へ

たな候補地として伊豆へ行ってみよう。
そのあと三重に行き、美杉の家に残してきた荷物を引き上げよう。
夫婦で悩んだ末にそう決断し、2月の始めに家族3人で
再び東京を出発しました。

伊豆へ向かう道中、もう無理だとわかっているのに、
それでもまだ迷いが湧いてきます。
本当にこのまま美杉を引き上げていいのだろうか、
もう一度試してみたらどうなのだろうか。
その問いが頭に浮かんでは消え、また浮かんでくるという繰り返し。
けれど、伊豆でしばらく過ごしているうちに、
その気持ちがしだいに変わっていきました。

天気に恵まれたこともあり、伊豆は2月とは思えないほどの
陽気に包まれていました。
心地のよい海風を受けながら海岸沿いを南下していくと、下田に到着。
この下田というまちに、私は小さい頃から毎年通っていました。
というのも、以前は下田に親戚の家があったのです。
けれど、訪れていたのは海水浴のできる夏がほとんどでした。
冬の海がこんなに青く澄み切っているなんて、
いままでまったく知らなかったのです。

この日に見た下田の海は、いままで見たことのないくらい輝いていて、
あ~、すごい、と言葉がこぼれるほどでした。
私がぼんやり海を眺めているあいだ、夫と娘は浜辺で貝殻を拾ったり
絵を描いたりして戯れています。
そのふたりの姿を見ながら、想像していました。
もしここに住むことになったら、どんな暮らしができるのだろうか。

移住先を決めるというのは、「こういう土地だから、こういう環境だから」
という単純なことではなく、そのときのいろんな条件や縁が絡み合って、
最終的にあるべきところに収まるのだと思います。
私たちが美杉へ引っ越したのは、年を通してもっとも寒い時期。
東京育ちの私たちが移住するには、あまりにもいままでの環境と
違いすぎたのかもしれません。

けれど、やってみてよかったのです。
きっと、やらないで想像できることはたかが知れていて、
やってみないとわからないことは山ほどあるのだから。

美杉を引き上げたあと、吸い寄せられるようにして伊豆へ向かったのは、
きっと何か縁があるのでしょう。
いま思えば移住を考え始めた当初、夫は伊豆も候補地として考えていました。
けれど、毎年通っていた伊豆に移住するなんて、なんだかおもしろくない。
もっと未知なところへ思い切って移住したいんだ、
そう私が息巻いていたのです。

けれど、美杉へ実際に行ってみていろんなことがあったいま、
馴染みのある伊豆に住むのも悪くないと思い始めています。
それも、美杉での経験をしていなかったら、
きっといまもまだ肩肘を張っていたに違いありません。
伊豆ならば東京までのアクセスもよく、
東京に住んでいる家族にも頻繁に会いに行ける。
夫も私も手応えを感じつつ、伊豆から美杉へと向かうことにしました。

小さい頃漫画家になりたかったという、夫画伯のドラえもんとジャイアン。

稲取の港でちょうど水揚げをしていた漁師さんと立ち話。おいしい魚屋さんの情報を収集。

伊豆の名物、ピチピチとれたて金目鯛。漁師さんによると、この港では一年中金目鯛がとれるのだそう。

ちょうど三重へ向かう途中の名古屋で撮影の予定があり、
ビジネスホテルに一泊しました。
移住先探しの旅を始めてから、家族同行で撮影という
いままでになかった経験をしています。

昨年、奈良での撮影のときには、車中泊をしながら家族3人で出かけました。
撮影中にふと後ろを振り返ると、スタッフに混ざって
娘が私に日傘を差してくれていた、なんてうれしい場面もあり。
プライベートと仕事が混在してすべてがひとつにつながっているこの感じが、
本来あるべき姿のように思えて、私にとってはとても心地がよいのです。

夫婦とも会社を辞めたいま、
家族と過ごす時間は以前に比べ格段に増えました。
個人という単位で暮らしていた私たちが、ようやく家族という
ひとつの群れになってきたのかもしれません。