連載
posted:2016.1.26 from:東京都武蔵野市 genre:食・グルメ
sponsored by 貝印
〈 この連載・企画は… 〉
歴史と伝統のあるものづくり企業こそ、革新=イノベーションが必要な時代。
日本各地で行われている「ものづくり」もそうした変革期を迎えています。
そこで、今シーズンのテーマは、さまざまなイノベーションと出合い、コラボを追求する「つくる」Journal!
writer's profile
Tomohiro Okusa
大草朋宏
おおくさ・ともひろ●エディター/ライター。東京生まれ、千葉育ち。自転車ですぐ東京都内に入れる立地に育ったため、青春時代の千葉で培われたものといえば、落花生への愛情でもなく、パワーライスクルーからの影響でもなく、都内への強く激しいコンプレックスのみ。いまだにそれがすべての原動力。
photographer
Suzu(Fresco)
スズ●フォトグラファー/プロデューサー。2007年、サンフランシスコから東京に拠点を移す。写真、サウンド、グラフィック、と表現の場を選ばず、また国内外でプロジェクトごとにさまざまなチームを組むスタイルで、幅広く活動中。音楽アルバムの総合プロデュースや、Sony BRAVIAの新製品のビジュアルなどを手がけメディアも多岐に渡る。
http://fresco-style.com/blog//
発酵デザイナー。そんな不思議な肩書きで仕事をしている小倉ヒラクさん。
一体、発酵の何をデザインするのだろう。
そもそもは何でもこなすインハウスデザイナーだった。
「ある企業の中で、パッケージや広告、会報誌のダイレクトメールなど、
いろいろなデザインを担当しました。
8年ほど前にその会社から独立したのですが、
もちろんすぐに仕事があるわけではありませんでした。
そんなとき、知り合いから“ヒマなら、秋田で困っている農家のおばちゃんがいるから
話を聞いてあげて”という話がきたんです。
その農家で“こういうチラシをつくってみたら”とか解決策を提示してみました。
すると、その農家の知り合い、またその知り合いから、
わらしべ長者のように仕事がやってきたんです。
気がついたら、東京ではまったく仕事をせず、地方で長靴ばかり履いている。
一次産業とか生態系を取り扱っていて、
どんどん普通のデザイナーのキャリアから逸れていきました。
本当はオリンピックのロゴとかつくるようなデザイナーに
なるつもりだったんですけど(笑)」
今ではトレンドともいえる地域デザイナーの走り。
その流れで、ソーシャルデザイナーとして活動していくことになる。
「当時携わっていたのは、林業関連、田んぼの生態系、
オフグリッドの都市計画などのデザインです。
まだソーシャルデザインという概念すらほとんどないような、黎明期でしたね。
まわりにもそんなことをやっている人はほとんどいませんでした。
しかし現在の状況を見てみると、
数年前からソーシャルデザインというものも普及しているし、
僕よりも才能がある人たちがたくさんいるから、
僕がプレイヤーにならなくても、任せておけば大丈夫だと思ったんです。
正直に言えば、社会に役立つことよりも、自分の好きなことを極めてみようと。
自分にしかできない、長く続けられることをやっていきたいと思いました」
それが発酵の世界。
会社から独立し、ソーシャルデザイナーとして働き始めたと同時に、
発酵の世界にも興味を持っていった。
それは自分の体へのインパクトがきっかけだった。
「体が強くなくて、アレルギー、アトピー、喘息なども持っていて、
免疫不全だったんです。
しかもがんばって仕事して、がんばって遊んでしまっていました。
あるとき、発酵学の神といえる小泉武夫さんにお会いしたんです。
会った瞬間に“免疫不全だね。顔を見ればわかる”と。
続けて“納豆、みそ汁、漬け物を食べたほうがいい”と言われました。
言われた通りにしてみると、どんどん治っていったんですよ。
そこから発酵学に興味をもち、以来、360度ハマっています」
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独立後、発酵に興味を持ち始め、独学で勉強して7、8年。
特にここ数年は、発酵に傾倒していって、〈発酵デザイナー〉を名乗り始めた。
さて冒頭の命題、発酵の何をどうデザインするのか?
あるいは発酵を使って何かをデザインするのか?
「もうソーシャルデザイナーからは卒業した」と言いながらも、
端から見ていると、ソーシャルな動きにも通じることが多く感じられる。
主催している〈こうじづくりワークショップ〉は予約が取れないくらい大好評で、
場づくりやコミュニティづくりにも貢献しているようだ。
が、ヒラクさんの主目的は、こうじや発酵文化を広めること。
手段と目的を取り違えないように注意している。
「場づくりやファシリテーション、人をつなげるという作業は、
僕にとっては結果でしかありません。それよりも純粋に、
“ミクロの自然の力を引き出すと、僕たちは一体どういう社会をつくれるのか”
というプロジェクトを行うのが目的です」
発酵やこうじに興味を持っている層と、
コミュニティ形成などのカルチャーに興味のある層は親和性が高い。
それは時流でもあろう。しかし、いつかブームは終わる。
発酵は「まだブーム」だという。それをムーブメントにしていかないといけない。
新しい社会をつくっていくようなうねりが、
持続力のあるかたちで立ち上がっていくように努力していく。
「ブームというものは、消費が主体です。
ムーブメントというものは、自分が主体的に何かをつくり出すことです。
消費する人が多い段階から、生産する人を増やしていくことが重要です」
このようにワークショップ開催や、絵本の制作、
発酵食品のアートディレクションなどを通して、
発酵デザイナーとしての活動を続けている。
が、最近、ヒラクさんは一歩進んで、ある宣言をした。
「家にこもって菌になります」
1年半ほど前から、これまで独学であった発酵学を大学で勉強し始めた。
個人での勉強は結局、座学でしかないので、実験を通して発酵を勉強したくなった。
さらに、ヒラクさんは山梨の山の上に引っ越している。
なぜなら「菌をちゃんと発酵させたい」から。
寒暖差が大きく、空気がきれいで、水がいい。発酵にいい環境だそうだ。
自宅には、発酵調味料専用冷蔵庫や培養用冷蔵庫など、4つの冷蔵庫を完備。
恒温器もある。菌を見るための顕微鏡や測定器などの機材も揃えた。
下水道がなくトイレは汲み取り式なので、生物分解するコンポストトイレに。
これも実験。
これからしばらくは家での研究に集中するという。
もちろん研究のあとには、
発酵デザイナーなのだから、デザインするという作業が待っている。
「デザインするというのは、わかるようにすること、広められるようにすること。
僕の場合は、つくることと広めることはセットで考えます。
インプットとアウトプットはスパイラルですね。
だから研究したことはデザイン化していかないといけません」
今、ヒラクさんのところには、いろいろな研究所から依頼がきているという。
ITイノベーションの次には、バイオイノベーションの波がきているのだ。
もちろんヒラクさんよりも先行して深めている研究者もたくさんいるのだろうが、
ヒラクさんにはその人たちにはない武器がある。
デザインできるということだ。
どこの世界でも、つくりこむことや深く研究することが得意でも、
広めること=デザインすることが苦手な人たちがいる。
「コミュニケーション能力という点もあるし、みんな狭く深くなんですよ。
いわゆるタコツボ状態。
乳酸菌には超くわしいけどそれ以外は知らなかったり、醤油だけすごくくわしいとか。
僕はわりと横串なんですよ。学会を背負ってない強みですね(笑)」
最近、家で昔のお酒のつくりかたを実験していたところ、
謎の酵母がたまたま入ってきたという。目下の興味深い作業は、その酵母のこと。
「アクシデントで入ってきたそいつの正体をつきとめたい。
そのことを考えると恋心みたいな状態になります。
それを考えていることが幸せです(笑)」
どんどん発酵を研究してその道のマスターになりつつ、
それをデザインにも落としていく。
そうすると私たちにも発酵のことがわかりやすいかたちとして表れてくるだろう。
これが“発酵自体をデザインすること”。
また発酵という日本に馴染み深い文化を使って、
コミュニティを形成したり、日本の食文化の素晴らしさを広めていく。
これが“発酵で社会をデザインすること”。
おそらく世界にひとりの発酵デザイナーが持つデザインの役割は、思いのほか広い。
これまでは食品を中心に活動していたが、これからは領域を拡張していくという。
微生物や菌が社会をどうつくっていくか。未来を感じる“つくる文化”だ。
information
HIRAKU OGURA
小倉ヒラク
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