連載
posted:2017.9.6 from:滋賀県高島市ほか genre:食・グルメ
PR 滋賀県
〈 この連載・企画は… 〉
ひとつのまちの、ささやかな動きかもしれないけれど、創造性や楽しさに富んだ、
注目したい試みがあります。コロカルが見つけた、新しいローカルアクションのかたち。
writer
Chizuru Asahina
朝比奈千鶴
あさひな・ちづる●トラベルライター。“暮らしの延長線の旅”をテーマに、食の生産地、ハーブ、おいしい民宿、エコツーリズム、コミュニティなどを多角的に取材。ふだんの暮らしに新しい扉が開くような、わくわくする場所や事柄に出会う旅のかたちに興味があります。『Holistic Travel』
photographer
Kazue Kawase
川瀬一絵(ゆかい)
日本を代表する発酵食品といえば納豆、醤油などが挙げられるが、
滋賀の発酵伝統食「鮒寿し」の存在も欠かせないだろう。
鮒寿しとは、琵琶湖の固有種であるニゴロブナをご飯と塩で乳酸菌発酵させたもので、
現代食べられている寿しの元祖とされる「熟鮓(なれずし)」の一種だ。
鮒寿しの歴史は長く、千年以上前に大陸から水田稲作農耕文化と同時に伝わったとされ、
平安時代に編纂された『延喜式』にも近江国の貢納品として記されている。
近江国、すなわち滋賀県には琵琶湖がある。
琵琶湖のニゴロブナは、冬から春にかけて産卵のために
田んぼをめざして湖底からあがってくる。
田んぼが実りを迎える頃、田から水をひくときに同時にフナも琵琶湖に戻る。
人間は、子どもをたくさんつけたフナを塩漬けし、実ったお米と塩で熟成させ、
保存する。なんとよくできた琵琶湖ならではの自然のサイクルだろうか。
いにしえより続く、理にかなった食文化がいまの時代に継がれているというわけだ。
7月に入って鮒寿しの漬け込み作業が最盛期を迎えるというので、
滋賀県彦根市磯田漁業協同組合〈鮒富水産〉の森善則さんが主催する
「鮒寿し漬込み講習会」に見学に訪れた。この時期は、琵琶湖のほとりの各漁協で、
自家製鮒寿しをつくるための講習会を行っており、それぞれ漬け方に特徴があるらしい。
この日の参加者は14組。リピーターが多く、
遠くは岡山から車を飛ばして毎年やってきている親子連れも。
つくり方の手順は、“塩切り”とよばれる、春にとれたフナを塩漬けしたものを、
たわしで洗ってから水を切り、炊いた米と交互に桶に詰めていく。
詰め終わったら、殺菌作用のある笹の葉で蓋をし、
家に持ち帰ってから重石を乗せて9月までそのままにしておく。
先生の森さんいわく、「絶対に重石をとらないでください」とのこと。
なぜかというと、重石が発酵を促進する役目を担っているから。
置かれた場所でゆっくりゆっくりと乳酸菌発酵をさせるのが肝要だ。
「鮒寿しなしではお正月は寂しいですね」と言うのは、
大阪府守山市から家族連れで参加した早尻さん。
奥様は滋賀県出身で、お正月には鮒寿しが欠かせないという。
娘さんはまだ食べられないが、魚を抵抗なく触ることができている。
食べ物がどんな風にできるかという食育も兼ねている。
お母さんは「毎年漬けることだし、小学校の夏休みの研究にしたらいいですよね」
と目を輝かせていた。
滋賀の家庭では、ひと冬ないしふた冬ほどおいて熟成させたものを
お正月などのハレの日に食べるものとされてきた。
けれども、近年は鮒寿し離れが進み、家庭でつくることも少なくなっているという。
「鮒寿し漬け込み講習会は3年通って卒業できるようになるから、
卒業してもらったあとは塩切りを買いにきて、自宅で漬けてもらっています」
と森さん。手のかかる塩切り後のフナを森さんのところで購入して、
自宅で飯漬けする人も増えてきた。
鮒寿し体験に何度も参加している人たちは口を揃えて言っていた。
「ここから、お正月準備が始まっているんですよ」
気になる発酵臭に関しては、きちんと下処理をしているため、ほぼ感じられないという。
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発酵学者の小泉武夫氏が著した『発酵食品礼賛』によると、
鮒寿しは発酵中の微生物の動きにより、ビタミンの含有量が生成されて
栄養も豊富、整腸作用も認められている。
滋賀県民にとっては、お腹の調子の悪いときに食べる習慣があり、
薬のような存在でもあるという。
でも、食べるのがハレの日だけでは、鮒寿し自体を目にする機会も少なくなり、
ましてや住環境の多様化により、お正月に
ハレの日らしいことをする家庭も減ってきている。
そのようななか、家庭用のものとは一線を画したスタイルで鮒寿し料理を提供するのは、
湖北に位置する海津の〈湖里庵(こりあん)〉。
233年続く鮒寿しの老舗、〈魚治(うおじ)〉が営む料理宿だ。
作家の遠藤周作が、自身が「狐狸庵先生」と呼ばれていたことから文字って名づけ、
作品にも登場させている。
最初に鮒寿しを食べたときにその臭気の強さに
おいしさを感じられなかったという文豪は、長く残っている食文化が
こんなにひどい味ではないはずと、口に合う鮒寿しを探し続けた。
そして、魚治の鮒寿しに行き着いたという。
味を気に入り、足繁く通ってきた文豪の助言により考案された「鮒寿し懐石」は、
鮒寿しを使った独創的な料理で知られている。
ニゴロブナの周りについた飯(いい)をぬぐい、薄くスライスしたものを食べたり
お茶漬けにしたりするのが鮒寿しの一般的な食べ方だが、
ここでは、食材として鮒寿しを洗練したひと皿に昇華させていた。
内容は、飯と身の共和えや、冷製パスタ、鮒寿しのはさみ揚げなど、驚きに満ちている。
「地元では鮒寿し離れが進んでいるとも言われていますが、
鮒寿しをそのままお売りするだけでは確かにそうなってしまうかもしれません。
魅力のある食材として知っていただけたらと思い、こういった料理をお出ししています」
と言うのは、魚治7代目の左嵜謙祐(ささきけんすけ)さん。
京都嵐山の料亭での修業を経て、魚治と湖里庵を継いで13年目になる。
湖里庵の鮒寿しは、道路を挟んで向かいにある魚治の蔵でつくられたものだ。
蔵には、電力などによる温度や湿度の調節は一切ない。
山に囲まれている琵琶湖の湖畔ならではの湿潤な気候に合わせ、
1年を通して気温差が激しい。
冬が長く、低温熟成発酵に適した環境も鮒寿しづくりに適している。
「うちの鮒寿しは、塩切りしたニゴロブナを飯漬けにしたあと、
ふた冬、ゆっくりと蔵の木桶の中で過ごします。
風を通したり、変化がないか観察したり、蔵持ちの菌が
気持ちよく動けるように環境を整え、お世話するのが人間の仕事です」
夏の土用の日あたりは菌が一番動く時期のため、
鮒寿しの飯漬けにもっともいい時期とされているが、
蔵で作業をする左嵜さんには蒸し暑く、過酷な環境ではある。
「うちは代々、主人が“守(もり)”をすることになっていますから」
左嵜さんはそれを当たり前として今日まで続けてきている。
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「鮒寿しを、もっとふだんの食卓に戻したいんです」
左嵜さんが日々意識しているのは、鮒寿しを食べることも含めて
琵琶湖のほとりの小さな循環のひとつであること。
この夏が終わったら、実りの季節がやってくる。
冬の寒いうちにあがったニゴロブナを塩切りしてまた翌夏に備える。
そんな循環のなかで育まれた発酵食文化が琵琶湖のほとりに息づいている。
蔵と同時にそこに住む人間の役割や精神性を大切に守っているのだ。
先代から「歯車になれ」といわれて育ったという左嵜さん。
環境のひとつの歯車として、鮒寿しの蔵を守り、伝える。
現在小学生の息子さんについて
「蔵に入る日もそろそろ近づいてきましたね」と微笑んだ。
information
彦根市磯田漁業協同組合
住所:滋賀県彦根市須越町599-1
TEL:090-3485-2744(鮒富水産 森代表)
*今年度の鮒寿し飯漬け講習会の受付は終了
information
魚治
information
湖里庵
住所:滋賀県高島市マキノ町海津2307
TEL:0740-28-1010
営業時間:11:30~15:00(最終入店13時)、17:00~21:00(最終入店18時)
定休日:火曜
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