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連載

森岡尚子さん

PEOPLE
vol.001

posted:2012.1.10  from:沖縄県国頭郡東村  genre:暮らしと移住

〈 この連載・企画は… 〉  ローカルにはさまざまな人がいます。地域でユニークな活動をしている人。
地元の人気者。新しい働きかたや暮らしかたを編み出した人。そんな人々に会いにいきます。

editor profile

Kosuke Ide
井出幸亮

いで・こうすけ●編集者。1975年大阪府生まれ。フリーランスとして雑誌『BRUTUS』(マガジンハウス)や「とんぼの本」シリーズ(新潮社)などを中心に編集執筆活動中。旅と文化芸術を好む。

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撮影:石塚元太良

自給自足を目指す家族を受け入れた、ちゃんぷるー文化。

沖縄北部、この島で最も豊かな森林が残るやんばる(山原)の東村で、
自然農法を取り入れた農業を営む森岡尚子さん・浩二さん夫妻は、
この土地に移住して6年になる。
「5年くらいずっと、あちこち自分たちの住む場所を探していたんです。
石垣島に3年半ほど住んだ後に、やっとこの場所を見つけて。当時、
このあたりにはほとんど移住者はいなかったんですが、今はずいぶん増えました」
と尚子さんが振り返る。
その間に、和鼓ちゃん(9歳)、然くん(4歳)、丸ちゃん(1歳)の
3人の子どもに恵まれ、今では賑やかな5人暮らしになった。

尚子さんの「住む場所探し」への思いは、
今思えば「ずっと小さい頃から始まっていたのかも知れない」という。
東京・渋谷区という「超」のつく都心部に生まれた彼女は、
「新宿副都心の超高層ビルを見ながら育ったせいか、
自然の中で暮らしてみたいとずっと思っていた」
「文明のないところで自給自足するような生活に憧れていたんです。
だから、大きくなってから何度も旅をしたけど、
旅そのものが目的というよりも、“自分の住む場所を見つけたい”という思いが強くて。
初めから目標は決まっていたんですよね」

高校生の頃、国際的な政治や国際経済、環境問題に興味を持ち、
フォトジャーナリストに憧れて、大学では写真学科を専攻した。
その在学中、英語を学ぶために休学して向かったロンドンでの体験は、
その後の人生に大きな影響を与えたという。
「ロンドンで暮らし始めると、ジャマイカやアフリカなど、
色々な国から来た移民がすごく多いことが分かって。
しかもみんな『お客さん』ではなくて、その土地にしっかり根ざして生活している。
下町の商店街を歩いていると、あちこちからいろんな種類の音楽が聞こえてくるし、
いろいろな国の食べ物が売っていて、それがもう楽しくて。大好きでした」

さまざまな国や民族・文化に触れる楽しさを知った尚子さんは、
かねてから興味のあったアフリカへ、ロンドンから旅に出るようになった。
特に、マリやカメルーン、ブルキナファソなど西アフリカの国々で出合った、
日本やヨーロッパの国々の近代的な生活とは違う、
自然とともにあるプリミティブな暮らしに、強く惹かれた。
その理由を尋ねると、
「説明するのは難しい」
と尚子さん。
「好きなことって、理由がないじゃないですか? 
好きなものは好き、という感じで、
ただそこにいることが気持ちよかっただけなんですよね」

結局、ロンドンでは一年半ほど暮らし、そのまま大学は中退した。
帰国後、ロンドンで学んだアフリカの「ろうけつ染め」や
写真の個展を各地で開きながら暮らしていた尚子さんの心が農業に向かったのは、
一冊の本との出合いだった。
自然農法の創始者、故・福岡正信氏の著書『自然農法 わら一本の革命』。
田畑を耕さず、農薬はおろか肥料も使用しない
独自の農法を提唱するその思想に、大きな衝撃を受けた。
「本を読んで、すぐ愛媛の福岡さん宛に手紙を書いたんです。
すごく緊張してポストに手紙を入れたのを覚えています。
するともう次の日の朝、すぐに福岡さんご本人から電話があったんですよ。
本当にびっくりしました。“こちらに来ていいですよ”と言っていただいたので、
こちらもすぐに“行きます!”と答えました」

移住者も多く、やんばる地域ではこの東村だけが唯一子どもが増えている。

台所には周辺で自生するハーブなどを使った手作りの調味料や保存食が並ぶ。

愛媛で農園を営んでいた福岡氏の元で学び始めた尚子さん。
「福岡さんは当時すでにかなりのご高齢でしたので、
実際に畑仕事をたくさん一緒にやったわけではないんですが、
そばにいることで福岡さんの哲学が学べました。
やっぱりそれが一番大事なことなんですよね」

福岡氏の提唱する自然農法は、畝を作らない。
筋蒔きをしない。「ほとんど『ばらまき』に近い」、
現代の農業においては非常に特異な農法と言えるものだ。
「今でも他人から“そんなやり方じゃ無理じゃない?”
なんて言われることもあるんですけど、
本当に石だらけの土地で大根ができるんですよ。
タイミングさえ間違わなければ、除草も間引きも一度もしなくてもいい。
毎年、ここで実践をして、どんどん結果が出ている。
すごくワイルドで味のいい野菜ができるんです」

タイミングを見逃さないこと。
それは福岡氏の自然農法の大きなポイントだと尚子さんは語る。
「福岡さんはいつも“観察が大切だ”と仰っていました。
雑草ひとつとっても、その状態はいつも同じではないんですね。
だから、“知恵を捨てろ”と言うんですね。
先入観や知識が、観察を邪魔してしまうから」

夫の浩二さんもまた、福岡氏の元へ行き、
それまで持っていた先入観や知識を覆されたという。
「僕はそれまでずっと有機農業をやっていたから。
当初はなかなか自然農法のことが理解できなかったんです。
でも、僕も福岡さんの山に行ってみて、“ああ、そういうことか”と。
あちこちに生えている雑草だって木だって、
何でも食べられるものなんだって分かった。
そう考えたら、自分たちの目の前には食べ物だらけじゃないか! って。
だけど、“これは雑草でしかない”というガチガチに固まった頭で見てしまったら、
そうは見えないですよね」

自然の中のありとあらゆるものが、必要であり、役割があるということ。
「自然農法をやっていると、感謝しか出てこない」
と尚子さんは言う。
「自分は何もやってないのに、自然から与えられるばかりだから。
福岡さんはよく、
“人間は何もせずに、ただ感謝して生きていれば良かったんだ”と仰っていました。
ここで暮らして、本当にそういうことを感じるようになりましたね」

キャベツ、レタス、トマト、じゃがいも、葱……、
周りの人たちから「できないよ」と言われていた米もできた。
「まだまだ…。麦も大豆もやりたい。味噌も自分で作りたい。
どんどん増えてきますね。
来年はあそこをこうやってみようとか、ずっと完結しない。だから、飽きないんです」
と浩二さんは話す。

そもそも、尚子さんが沖縄に住むことになったきっかけは、
「もともと南方が好きだったんです。
たまたま沖縄でろうけつ染めの個展をやることになって、
その時にいろいろな人達と知り合って、
だんだんとこの場所との縁が深まっていった」とのこと。
当時、同じく農業を志していた浩二さんと出会い、
二人で自給自足を目指す生活を始めることになった。
その理由について、尚子さんはこう語る。
「自給自足することで環境破壊になるべく加担しないですむ。
そういうものに大きく加担していると思うと
すごく居心地が悪いという気持ちはありました。
自分の知らないところで誰かが犠牲になっているという暮らし方はしたくない。
とは言っても、自分としてはやっぱり
ただ気持ちのいい方、いい方へとしか行けない性分だったというのが大きいんです。
都会は自分にとっては大変なことが多かったから。
こういう暮らし方が、自分にとっては気が楽だったということなんです」
浩二さんも
「農業は身体的には辛いこともあるけど、対人関係のストレスに比べればずっと楽。
汗水流して、細かいことは気にせず、快眠快食。働いた結果がお金でなく、
食べ物で得られる。シンプルでいいなあと思いますね」と快活に笑う。

土地を見つけた後、浩二さんがテントで寝泊まりしながら自ら家を建てた。

自然の素材を生かした室内。冷蔵庫や掃除機などの家電は使わない。

自然の中で成長する娘の姿に「自分は街で育ったので、羨ましい限り」と浩二さん。

東村に土地を見つけた後、自分たちの住む家は大工の友人に教えてもらいながら
セルフビルドで半年かけてつくり上げた。
沖縄という地に馴染み、根を下ろして生活していく中で、
南国の明るさや軽さだけではない、
この土地のさまざまな目に見えない文化も理解できるようになったという。
「沖縄には、すごく相手を気づかう言葉の文化があるんです。
『だからよ』っていう方言は翻訳が難しいけど、ちょっとした相槌みたいな言葉で、
その一言だけで相手に気持ちを伝えたり、ハッとさせられたりする。
あと、自分が帰る時に相手に向かって“行きましょうねえ”なんていう、
自分と相手の境をなくして、全てを抱きかかえるような言葉もあります。
お酒の場でも、そこにいない人の悪口はタブーなんですよ。
ウチナーンチュは本当に楽しくお酒を飲むんですよね。
狭い島だからこそ、人間同士がうまくやっていくためのルールとか行動規範が
洗練されていて、スマートなんですね。文化的なレベルの高さを感じます」
と浩二さん。その文化的ルーツは
やはり「海洋民族」ということにあるんじゃないか、と尚子さんは言う。
「『ちゃんぷるー』という言葉は元々インドネシア語ですが、
黒潮に乗って多くの人々がやってきた海洋民族だからこそ、
いろんなものを受け入れる『ちゃんぷるー文化』ができたんじゃないかな。
そんな沖縄の人たちの優しさが、
現代の基地問題なんかにも繋がっているのかもしれないけれど、
やっぱり彼らは人やものを拒むのではなく、受け入れてくれるんです。
すごく懐の深い文化だなあと思いますね」

自分たちのような移住者をも拒むことなく受け入れてくれた、沖縄の土地と人々。
それは、そこに住む人々がとてつもなく長い時間をかけて培ってきた、
平和に暮らしていくための文化と技術に裏打ちされているのかもしれない。
「まだまだこれから、ゆっくり土地に馴染んでいきたい」
と浩二さんは語る。
「ウチナーンチュの時間軸は、内地の人間とぜんぜん違う。
すごく長いスパンで物事を考えているんですよ。
すぐに成果を求めない。決してあせらない。
とても余裕があるんです。だからもう、彼らには本当にかなわないですよ」

Profile

NAOKO MORIOKA 
森岡尚子

1972年東京生まれ。大学の写真科を中退してロンドンへ渡り、その後は全国各地でアフリカをテーマにしたロウケツ染めと写真の個展を開催。自然農法創始者・福岡正信のもとで農業を学んだ後、沖縄へ移住。現在は東村・高江で夫と3人の子どもと暮らす。著書に『沖縄、島ごはん』(ネコパブリッシング)『ニライカナイの日々』(ピエ・ブックス)。

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