odekake
posted:2014.9.18 from:長崎県新上五島町 genre:旅行
〈 おでかけコロカルとは… 〉
一人旅や家族旅行のプラン立てに。ローカルネタ満載の観光ガイドブックとして。
エリアごとに、おすすめのおでかけ情報をまとめました。ぜひ、あれこれお役立てください。
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Ikuko Hyodo
兵藤育子
ひょうどう・いくこ●山形県酒田市出身、ライター。海外の旅から戻ってくるたびに、日本のよさを実感する今日このごろ。ならばそのよさをもっと突き詰めてみたいと思ったのが、国内に興味を持つようになったきっかけ。年に数回帰郷し、温泉と日本酒にとっぷり浸かって英気を養っています。
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撮影:山口徹花
取材協力:長崎県、新上五島町
上五島には29もの教会が現存し、
それらはすべて今も信者たちの祈りの場として大切に守られています。
頭ヶ島天主堂は、上五島でも特に有名な教会のひとつで、
有川地区という、十字架型をした中通島の東端に位置しています。
“十字架の東端”を目指して、
上五島特有の山がちで入り組んだ道を車で走っていくと、
眼下の視界が開けて、えんじ色の屋根の教会が
青い海のほうを向いて立っているのが見えてきます。
前方を海、背後を山に守られるようにしてひっそりと立つこの教会が
なぜ有名かというと、全国でも珍しい石造りの教会堂だからです。
ここで五島のキリスト教の歴史を簡単に紹介しておきましょう。
この地にキリスト教が初めて伝えられたのは、1566年(永禄9年)のこと。
しかし1587年(天正15年)に豊臣秀吉が宣教師追放令を、
さらには江戸時代に入ると幕府が禁教令を発布したことで、
多くの信者は潜伏キリシタンとして生きることを余儀なくされてしまいます。
キリシタンにとって長い受難の時代が続き、
信仰の自由を求めて3000人もの信者が、
長崎の外海地方から五島に移住したといわれています。
禁教令が廃止されたのは、1873年(明治6年)。
厳しい弾圧と貧しい暮らしに耐えてきた信者たちは、
堰を切ったように次々と島内に教会を建設しました。
頭ヶ島教会もそうやって造られた教会のひとつで、
1887年(明治20年)に建てられた当初は木造でした。
石造りの教会堂が着工したのは、1910年(明治43年)。
迫害が終わって島に戻り住んだ信者たちが、
自ら切り出した砂岩をひとつひとつ積み上げて、長い歳月をかけて造られました。
近くで見ると、ひとつの砂岩がかなり大きいことに驚きます。
かなりの重労働だったようで、1日に2、3個しか積み上げられなかったそうです。
しかしキリスト教を堂々と信仰できるようになった人びとにとっては、
その作業すら喜びに満ちていたのかもしれません。
外観がどっしりと重厚な雰囲気なのに対して、内部は「花の御堂」と呼ばれていて、
パステルカラーを基調にした優しい空間が広がっています。
柱を使わずに天井を折り上げて高さを出す、ハンマービーム工法がこの建築の大きな特徴で、
青砂ヶ浦教会と同様に地元出身の教会建築の先駆者、鉄川与助が設計施工を行っています。
折り上げ部分にはかわいらしい白い花があしらわれていて、「白椿」ともいわれています。
毎週のミサで座る場所は暗黙の了解で決まっているようで、
それぞれの席にマイクッションやマイ聖書が。
そんななにげない光景からも、“生きた教会”であることが伝わってきます。
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頭ヶ島天主堂
住所 長崎県南松浦郡新上五島町友住郷頭ヶ島638
開館時間 9:00~17:00
休日 なし
拝観料 無料
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