連載
posted:2013.8.31 from:香川県高松市塩江町 genre:ものづくり
〈 この連載・企画は… 〉
伝統の技術と美しいデザインによる日本のものづくり。
若手プロダクト作家や地域の産業を支える作り手たちの現場とフィロソフィー。
editor's profile
Kanako Tsukahara
塚原加奈子
つかはら・かなこ●エディター/ライター。茨城県鹿嶋市、北浦のほとりでのんびり育つ。幼少のころ嗜んだ「鹿島かるた」はメダル級の強さです。
credit
撮影:嶋本麻利沙(THYMON)
高松市内から40 分ほど、山のほうへ車を走らせる。
陶芸家の田淵太郎さんは、徳島県との県境のまち、塩江(しおのえ)町に窯を構える。
小鳥の声や沢の音が聞こえる、
静かな山間の傾斜地に建てられた古い民家が田淵さんのアトリエだ。
改装したときにつくったという縦長の窓からは、向かいの山が見え、
木々のグリーンがとてもきれい。
薪が比較的入手しやすく、山のなかに工房を構えた。
「やっぱり自分のふるさとの風景って好きなんですよね。
発表する場所は選んでいくべきだと思うけど、
制作する場所は、なるべくストレスのない、
自分の居心地のよい場所でやるほうがいいかなと思ったんです。
考えた結果、自分のいちばん好きな場所は香川でした」
田淵さんの器は、白を基調に、淡い紫のようなピンクのような色がほんのりつく。
どこか、不思議な魅力を持っているその色は、
岐阜県から取り寄せる白磁の土で、薪窯でサヤを使わずに焼いているからだという。
本来、白を美とすることが多い白磁は、
窯の中で薪の灰がかからないように、サヤと呼ばれるもので守り焼く。
しかし、田淵さんの場合は、サヤで守らず、
陶器と同じように灰の影響だけで風合いをだしている。
「これ、加藤委(つぶさ)さんのところで焼かせてもらった、20 歳のときの作品です」
と田淵さんは奥から大きな焼き物を持ってきた。
「本来白磁は繊細に、端正に焼くものなのに、
薪の窯で白磁を焼くと汚れたような雰囲気の景色が生まれるというのが
とても新鮮でした。 直感で、もうこれだって思ってしまったんです。
当時大学で陶芸を学びながらも自分のビジョンが全然見えていなくて。
これを続けた先に何かがあるような気がして、
それで、まずは、自分の薪窯をつくろうと思いました」
香川に戻ってきた田淵さんは、
ひとつひとつレンガを積み上げて薪窯をつくった。
「最初はものにならなかったですね。全然きれいに焼けない。
白磁を自分の薪窯で焼くためにいろいろ準備してきて、
あのときの作品に近いものは焼けるようになったんですが、
物足りなくなってしまった」
実際、薪窯ができたのは、田淵さんが30 歳になってから。改めて見ると、
もう20 歳のときに思い描いたものでは納得がいかなくなってしまった。
「白磁をわざわざ薪窯で焼く意味を痛感させられました。
ただ、白い粘土を薪窯で焼けばいいわけではない。
それって、白磁の原点みたいなところですよね。
昔の陶工たちは、そこから、より白くて美しいものをと追求してきた結果、
白磁は仕上がった。 ぼくはそれを逆行していたわけなんですが、
ただ、原点回帰をしたところで新しいものは生まれない」
釉薬の種類、配合の割合、なでさまざまな方法を試しては、
ノートに記入。そして、また試す。まさに、試行錯誤の3年間。
そして見つけた、田淵さんの色。
「どの釉薬の調合が、土と火と相性がよいのか、
もうそのへんは化学なんですね。
調合のバランスが少しでも違うと色の出方が全然違う。
その時の薪によっても異なるし、窯のなかの置く場所によっても全然違う」
簡単にコントロールできない。
石の上にも3年と、ことわざが言うほど現実はやさしくない。
くじけそうになることは無かったのですかと伺うと、
「くじけますよ! でもくじけたときには、遊びに行って忘れるんです。
イカ釣りにいったり、食事にいったり。
でも、遊び続けると、“何やってるんやろ”って、結局ここに戻ってくる。
うまくいかなくても、いろいろ焼くなかで、
よさそうなものが何個か生まれてくるんですよ。
それを拾い集めていっただけな気がしますね」
「炎って一方通行なんです。
焚き口の奥に作品を並べて、その先に煙突がある。
焚き口から燃え上がった炎が器にあたったところは、
ピンクっぽくなって、炎があたらない裏側は色の変化がない。
炎の動きがそのまま器に表れるんです。この変化が薪窯独特の魅力ですね」
だからこそ、また何か新しいものが生まれてくるんじゃないかと
窯に火を入れるたびに思うのだという。
「今でもどういうものが焼けてくるのかわからない所は多いですよ。
焼き物って、経験値を必要とする一方で、
自分の手の届かないところ仕上がる。窯出しの時まではわからんのです」
ようやく自分の色が見えてきた田淵さんだが、
ひとつの方向性が見えてくれば、また新たな目標が生まれる。
「展覧会を重ねていくと、見る人は前のものと比べるでしょう。
毎回同じには焼けません。うまく焼けないってことが続いても、
見に来てくれる人は前以上にきれいなものを求めている。
今のほうがしんどいかもしれないですね(笑)」
と田淵さんは苦笑するも、インタビュー中、
「まだまだ何かできそうな気がするんですよ」
という言葉が何度も出てきた。
自分でコントロールできない難しさとその面白さ。
火と向き合いながら、生まれる淡い色の美しい焼き物の先には
何が待っているのか。
「焼き物って面白いんですよ。この魅力を伝えるのは、
器だけじゃないかたちもあるのかもしれないって思うときもあります。
器でしか表現できないこと、器では表現できないこと。
またいろいろな実験をしながら可能性を広げていきたいと思っています」
profile
TARO TABUCHI
田淵太郎
1977年香川県生まれ。2000年大阪芸術大学工芸学科陶芸コース卒業、2003年第21回朝日現代クラフト展 優秀賞、2005年第7回国際陶磁器展美濃 入選、2007年高松市塩江町に穴窯築窯、2013年香川県文化芸術新人賞受賞。
個展では、2003年高松市塩江美術館(香川)、2004年INAXガレリアセラミカ(東京)、2005年灸まん美術館(香川)、2008年ギャラリー道(大阪)、高松市塩江美術館(香川)、2009年あーとらんどギャラリー(香川)、陶林春窯(岐阜)、2010年エポカ ザ ショップ銀座 日々(東京)、ギャラリー器館(京都)、2011年エポカ ザ ショップ銀座 日々(東京)、2012年エポカ ザ ショップ銀座 日々(東京)、灸まん美術館(香川)、2013年萩の庵(徳島)がある。パブリックコレクショに、高松市塩江美術館・世界のタイル博物館・Clark Center for Japanese Art & Cultureがある。
>>田淵さんの作品を扱っている、高松市のセレクトショップ「まちのシューレ963」にもお邪魔しました。その様子は別冊コロカルでどうぞ!
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