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湯町窯/布志名焼

ものづくりの現場
vol.012

posted:2012.12.17   from:島根県松江市  genre:ものづくり

〈 この連載・企画は… 〉  伝統の技術と美しいデザインによる日本のものづくり。
若手プロダクト作家や地域の産業を支える作り手たちの現場とフィロソフィー。

writer's profile

Tomohiro Okusa

大草朋宏

おおくさ・ともひろ●エディター/ライター。東京生まれ、千葉育ち。自転車ですぐ東京都内に入れる立地に育ったため、青春時代の千葉で培われたものといえば、落花生への愛情でもなく、パワーライスクルーからの影響でもなく、都内への強く激しいコンプレックスのみ。いまだにそれがすべての原動力。

民芸を受け継いだエッグベーカーのある風景。

JR玉造温泉駅をおりて、歩いて1分ほどで現れる古い風情を残した陶芸の工房。
店内には商品が所狭しと、重なり合いながら並べられている。
商品を飾り立てるようなディスプレイというよりも、
実用のための陶器をありのままに陳列している店舗であることがわかる。
ここは布志名焼を製陶している湯町窯。
奥には工房もあり、現在は3代目の福間琇士さんと4代目の福間庸介さんが
器や茶碗づくりにはげんでいる。

雑然と並べられていても、どこか美しさを感じさせる食器たち。

島根県の布志名という宍道湖岸で江戸時代にはじまり、
伝えられてきた布志名焼。来待(きまち)や凝灰岩(ぎょうかいがん)といった釉薬の原料、
そして土台となる土が近くで取れることもあり、
この地で陶芸が興ったのも必然だったのかもしれない。
そのなかで、湯町窯は大正11年11月11日に開窯。
初代の福間善蔵さんは主に火鉢をつくっていた。当時は暖房としてのほかに、
炭火を使ったり、灰皿にしたりと生活必需品だったという。

洋風のカップも湯町窯の特徴。持ちやすいハンドルが付けられたマグカップは人気商品だ。

昭和6年、2代目の福間貴士さんは、島根を訪問した柳宗悦と出会う。
そして彼が起こした民芸運動の哲学に共感し、参加することになった。
昭和9年には、日本の民芸運動にも関わっていた
イギリス人陶芸家バーナード・リーチが湯町窯をたびたび訪れて、
彼に伝授されたつくりかたで、洋食器もつくり始めた。
「黄色は黄釉(おうゆう)、青は海鼠釉(なまこゆう)という釉薬を使っています」
と琇士さんがいうように、洋食器なのにどこか懐かしい雰囲気が漂うのは、
湯町窯独特の色合いがあるからかもしれない。

白い黄釉は、黄色に変化する。

バーナード・リーチはエッグベーカーや、スリップウェアという技術も伝えた。
エッグベーカーは、今でも湯町窯の軸となる商品だ。
目玉焼き専門の陶器で、卵を割り入れ、蓋をして、
わずかに数分火にかけるだけ。あとは余熱で火が通る。
これでつくった目玉焼きはとてもやわらかく、ふんわりしている。
湯町窯でごちそうになった目玉焼きは、
これまでの目玉焼きが何だったのかと思うくらいに、食感が違っていた。
「高級な卵なんてつかっていません。普通のものです」という。
あとで何度か挑戦したが、自分の好みの火加減や時間さえ見つけてしまえば、
何も難しいことはなく、毎朝が贅沢な時間になる。
しかしこれを最初につくったのは、ガスがない時代の昭和9年。
「炭で調理していたので、難しかった」というが、
だからこそ余熱で調理していくという手段が適していたのかもしれない。
エッグベーカーに魅せられたひとりに、棟方志功がいる。
彼は民芸運動を通して湯町窯を訪れて交流を深め、
今でもエッグベーカーの使い方のしおりやショッピングバッグには、
彼の版画が使われている。

卵を贅沢品にする、魔法のエッグベーカー。

エッグベーカーなどに描かれている独特の模様は、
西洋でみられたスリップウェアと呼ばれる技法で描かれ、湯町窯らしさが表現されている。
どろどろの粘土状の土で飾りを描いていく。
スポイトに入れて模様を描けば、自由度も高い。
「かつて日本では筒書きと呼ばれていた技術です。
細かく描くこともできるし、大胆な柄にすることもできます」

釉薬をひとつひとつ手作業でかけていく。どんな色の仕上がりになるか楽しみだ。

海鼠釉というグレーの釉薬は、焼くと渋い青になる。

2代目の貴士さんが民芸運動に傾倒し、
3代目の琇士さんもその方向性を継承する。
「民芸という言葉をあまり意識しすぎないようにしています。
そういう意味では柳先生のおっしゃることを100%実行しているわけではなく、
はずれたものをつくっているかもしれない。
でも現代にあわせた民芸を提案していけば、
新しい実用品が生まれると思っています」
柳宗悦が提唱した民芸運動は、昭和初期のものであり、そのときの実用品。
湯町窯のように、その考え方を脈々と受け継いでいる窯元が、
現代の民芸と呼べる商品を生み出すのかもしれない。

琇士さんの息子の庸介さんが跡を継ぐ。

琇士さんの作陶歴は、18歳からはじめて50数年。
「まだまだ何もできません。努力しなくてはなりません。
一生懸命、真心こめてつくっていますが、楽しむことはできないね」と
琇士さんは笑う。
多いときで11軒ほどあった布志名焼の窯元も、現在では4軒を残すのみだ。
湯町窯では、息子である4代目の庸介さんが跡を継いでいる。
エッグベーカーでできた卵焼きのごとく、
やさしい民芸の心と次世代へ伝承がきちんと息づいていた。

工房には、大量のお皿や器が。あくまで日用品なので、どんどん数をつくりだす。「性分にあっています」と琇士さん。

information

map

湯町窯

住所 島根県松江市玉湯町湯町965
TEL 0852-62-0726
営業時間 8:00〜17:00(平日) 9:00〜17:00(土日祝)

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