連載
posted:2017.2.21 from:岐阜県飛騨市/白川村 genre:暮らしと移住
sponsored by 飛騨地域創生連携協議会
〈 この連載・企画は… 〉
最近、飛騨がちょっとおもしろいという話をよく聞く。
株式会社〈飛騨の森でクマは踊る〉(ヒダクマ)が〈FabCafe Hida〉をオープンし、
〈SATOYAMA EXPERIENCE〉を目指し、外国人旅行者が高山本線に乗る。
森と古いまち並みと自然と豊かな食文化が残るまちに、
暮らしや仕事のクリエイティビティが生まれ、旅する人、暮らし始める人を惹きつける。
「あなたはなぜ飛騨を好きになったのですか?」
writer profile
Tomohiro Okusa
大草朋宏
おおくさ・ともひろ●エディター/ライター。東京生まれ、千葉育ち。自転車ですぐ東京都内に入れる立地に育ったため、青春時代の千葉で培われたものといえば、落花生への愛情でもなく、パワーライスクルーからの影響でもなく、都内への強く激しいコンプレックスのみ。いまだにそれがすべての原動力。
photographer
Tada
ただ(ゆかい)[千原誠さん]
photographer
Daisuke Ishizaka
石阪大輔(HATOS)[柴原孝治さん]
Uターンして飛騨市で〈kongcong〉を立ち上げた千原誠さんと、
白川村に移住し〈ホワイエ〉を起業した柴原孝治さんに、
飛騨での仕事のつくり方について聞いた。
飛騨市古川町にある〈kongcong(コンコン)〉は、
一見カフェと見間違えてしまいそうなクリエイティブオフィス。
雪を連想させる名前。ともに雪国・飛騨出身でUターンしてきた
千原誠さんと森瀬なつみさんのユニットだ。
クリエイティブディレクターの千原さんは、古川のまちで育ち、高校卒業後、名古屋へ。
25歳頃までは音楽活動をしていて、インディーズながらCDもリリースしていた。
音楽のイベント制作会社の人たちと一緒にイベントをつくり上げていくなかで
広告の大切さやPRすること自体に興味を持ち、広告代理店に入社。
その後は独立してフリーランスでディレクター職に就き、
百貨店のディスプレイ企画や催事のキュレーションなどを手がけるようになる。
この頃には少しずつ「地元、飛騨の魅力を外へ伝えることを、
クリエイティブの力でやりたい」と思うようになる。
また、現在の仕事のパートナーである森瀬さんも、ひと足先に飛騨に戻っており、
当時の仕事から独立しようとしていた。
いくつかのタイミングが重なり、千原さんも家族でUターンすることにした。
そして2016年5月からkongcongをスタートする。
飛騨に来て地ならしすることもなく、移住していきなり自分たちの事務所を始めた。
高校生までいたとしても、飛騨での社会人経験はない。
飛騨に自分のような職種の需要があるのか、
飛騨の人たちが何を大切にしているのかなどもわからない。
「すごく不安でしたよ。だから飛騨に帰ると決めてから、たくさんの人に会いました。
飛騨の人にも、東京の人にも、名古屋の人にも。
僕が『飛騨でこういうことをやりたい』と話すと
『それならこうしたら?』とか『こういう人がいるよ』とか、
みんなアドバイスをくれましたね。
そのなかで出会ったつながりはいまでも残っているし、
話していくうちに自分の考えもまとまって、移住後の仕事の方向性が見えてきたんです」
現在ではさまざまなイベントの企画、ブランディングなど
クリエイティブディレクターとして働いている。
職種としては名古屋時代とそう変わったわけではないが、飛騨での位置づけを考えた。
「働き方や事務所としてのコンセプトはすごく考えました。
ただでさえわかりにくい仕事なので、ちゃんと言葉にすることで、
自分たちのできることや大切にしたいと思っていることを、自分でも再認識し、
関わっていただける人たちに伝えたいと思いました」
千原さんはUターン。その強みは存分に生かしながら、
しかし自分が外から持ってきた視点も忘れないように気をつけているようだ。
「飛騨に暮らすことで、人の結びつきや思いに直に触れられるので
課題は見えやすくなると思うのですが、
その分、客観的な立ち位置でものごとを見ることが難しくなっていきます。
愛着や思いが出てしまうので……。だからバランスがすごく大切だと思っています。
クライアントさんの思いはちゃんと受け止めつつも
アウトプットするときに自分が客観的な立ち位置でどう魅力を引き出せるのか。
この仕事の一番の難しいところでもあり醍醐味でもあります」
「クライアントさんとの距離が物理的に近いので
電話しているうちにオフィスに来ちゃったり、突然やって来たりすることもありますが、
これは僕とクライアントさんの気持ちの距離感みたいなものが
ぐっと近くなったことでもあります。
意外ですが、結果として信用していただける部分も増え
ミーティングなどの時間が全体的に減りました」
直接的に会って話すことが多くなるのが地方での働き方。
だからこれまでの時間の使い方とは大きく変わるだろう。
「午前中に資料整理しようと思っていたら、年賀状のつくり方がわからないとか、
野菜を持ってきたよとか、訪問客が結構来ます。
名古屋で仕事をしていたときは基本的に、
自分ひとりであれこれ考えて働いていましたが、
飛騨に来てからは、子どもと過ごしたり、
いろんなことを妻やなっちゃん(森瀬)に相談したり共有することで、
作業の効率が格段に上がりました。
名古屋にいた頃には、考えもつかないやり方でした。
kongcongはデザイナーも妻も子どもも含めてkongcong。
飛騨に来てクリエイティブをする環境として一番大切な場所になっています」
kongcongとして、飛騨での具体的な仕事を教えてもらった。
まずは〈JAひだ〉との仕事。
JAひだはこれまで年に100回程度もワークショップやイベントを企画していたが、
もっと若い世代の人にもこの活動を知ってほしいという相談がきた。
そこで期間限定カフェイベント〈LOL -Laugh out Loud in Hida-〉を企画。
若者を呼ぶには若者を知ることからということで、
農業を料理の側面からわかりやすく伝えながら、
空間やデザイン、プロダクトなどのライフスタイルを
飛騨で活躍する人たちとともにつくることで、クライアント自身も学びながらPRした。
「実際、本当の始まりはこれからだと思っています。
たくさんの課題が見つかったことで今度はそれをどうしたらクリアできるか。
僕自身、クライアントさんも含めて一緒に向き合っているところです。
まだまだ道半ば! というのが本当のところです」
古川では毎年1月15日に〈三寺まいり〉という300年以上続く伝統行事がある。
文字通り古川にある3つのお寺をお参りするもの。
雪で覆われたまちが、和ろうそくや雪像ろうそくで灯され、幻想的な風景になる。
これをきっかけにした、通年楽しめる仕掛けを考えたいという仕事を受けた。
そこで「きつね火レッド」「春祭りピンク」「大銀杏イエロー」「白壁モノトーン」
などの、古川のまちをイメージしたお守りを用意。
来た人はそれを購入し、お寺にあるスタンプを捺し、
願いごとを書いてお守りに入れる。この仕組みが3月から始まる。
これで年1回の三寺まいりのアピールにもなるし、通年訪れるきっかけにもなる。
「ちゃんと機能するものをつくりたいと思って、客観的な目線は大切にして考えました。
このご相談については主体者の方はすごく熱意を持っておられたので、
あと大切なことは“外の目線”かなと、何となく感じました。
どちらかに依存して進めるのではなく、一緒に悩んで一緒にぶつかること。
継続的に続けたいと思ったので、いまはそうやって一緒に
“あーでもないこーでもない”と準備しているところです」
千原さんにとって、飛騨に移住して得た一番の財産は
「家族や仕事仲間とコミュニケーションする時間が増えたこと」だという。
本人がそうであったように、子どもにもこのまちを好きになってもらいたい。
そのために飛騨をおもしろい場所にしていきたい。そんな野望で道を拓いていく。
information
kongcong
■『グッとくる飛騨』では、こちらのインタビューも↓
市の就農パンフレットにもデザインを、飛騨市が仕掛ける明るい就農支援
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〈白川村地域おこし協力隊〉での3年の任期を終えたばかりの柴原孝治さん。
現在はそのまま白川村に残り、自分の会社での活動を続けている。
実は協力隊を卒業してから起業したのではなく、
協力隊に所属しながら1年目には起業していた。
当初から先を見たプランを持っていたのだ。
柴原さんは大阪出身。北海道の大学に進み、大手通信会社に就職した。
東京で6年、名古屋で2年半勤務。
いつかは自分で事業を立ち上げてみたいと考えていた。
「都会でくすぶっている若者と、若者が足りない地方を
つなげる仕事ができないかなと思ったんです。
当時、地域おこし協力隊という制度自体まったく認識していませんでした。
単純に職種として僕が思い描く仕事ができそうだと思い、
普通の求人に応募した感覚で白川村に来ました」
たまたま転職先が協力隊という枠組みだっただけというのが、
気負いがなくておもしろい。地域貢献というだけでなく、
「ビジネスをしに来た」という目線は忘れずに持っていた。
「白川村に来てみたら、山も川も、スキー場もキャンプ場もあるし、温泉もある。
こんなにいい素材が揃っている。ここでダメだったら、ほかの場所でも
ビジネスはできないだろうと思うくらい白川村の可能性は感じていました」
白川村地域おこし協力隊では、南部地域活性化の担当になり、空き家対策を始める。
3年の任期で10軒ほどの空き家を貸したり、売ることができた。
自分たちで直して、シェアハウスやお試し移住体験の施設にしたものもある。
直接的に移住者が増えることにもつながり、移住予備軍の興味喚起にも一役買っている。
「最初から、協力隊の任期が終わったあとにどうするかということを想定していました。
やるならできるだけ早く挑戦して、失敗するにしても早いほうがいい。
だから協力隊に入って半年後には、一般社団法人〈ホワイエ〉を起業したんです」
ホワイエの事業として、まず〈旧花植家〉の活用がある。
村がリノベーションして教育施設として使おうとしていた施設で、
ホワイエがより活用されるような新たな提案をし、村から運営を請け負うようになった。
学びの場という原点からぶれないように、
現在は3つの大学と契約し、年間で使用料をもらっている。
村からの指定管理費は発生せず、大学からの使用料で運営費を捻出しているという。
「できるだけ使われるように考えました。
地域学を学んでいるような学生たちに、
短期間ここで実際に暮らして働くという研修を通して
単位を与えるというような試みも大学と交渉して始まりました。
今年度は1名の実績があり、来年度はもっと増やしていきたいです。
旧花植家がより使われて、学生にとっても価値があり、
学生インターンが来て地域もうれしいという
サイクルを生み出していけると思っています」
住宅や不動産以外にも、メディア運営にも乗り出した。
過去にほかの協力隊メンバーがローンチしたはいいが、
うまく運営できていなかった地域ウェブサイト
『SHIRAKAWA-GO AROUND』を再始動させた。
「村の住民に、編集やライターをお願いする“村民ライター制度”を考案しました。
編集長も村民。そこで世界遺産だけではない村の魅力を記事にしています。
さらに派生して、“旅館の大将と一緒に山菜を採りに行って調理してもらう”など、
村民だからこそ知るスポットをガイドするツアーを企画しています」
このように、いろいろなことをやっていく根本は
「こういうのがあったらいいな」というシンプルな発想。
自分がおもしろいと思うかどうか。
「会社員時代に閉塞感があったという自覚はありませんが、
それでも会社員は“おもしろいか、おもしろくないか”では判断できませんよね。
だからいまは、給料をもらっていないし雇われているわけではないので、
おもしろいと思うことをしています」
興味が湧くことに飛び込んでいく。それは本来ならば地方はやりやすいはずだ。
柴原さんは「地方は起業しやすい」という。
「田舎だからアレがないコレがないというのは、
視点を変えればすべて仕事の種ですよね。それが見えるかどうか」
たしかに「必要は発明の母」だ。見えていないという理由のほかにもうひとつ、
やっても意味がないと考えていることもある。
「何をやろうとしても、地方は数の原理で考えると儲かりません。
たしかにマス相手の大きなことはできないかもしれません。
でも逆に、手を出している人がいないからやりたいことができます。
ライバルがいませんからね」
本来やりたいことがある人には、いい環境であるはず。
しかし白川村は、観光と建設で良くも悪くも成り立ってしまっている。
だから自分たちで何かを始めようというのは、少数派だ。
「動ける人が少なくマンパワー不足だから、行政も連携先に困っているんですよ。
きちんと結果を出していけば、アレもコレもと仕事がきます。
もう少し好きなことをやりたいという人に集まってきてほしいですね。
そうすればいずれおもしろい波になると思います」
盛り上がっている地域には大体、先駆者がいて、
その人を目指してまた人が集まってくる。人が人を呼ぶのだ。
柴原さんのような先駆者がいれば、これから白川村にも人が集まってくるかもしれない。
「そのためには、続けること。続けるには自分が楽しくないと続けられません。
だから楽しそうという観点で選んでいくしかありません」
「都会に比べて特別なことをやっているわけではありません。
僕自身も当初は難しく考えていました。
もっともっと仕事のハードルは高いと思っていました。
しかし実際のローカルの現場は、完成度よりも、
動いてくれる人を純粋に求めているんです。
一生懸命やっていれば、みんな感謝してくれる。その積み重ねです」
きちんとしていないと商売として成り立たない、なんてことはないようだ。
移住して、畑違いの仕事にも就かなければならないこともあるだろうが、
やってみればなんとかなりそうだ。
「たしかに一歩踏み出さないとわからない。肌感覚でわかることです」
地域おこし協力隊を、ひとつのビジネスと捉えていた柴原さん。
自ら仕事を探していくことで、生きていく術を見つけた。
地方には起業の種はたくさんある。それを楽しんで暮らしている。
information
一般社団法人ホワイエ
SHIRAKAWA-GO AROUND
■『グッとくる飛騨』では、こちらのインタビューも↓
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