連載
posted:2016.8.29 from:岐阜県美濃市 genre:ものづくり / アート・デザイン・建築
sponsored by 貝印
〈 この連載・企画は… 〉
これまで4シーズンにわたって、
持続可能なものづくりや企業姿勢について取材をした〈貝印×コロカル〉シリーズ。
第5シーズンは、“100年企業”の貝印株式会社創業の地である「岐阜県」にクローズアップ。
岐阜県内の企業やプロジェクトを中心に、次世代のビジネスモデルやライフスタイルモデルを発信します。
writer's profile
Tomohiro Okusa
大草朋宏
おおくさ・ともひろ●エディター/ライター。東京生まれ、千葉育ち。自転車ですぐ東京都内に入れる立地に育ったため、青春時代の千葉で培われたものといえば、落花生への愛情でもなく、パワーライスクルーからの影響でもなく、都内への強く激しいコンプレックスのみ。いまだにそれがすべての原動力。
credit
撮影:石阪大輔(HATOS)
ユニークで先進的な取り組みをしている森や木工などの事業者が、
〈岐阜県立森林文化アカデミー〉の卒業生であるという話をよく聞くようになった。
しかも岐阜県のみならず全国各地で。
「森林文化を学ぶ」とは、一体どんな学校なのだろう。
森林文化アカデミーは岐阜県美濃市にあり、
森林のことを総合的に学べる珍しい学校だ。しかも県立である。
前身は1971年にできた日本で最初の林業短期大学校。
当時は、現場で木を伐る技術者や森林組合、
製材所などで働くための技術を学ぶ学校であった。
しかし時代の変化をとらえて、木を実際に使う家具、木造建築など、
「森林県」である岐阜の宝を余すことなく使えるようにと、
2001年、岐阜県立森林文化アカデミーとして新たな船出となった。
川尻秀樹副学長が開学当時の思いを教えてくれた。
「以前は、川上と川下が有機的につながっていませんでした。
つまり山側と、その木を使う職人たちが同じ意識を持っていなかったのです。
たとえば飛騨にはたくさん家具職人がいます。
しかしその多くが、岐阜にたくさんの森があるにもかかわらず、
外国から木材を買っています。
広葉樹がないと思っている、もしくは幅の広い木じゃないとダメだと思っている。
一方、山の人は、広葉樹はすべて一緒くたにして雑木扱い。
売れる価値がないと思っているのです。
こうしたことに学生が気づいて、
学校から何かを発信していってもいいと思っているのです」
木を伐る人と使う人、この両者がつながれば、お互いの意識が変わるはず。
「この学校から輩出した人材で、社会の固定概念を変える方法もある」と
川尻副学長は言う。
〈岐阜県立森林文化アカデミー〉には
エンジニア科とクリエーター科のふたつの学科がある。
エンジニア科には高校を卒業した学生が多く入学し、
前身の学校の内容を引き継ぐ林業系を学ぶ。
そしてこの学校の大きな特徴といえるのが、クリエーター科である。
ここを目指してくる学生は、一度社会人を経験している人が多い。
それだけに、明確な目標を持って入学してくる。
今までの最高齢はなんと70歳卒業だそうだ。
「開学当初に比べて現在は、入試を受ける前から、
木育、自然環境、地域課題などの意識を持っている学生が多くなりました」
学生は全部で80人ほど、それに対して教員は常勤だけで17人。
かなり濃密な授業ができる。それだけにかなり実践的なことを学べるのだ。
「投資効率は悪いかもしれませんが(笑)、
こんなにすごい卒業生がいると、胸を張って言えるほうがいいと思っています」
通常の大学、そして大学の延長線上にあるのではなく、
研究や勉学そのものが主目的ではない。
卒業後にどんなことができるか。社会のなかでの役割が重要なのだから。
さらには、学生へ寄り添う姿勢も徹底している。
学生が望むのならば、教員と一緒に調査に行ったり、
自分の専門外であれば専門の先生を呼んできて横断的に授業をつくり上げたり。
中庭から、木を削っている音がしてきた。
見ると、学生の田中菜月さんがひとりでスギの木を削りチップ状にしている。
見守るのは伊佐治彰祥先生。どうやら彼女は燻製の課題研究をしているらしい。
どんな木を、どんな状態で使うと、仕上がりにどう影響するのか。
「一見くだらないように見えるし、林業という視点で言うとあり得ないけど、
新しい木材利用の観点や、価値を提案できればいいと思います。
どんなことでも柔軟に考えていきたい」
いつの時代も「あり得ない」ことから、新しい発想や価値は生まれるもの。
それを一蹴せずに「まずはやってみよう」という姿勢が、
教員たちの間にも浸透しているようだ。
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どんな内容にも対応できるように、
学内には木工機器、乾燥室から品質性能測定器まで、さまざまな設備が整っている。
なかでも大きな役割を持つのが、約33ヘクタールの演習林。
そこから伐り出してきた丸太を板にし、乾燥させ、家具や建築物に使う。
一連の作業がすべて、学校内で可能なのだ。
木を伐った後はもちろん植えないといけない。
間伐や下刈りなど、山の手入れも勉強できる。
「若い森と年数の経った森の両方を見ることができます。
今植えている森の、100年後の姿がすぐ隣にあって、イメージできる。
林業系の学校でもこんなに近くに演習林があるのはうちくらいです」
と教えてくれたのは、林業の生産管理や生産システムが専門分野の杉本和也先生。
これまでの林業は、どんどん伐って出すだけだった。
しかしそれでは価格も下がるし、伐った木がどのように使われているかわからない。
「学校で使う木材の場合は、使い手側の話を聞いてから、
それに適した木を伐りに行くこともあります。
また演習林とはいえ無作為に伐るわけにはいきません。
たとえば“2035年にはここを伐る”などの、計画を立てる授業もあります」
ここで学ぶ期間は林業の時間感覚でいうとたった2年間かもしれないが、
100年などの長期にわたって森を見る思考を養うことができる。
使うのではなく、育てるというのは、これから重要な視点となるだろう。
「木工の分野でも、森林文化アカデミーでは、地域資源をどのように使うか、
森に価値をどれだけつけられるか、という理念のもとに取り組んでいます」と言うのは、
木工担当の久津輪 雅先生。
ノミやカンナ、機械の使い方から、木の見分け方など、
基本的な知識や技術の習得に加えて、伝統技術の職人から学ぶことも多いという。
「伝統的な製品には必ず地域資源が使われているので、非常にいい教材になります」
そうした流れが、ふたつの岐阜の伝統工芸を救うことになった。
ひとつは和傘の柄の部分を指す「ロクロ」という部品。
これはエゴノキからつくられるが、
まず山から木を伐ってくる人が日本でひとりになっていた。
そこで地元の森林ボランティア団体や全国の和傘職人を集めて
エゴノキを共同で伐採、生育調査なども行う〈エゴノキプロジェクト〉を発足。
そしてロクロをつくる職人もすでに日本にひとり。
しかしこの後継者が森林文化アカデミーから出てきた。
最初から後を継ぐ目的を持って入学。
学校で基本的な技術を学び、卒業後に後継者になったのだ。
もうひとつは鵜飼のカゴ。岐阜にある長良川は鵜飼で有名である。
岐阜以外にも京都、愛知、山口などでも鵜飼は行われているが、
そこで使われるカゴをつくる職人も日本にひとりしかおらず、後継者もいなかった。
そこで森林文化アカデミーの学生が学校で基礎を学び、ふたりが跡継ぎになったのだ。
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学内にはちょっとユニークな建築物がたくさんある。
これらは毎年1棟、木造建築講座の学生を中心にして、
学生たち自身で、設計、施工し、利用する「自力建設」と呼ばれるもの。
担当している辻 充孝先生は言う。
「建築の理解を深めるための授業です。
満足感や成功体験は重要なので、完成するように指導しますが、
つくることが目的ではありません」
入学後、5月には課題が発表になり、学内でコンペなどを経て、設計者が選ばれる。
7月から基礎をつくり、取材時は加工の段階。
その後、9月には建前が行われ、今年度中の完成を目指す。
「毎年、担当する学生のスキルが違います。
図面を描ける学生がいることもありますが、
今年のメンバーはふたりともまったくの未経験。
だから、次々と新しい技術を習得していかなくてはなりません。
だんだん間に合わなくなっていくので“もっと早く教えて!”と言われます(笑)」
今回の取材時は、地域の職人さんに教わりながら、
「墨付け・刻み」という木材の加工中だった。なんと1週間の合宿!
梁チームと柱チームに分かれて、職人さんに教わりながら加工していく。
そのかたわらで、パソコンを持ち込み、地元の設計士からアドバイスを受けているのが、
設計担当の八代麻衣さんと玉置健二さん。
八代さんは、設計から施工までにわたる難しさと、そこからの学びを感じている。
「設計をやっていた段階では、自分たちだけでしたが、
施工に入っていくと、大工さんや職人さんは、私の図面を元に作業します。
自分だけでの見方だけではなく、違う角度からわかりやすく伝える必要性を感じています。
役割が変わっていくので視野が広がりますね」
建築はひとりではできない。
しかしこの学校には、それぞれの分野を専攻している学生がいて、
横の連携をとりながら進められていく。
しかも周辺には木に関するプロがたくさんいる。
そこから協力を得られるのは、岐阜県ならではといえるだろう。
もうひとりの設計担当である玉置さんは長野で観光の仕事をしていて、
残っていた古民家を、地域の財産として捉えていた。しかし取り壊しが進む古民家。
そこで、改修などによって残す手段を求めて、自ら森林文化アカデミーに入学。
学びたい内容、卒業後の目的もはっきりしている。
彼のように、明確な目的のために学びに来る学生も多い。
森林は、林業だけの空間ではない。
木を伐ることがスタートではなく、もっと多機能であるはずだ。
森林と人との共存を目指して行われているのが、森を「空間」として考える授業だ。
この日、夏休みの体験として、
福島からの8家族28名をキャンプに迎えていたのは、萩原・ナバ・裕作先生。
「きっかけと場所と道具は提供するが、ほかは何も決めていない」と言う。
その日にやることは、その日の朝に決める。
自分たちで決めるので、何もしなくたって構わない。
この日は流しそうめんをすることになった。
竹を山から伐り出してきて、それを半分に割る。つゆを入れる容器も竹でつくった。
麺を茹でたチームは、ひと口大にかわいく巻いている。
「この場所こそが実習の場です。木を材と捉えるだけでなく、
大人でも子どもでも、森は人が育つのに最高の空間です。
これからは、森と人がつながる時代。
森林空間の価値をあらためて考えていきたい」とナバ先生。
こうした教育のかたちとして、「野外自主保育 森のだんごむし」や
「みのプレーパーク」といった取り組みも進められている。
地域の材を、いかに地域で使うか。これが世の中で求められている。
森林文化アカデミーでは、地域の課題を、教職員と学生が一緒に解決している。
「地域の材、つまり森林にいかに価値を与えるか。
これまでは建材ばかりでしたが、新しい価値が生まれ始めています」と言うのは
前述の久津輪 雅先生。
森林文化アカデミーと卒業生、現役学生などが中心となってできた事例がいくつもある。
アカデミーのすぐ近くに道の駅〈美濃にわか茶屋〉がある。
道の駅でありながら、スギを用いた日本初の木造防災拠点にもなっている。
美濃市では「ウッドスタート」が行われている。
子どもが産まれたら、市から木の積み木セットが贈呈される。
市内の木でつくられた地元産の積み木だ。
美濃加茂市では、利用価値の薄かったアベマキという木を、小学生の学校机の天板に利用。
小学1年生のときにプレゼントして、6年生まで同じ天板を使う。
卒業後は、その天板をシャープペンシルやウッドトレイなどに再加工して贈っている。
これらの事例は、分断されてしまったいろいろなものを、またつなぎ直す作業でもある。
「地域のいろいろな人が関わって、資源を回していくこと。
実はそれを地域の人が求めていました」
森と人をつなぐことも同様。
木を伐るのも、仕組みをつくるのも、環境を壊すのも守るのも、すべて人間だ。
岐阜県立森林文化アカデミーでは、
森林とのつながりを根底で意識し、「社会の固定概念を変える」人材を生み出していく。
information
岐阜県立森林文化アカデミー
住所:岐阜県美濃市曽代88
TEL:0575-35-2525
http://www.forest.ac.jp/
information
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