新居幸治さん 洋子さん
知らない土地ではじまった、服づくり。
東京から新幹線で1時間弱のところにある静岡県熱海市。
かつては多くの文豪も通いつめた、潮風香る温泉街には、
今もレトロな看板や喫茶店が佇む。そんな昭和の香りが漂うまち並みを抜け、
海岸線を横目に、車で10分ほど行くと、ファッションブランド、
「Eatable of Many Orders(エタブルオブメニーオーダーズ、以下エタブル)」の
アトリエがある。
デザイナーの新居幸治さんは、アントワープ王立芸術アカデミーで学び、
同じくデザイナーの洋子さんは、
著名なデザイナー、ベルンハルト・ウィルヘルム氏に師事していた。
ふたりはベルギーで出会い、帰国後、熱海に移り住み、エタブルを立ち上げた。
天然の染料や革など、自然の素材にこだわり、
少しまるみを帯びた独特なフォルムや
シンプルながらもどこか愛らしいエタブルの洋服。
それらすべて、ひとつひとつ素材と製法にこだわった丁寧なものづくりには、
日本はもちろん、海外にも根強いファンが多い。

エタブルのアトリエの玄関。入り口には、コレクションサンプルが飾ってある。

入り口のショーケースにあるのは、幸治さんがひとつひとつ手掛ける木のキーホルダー。
海外で研鑽を積んだふたりが、どうして熱海に拠点を? と伺うと、
「たまたま、なんです」と話す幸治さんは東京都出身、
洋子さんは愛知県出身と、ふたりにとって熱海は全くゆかりのない土地。
「帰国して幸治さんの父親に物件を紹介してもらって、熱海に越して来たんですが、
右も左も分からなくて。まるで海外生活の延長のようなかんじでした(笑)」
と洋子さん。しかも、当時住んでいたのは別荘地だったため、
地域の人との交流もなく、まるで言葉の通じる異国にいるような暮らしだったという。
服のデザインのほかに、バッグなどを制作するのに木工を手がける幸治さんにとって、
比較的東京にも行きやすく、
材料となる木材などが手に入りやすい自然豊かな熱海は魅力的だった。

月に一度、アトリエを開放する限定ショップでは、アーカイブも含めた中から月ごとのテーマにあわせたラインナップが並ぶ。

革加工をする机。たくさんの道具が並ぶ。
しばらくは、住まいをアトリエと兼用しながら制作に没頭していたふたりだったが、
熱海での暮らしが1年ほどすぎた頃、古くからの住人も多い、
上多賀というエリアで見つけた古民家を改装し、アトリエを構えた。
「それなら、このアトリエで期間限定ショップを開いて
地元の人や東京からのお客さんを招こうってなったんです。
期間限定ショップの名前は『山猫軒』。
それまで、私たちから地元の人たちに何かアプローチすることはなかったから、
近所にお住まいの方も、何をそんなに一生懸命こしらえているのかって
不思議に思っていたんじゃないかな(笑)。
でも、このイベントのおかげで各集落に私たちの洋服の顧客ができたり、
地元に住む家具作家さんやグラフィックデザイナーさん、
画家の人などと知り合えたのはとてもよかったですね」と洋子さん。
幸治さんも「最初は自分たちの制作現場を見せるということに
少し抵抗もあったんです。でも、少しずつ意識が変わってきて、
いまは月に1度アトリエを開放して「山猫軒」をオープンしたり、
熱海でも、ファッションショーを行うようになったんです」と話す。

この「ハンガーバッグ」の誕生がブランドの立ち上げとなった。今もひとつひとつアトリエで手づくりされている。

左が幸治さん、右が洋子さん。アトリエの奥にはこれまで制作したバッグや靴が並ぶ。
熱海花柳界が花開いた舞台で、今季のショーを開催。
アトリエを開放し始めたり、プライベートでは子どもが保育園に通いはじめたりと、
エタブルのふたりにとって、知らない土地だった熱海が、
少しずつ、なじみ深いものに変化してくる。
そんなとき、熱海らしい場所でファッションショーをやらないかという声がかかった。
それが昨年の、大正期に建てられた熱海の文化財建築、「起雲閣」でのショーだった。
「僕はそういったものが面白いって思っちゃうタイプだから、
軽い気持ちではじめてしまったんですね」と幸治さんは昨年を振り返る。
少ないスタッフでやりくりしながらのショーは、とても大変だったというが、
起雲閣でのショーは好評を博した。続いて今年の5月には多賀神社で、
そして、11月23日には、熱海芸妓見番で行うことになっている。
「神社や有名建造物など、面白い場所でファッションショーができるのも、
協力してくれる方がいる熱海ならではの面白さかもしれません」(幸治さん)

毎週土日には一般にも開放される熱海芸妓見番。芸妓さんの踊りが鑑賞できる。
ちなみに、今回ショーが行われる熱海芸妓見番とは、
芸妓が所属する「置屋」の組合で運営している、演舞場だ。
熱海の芸妓衆が稽古をする拠点でもある。
かつては東京の奥座敷と呼ばれるほど熱海の花柳界は栄え、華やかな歴史を持つ。
もっとも栄えた昭和の全盛期には、1000人を超える芸妓がいたという。
今でも200人前後の芸妓がおり、置屋は約80軒ほどある。
観光事情が著しく変化している昨今で、
熱海の芸妓文化をどう後世に伝えられるのかが
今の課題だと、組合長をつとめる西川千鶴子さんは話す。
「これまでは、寄席や着物の展示会などは開いたことがあっても、
ファッションショーを開催するのは、熱海芸妓見番にとって、初めてのこと。
わたしたちにとっても新しい試みなので、みんなとっても楽しみにしているんですよ」

建物は昭和29年にに建てられた。演舞場入り口には、歴代の芸妓さんの写真が飾られている。

組合長の西川千鶴子さん(芸名:松千代さん)。ちょうちんに明かりが灯ると、一気に雰囲気が高まる。
わたしたちが訪れた日、熱海芸妓見番では、
幸治さん、洋子さんとスタッフの方々が、芸妓さんたちのお稽古の合間に、
慌ただしく舞台での動きや照明などの確認をしていた。

プレススタッフの増崎さんと、今回のショーを手伝ってくれているという、熱海の干物店の若旦那・富岡さんを交えて舞台で打ち合わせ中。
宮沢賢治の著書をブランド名に引用しているエタブルは、
2012年の春夏から、宮沢賢治の著書をシーズンテーマにもしている。
完結の三部作目となる、今季のテーマは『ポラーノの広場』。
洋服に織り込められた物語が、朗読や音楽も加わりながらショーで表現されるという。
とは言え、日本舞踊のためにつくられた舞台で、
自分たちの世界観をどこまで表現できるかが要となる。
「見番の舞台では、細かい決まりごとがたくさんあって、
僕たちの表現が制限されることもあるんです。ただ、
自分たちが大切にしたい世界観を表現したいと思う一方で、その土地でやるからには、
ある程度土着性みたいなものとも向き合っていきたいと、いまは思うんですよね。
来てくれた人が熱海のよさを
少しでも汲み取れるようなものになったらいいのかなと思っています」
と幸治さんは今回のショーに向けての思いを話してくれた。
エタブルの洋服そのままのような、
ゆるやかでかわいらしい雰囲気を纏う幸治さんと洋子さん。
偶然に暮らしはじめた熱海という土地で、
自分たちのブランドの道をゆるやかに追求している。

profile
Eatable of Many Orders
エタブルオブメニーオーダーズ
多摩美術大学で建築を学んだ後アントワープ王立美術アカデミーを卒業した新居幸治と、アントワープ・パリでベルンハルト・ウィルヘルムに師事、バルセロナでの革工芸経験ももつ洋子により、鞄・靴を中心として 2007年にスタート。ブランド名の「Eatable=食べられる」は素材の理解、天然素材の使用、染色工程や革 の鞣しなどへのこだわりを表現する言葉で、そのこだわりが1点1点の商品に表れており、その素材感や独特のデザインを楽しむ顧客が多い。現在、熱海に暮らしながらクリエーションを続け、毎シーズン、パリと東京で展示会を行っている。
information
エタブルのツキイチショップ「山猫軒」
毎月第1日曜日(※月により変更となる場合がありますのでHPなどでご確認下さい)
住所 静岡県熱海市上多賀277(エタブル熱海アトリエ)
JR伊東線「伊豆多賀駅」より徒歩7分
電話 0557-67-0718
熱海芸妓見番ファッションショー
熱海芸妓見番
2012年11月23日(金・祝)15:00開演(14:30開場)
入場料 1.000円
衣装/エタブルオブメニーオーダーズ、スライド原画/小林敏也、音楽 OVERROCKET、
踊り/熱海芸妓、舞台演出/池内万作、舞台美術/近藤正樹、音響/AO
※お問い合わせはエタブルオブメニーオーダーズまで。
