連載
posted:2024.12.28 from:千葉県南房総市 genre:暮らしと移住
〈 この連載・企画は… 〉
南房総の鋸南町に移住した筆者が、房総半島に移住してユニークな活動を展開する人々を訪ね、
彼らがどのように地域に根ざした活動を行っているのかを取材。これからのカルチャーを育んでいくための場や
地域内外の人々が交流する機会をつくる、その可能性を探ります。
writer profile
Masaharu Kuramochi
倉持政晴
くらもち・まさはる●1975年大阪生まれ、京都~千葉~兵庫~東京育ち。2023年より地域おこし協力隊の制度を利用して千葉県安房郡鋸南町へ移住。現在は房総半島拠点の企画制作プロジェクト〈区区往来(まちまちおうらい)〉を主宰。2021年に閉館した〈アップリンク渋谷〉(旧名:UPLINK FACTORY)では1999年から 2020年までイベントの企画を担当し、国内外の独立系文化やアンダーグラウンド文化に焦点を当てたさまざまなイベントを開催した。バンド〈黒パイプ〉のボーカル。最近のDJ名義は「memeくらげ」。青林工藝舎の隔月漫画誌アックスにて「ル・デルニエ・クリの人びと」を連載中。
区区往来
南房総エリアに暮らす人々は日常的にそれなりの距離を移動します。
そりゃそうでしょ、車社会なんだから……と言われると元も子もないのですが、
特に週末になれば大抵どこかのまちでマルシェが開かれていますし、
南房総エリアに点在するユニークなお店や場所も週末中心の営業だったりするので、
皆さん、仕事のない日こそ、より活発に動き回っているのではないでしょうか。
オールインワン、つまりひとつの場所にすべてが揃っているということが
決して当たり前ではない環境だからこそ、
必要なものはとにかく自分で取りにいくというライフスタイル。
新参者の自分にとっても1時間を超える車の運転はまったく苦にならないどころか、
むしろ南房総エリアを起点とする自分専用の移動ルートを
カスタムしていくようなおもしろさを日々感じています。
とはいえ、当然ながら僕がそんな南房総流の動き方を初っ端からできていたはずもなく、
コツを掴むまでにはやはりそれなりの時間を要しましたが、
僕の脳内マップの面積とアイデアの振り幅は、
あるカフェで開催されていたイベントに参加したことがきっかけとなり、
さらに広がることとなりました。
僕が住んでいる内房の鋸南町と外房の鴨川市を横一文字に結ぶ長狭(ながさ)街道、
その起点として知られる横渚(よこすか)交差点の角に建つ雑居ビル内に
〈カフェ・カルトーラ〉があります。
ここでは2か月に1度、日曜の夜に「夜の音楽鑑賞会」が開かれています。
その内容は至ってシンプルで、それぞれが持参した2曲を参加者全員で聴くというもの。
ただしルールがひとつだけあって、毎回設けられているテーマに沿って
選曲するということ。
例えばある回のテーマは「地名」で、18名の参加者によって選ばれた
さまざまな地域にまつわる音楽が全36曲、リレー形式でかけられました。
The Lounge Lizards『I Remember Coney Island』、
馬喰町バンド『わたしたち』、SANTANA『They All Went To Mexico』、
北島三郎『風雪ながれ旅』、Caetano Veloso『Sampa』、
宇多田ヒカル『Somewhere Near Marseilles~マルセイユ辺り』、
Europa『Black Magic』……といった具合に、
選曲された音楽のジャンルも年代もバラバラで、
音源の再生メディアもCD、レコード、カセット、スマホと何でもあり。
僕は渚ようこ『新小岩から亀戸へ』と
中井昭・高橋勝 とコロラティーノ『思案橋ブルース』を持って行きました
(偶然ですが、帰宅後にこの日が渚さんの命日だったということに気づいて
とても驚きました)。
自分の好きな音楽を聴くためにライブハウスやクラブへ遊びに行く。
DJを頼まれたからレコード屋をはしごしながら選曲について考える。
それは都市部ならではの音楽との出合い方だといえますが、
この音楽鑑賞会は音楽に触れられる機会の少ない南房総エリアだからこそ、
音楽好きたちによってつくられたオルタナティブな遊び場なのです。
同じ音楽を好きな人たちだけが集まっているわけではありませんし、
地元育ちの人も移住者も参加していて、
なんというか特定のコミュニティには見られない風通しの良さが感じられます。
また僕のように鴨川市外からの参加者も多く、
こちらの人たちが自分のまちに閉じこもることなく
南房総エリア全域で遊んでいるという感覚を共有できたことが、
自分にとって重要な出来事だったのでした。
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「カフェの店主と話しているうちに
“読書会のようなことを音楽でできないですかね?”という話になったのかな。
みんなで集まって読んだ本の話をする、その音楽バージョンをやろうよと。
当初は自分たちの選曲が中心で、来てくれた人に
“勝手にかけていいよ”とか言ってたんだけど、
だんだんと音源持ち寄り制の参加型になっていった。
でもそのほうがすごくおもしろくて、広がりを持てたんですよね。
なんだか不思議な会だよね。
素朴だし、世代も生き方も、集まっている人が多種多様だし」
そう語るのは、この音楽鑑賞会を
カフェ・カルトーラ店主とともに企画している前田浩彦さん。
2006年に神奈川県から南房総市へと拠点を移した前田さんもまた移住者なのですが、
この南房総エリアにおいては「あわぶっく市」の仕掛け人として紹介したほうが
通りがいいかも知れません。
あわぶっく市は南房総市の丸山地区にある、
中世ヨーロッパ風の外観がおもしろい道の駅〈ローズマリー公園〉で
毎年秋に開催されている、南房総ではエリア最大規模のブックマーケットなのです。
「安房(あわ)地域では僕が移住してから3~4軒の本屋が潰れているんです。
そういうのを目の当たりにしていたから、本屋の代わり……というよりも、
ブックマーケットをやって、このエリアでも本というものを集められないかと思った。
本を選べる場をつくりたかったんです」
あわぶっく市は本好きの有志が集まってできた
〈ぶくぶくコレクティブ〉が母体となり運営されています。
「あわ」は泡ではなく、南房総エリア内の館山市、南房総市、鴨川市、鋸南町の
3市1町を指す昔ながらの地域名「安房」から取られています。
コレクティブのほぼすべてのメンバーが安房地域に分散して住んでいたために、
この名前が採用されたのだそう。
僕もこのあわぶっく市に今年初めて出店者として参加させてもらったのですが、
最初に売れた本は、冗談のつもりで持って行ったX『BLUE BLOOD』のバンドスコア。
照れくさそうな表情でその本を手に取ってくださったのは
僕よりも年上と思しきお姉さんで、なんというか
土地柄というものを感じてしまいました(館山市で週末に流れる夕方の時報が
『Forever Love』だということをご存知でしょうか?)。
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自分のブースに立ち寄ってくれたお客さんひとりひとりとお話をしていると、
地元の皆さんこそが、年に1度のこのあわぶっく市を
本当に楽しみに待っているんだなということが伝わってきます。
会場内には安房地域~南房総エリアのみならず
県北からも集まった約30組の出店者たちによるブースが所狭しと立ち並び、
加えて安房地域内で飲食に関わる人々による9組のフード出店もあって、
当日は雨模様であったにもかかわらず、
10時の開場から15時の終了時間まで絶えず賑わっていました。
また「なぜこの時代に本屋なのか」と題されたトークショーや、
〈あわずんぬ〉なるコレクティブによるパフォーマンスも行われ、場を沸かせていました。
「移住者だけの集まりではなくて、本を媒介にすると実際にいろいろな人が集まる。
こういうことをやっているとよくわかるんだけど、
本を手に取って買うという行為だけで人同士の距離が縮まるじゃないですか。
価値観の共有というか。それぞれの出店者もそういうのが楽しいと思って
参加してくれていると思うんです」
前田さんはこのあわぶっく市だけではなく、「夜の音楽鑑賞会」の元ネタとなった
読書会「非資本主義の可能性をさぐる~大人の読書会まるやま」という
刺激的なタイトルの読書会を、同じく丸山地区の〈古民家ギャラリーMOMO〉で
毎月開催していたり、週末になれば〈ひまつぶしがらん堂〉と名乗って、
マルシェやイベントへの出店も精力的に行っています。
さらには木更津市のカフェ〈Grumpy(グランピー)〉、
南房総市のテイクアウトカフェ〈ちいさなおうち〉、
いすみ市のカフェ〈LIVInG HAPPILY (リビング ハピリー)〉、
富津市の〈SANGA Soba & Coffee STAND(サンガ・ソバ&コーヒー・スタンド)〉
といった千葉県内に点在する、カルチャーの香りがプンプンする飲食店の中に
本棚をつくり、定期的に本の入れ替えを行っています。
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南房総エリアを拠点としながら、実店舗を構えることなく、
あらゆる場所で人と本が出合う機会をつくり続けている前田さんのこのような活動は、
つかみどころがなく飄々としているように見えて、
やはりその根っこには本を扱うための確かな見識とスキルがあります。
前田さんは90年代半ばから2000年代初頭まで、
東京は新宿2丁目にある老舗独立系書店〈模索舎〉の舎員として、
社会運動、思想、哲学、サブカルチャー、映画、音楽、漫画、
そして機関紙やミニコミといったさまざまな本に囲まれる日々を送っていました。
「あそこは持ち込まれたものはなんでも拒否しないんです。
いまやっている人たちのことはわからないけど、
俺がいたときはそれがテーゼというかスタンスだったんですよ。
それで舎員が悩むというのが定例で。“これうちで扱っていいのかよ?”とか(笑)。
自分の趣味じゃないものも扱うわけじゃないですか。
でも、なんでそんなことをやってたかというと、ミニコミ……いまでいうzineだけど、
当時はそういうものは本屋では扱われなかったんですよね。
だったら自分たちでその場所をつくろうというところで始まっているので、
それだけは譲れなかった」
僕自身も模索舎の現舎員が知人ということもあって、
毎日がイレギュラーな休日のようだったコロナ禍の頃には、
新宿1丁目の〈IRA(IRREGULAR RHYTHM ASYLUM)〉にあるリソグラフで
zineを印刷して袋詰めし、その足で模索舎に納品するというのがお決まりのコースでした。
初めて訪れる者の目を奪う、あの情報過多で“制御不能”な本棚の群れが生まれた理由が、
来るもの拒まずを地でいく模索舎の伝統にあったとしても、
自分に必要な場や機会を自ら拓き続けてきた前田さんの発想力と
行動力そのものの原点は、意外というかやはり音楽の現場にありました。
「〈ウラワ・ロックンロール・センター〉(URC)っていう音楽プロデュース集団がいて。
浦和って昔から“市民運動と音楽”が盛んで、自ら場を耕すようなところがあって、
自分たちで何かしようという意識のある人が東京よりも集まってた。
中学から埼玉に住んでいたんだけど、大学生の頃、
URCにメンバーとして関わるようになって、そこでイベントのイロハを知ったんです。
そこにいたメンバーが模索舎に入って、ぶらぶらしてた俺を模索舎に勧誘してくれた。
URCではそれこそ雨のなか、野外でコンサートの企画をしたり。
だから雨だろうがなんだろうがどっかで大丈夫だろうという経験値があるんです(笑)。
やっぱりそういうときってスタッフがぎゅっとなるんだよね。
何か難しいことに直面したときに、人っておもしろくなる。
その醍醐味はURCで知ったのかもしれない」
前田さんは模索舎を離れたあと、横浜の地域作業所に勤めたことがきっかけで、
障害者支援の仕事に初めて接したのだそう。
その後、南房総市へと移住してからも福祉の仕事に関わりながら、
前田さんならではの本との関わり方を続けています。
そんな前田さんにも、手本となる先達たちの存在があったのだといいます。
「昨年のあわぶっく市では鶴田静さんに参加していただいたけど、
彼女なんかは最初期の移住者というか、自分の庭でマーケットをやったり、
パイオニア的な存在。ベジタリアンの研究で有名な方で、
それこそ70年代カルチャーでよく名前が出てくる憧れの人だったから、
ご本人から“出店したい”とご連絡いただいたときは“やったー!”って。
南房総には移住者の先人たちがいたし、やりやすい土壌もあったんですよね。
別に自分が最初から耕すというわけでもなく。
自分がやりたいというか、必要なものがなけりゃつくればいいんだよね。
それこそ、学生時代に無償でドロドロになってコンサート企画とかやってたから(笑)。
これでいくら儲けてやろうという気はさらさらないんで、
自分たちの生活が崩れない程度に持続してやっていけたらと」
都市型のカルチャーをそのまま南房総エリアにぶちまけてみても、
果たして前田さんのようなユニークな動き方ができるかといえば
必ずしもそうではないでしょう。
それぞれが好き勝手に動き回り、それぞれの地図が重なり合うことにより
育まれていく人のつながりのなかからこそ、
その土地になかったものやみんなが必要としている場や機会というものが、
いまの時代の用途に沿うかたちで自然現象のように立ち現れてくるのではないでしょうか。
そもそも人にやれと言われてやっていることじゃないんですから、
楽しくやっていきたいものです。
「いま部屋が本で埋まっているけど、レコードも含めて根づいちゃいましたね。
それまでも後生大事に持ち歩いていたんだけど。もう引っ越しできないね(笑)」
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