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思い立って食堂をオープン?
シャッター通りに
生まれた変化とは。
ISHINOMAKI2.0 vol.3

リノベのススメ
vol.122

posted:2016.9.18  from:宮城県石巻市  genre:活性化と創生 / アート・デザイン・建築

〈 この連載・企画は… 〉  地方都市には数多く、使われなくなった家や店があって、
そうした建物をカスタマイズして、なにかを始める人々がいます。
日本各地から、物件を手がけたその人自身が綴る、リノベーションの可能性。

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ISHINOMAKI 2.0

東日本大震災を契機にジャンルに縛られない多種多様なプロジェクトを実現。地域のリソースを丁寧に拾い上げ、全国のありとあらゆる才能と結びつけて今までになかった新しいコミュニケーションを生み出しています。石巻のバージョンアップが、日本のバージョンアップのモデルになることを目指しています。

writer profile

Kuniyoshi Katsu

勝 邦義

ISHINOMAKI2.0理事/設計事務所主宰。1982年名古屋生まれ。2007年東京工業大学卒業。2009年ベルラーへ・インスティチュート修了。山本理顕設計工場、オンデザインを経て、2016年自身の設計事務所を設立。

ISHINOMAKI2.0 vol.3

第3回目となる今回は、石巻の中心市街地にある路地、富貴丁通りで
地元食材を使ったレストラン〈日和キッチン〉を営む建築家の天野美紀さんが担当します。

富貴丁通りはかつてセレクトショップが建ち並ぶ石巻で一番のファッションストリートでした。
いつしか閉店するお店も増え寂しい通りになっていましたが、
震災を契機に東京から石巻に通うようになった天野さんが
築100年ほどの木造の店舗を改修したころから、まわりにも店舗が増え始め、
少しずつ活気が戻ってきています。
小さな変化を重ねながら路地が活気づき始めている富貴丁通りの魅力を伝えてもらいます。

日和キッチンに立つ天野さん。

震災を機に通い始めた石巻で出会ったのは

2013年4月、宮城県石巻の駅前に 築100年の長屋をリノベーションした
石巻のおウチごはんとジビエ料理のレストラン〈日和キッチン〉をオープンしました。
東日本大震災が起こった年、2011年の5月、
自分の職能を生かして建築分野で何か役に立てればと、
知人の建築家の誘いをきっかけに初めて石巻に入りました。
多い時には月2回のペースで夜行バスで通い、
まちづくり活動やイベント開催のお手伝いを続けていましたが、
そのなかで石巻の人の温かさ、食の豊かさに触れ、どこをどう転がったものか、
自分でもまったく想像していなかった飲食店を営むことになったのです。

日和キッチン立上げスタッフである山崎百香さんが描いた富貴丁通りのスケッチ。

石巻に通い始めた2011年5月当初、
北上川沿いの元旅館で、現在、仕出し割烹料理屋〈松竹〉の座敷に
寝泊まりをさせていただきました。
まだ物資が少ないなか、おかみさんが朝ごはんを用意してくださり、
涙がでるほどありがたかった記憶があります。

元旅館で、現在は仕出し割烹料理屋〈松竹〉のおかみさんの朝ごはん。

しかし川沿いで津波の被害も大きかったことから、旅館だった建物を半分解体することとなり、
その後しばらくはホテルを転々としながら、夜行バスで石巻へ通うことになりました。

当時、手頃な夜行バスを使って石巻と東京を行き来する人は多かったけれど、
私の悩みは、石巻駅に着いてから。

東京を深夜23時ごろに出発すると、石巻へは早朝6:30頃には着いてしまいます。
しかしその時間、駅近くで開いているお店はコンビニのみ。
季節がよければ、コンビニで朝ごはんを買って、散歩がてらまちを歩いて、
目的地やお店が開くまでなんとか時間をつぶすことができますが、
冬時期は身を寄せるところがなく、
寒いなか大きい荷物を抱えて本当に途方にくれるような状況でした。

「駅前に、荷物を下して、朝ごはんを食べて、
体を休めることができる場所があったらいいのになあ。
誰かやってくれないかなあ」と他力本願で願っていました。

石巻に通い始めた2011年当時のまちの風景。

そうこうするうちに、知り合った石巻市内の〈かめ七呉服店〉のご夫妻が
「うちに泊りなさい」と声をかけてくれたのです。
すばらしく面倒見がいいご夫妻で、私がお世話になったときは、
すでに3人の女性に寝床を提供していました。
ですので、私は四女いうことに。ちなみに今は五女までいます(笑)。

かめ七呉服店この米倉ご夫妻と、中央は友人のルポライター加藤さん。

かめ七で朝ごはんをごちそうになると、石巻のおウチごはんのおいしさに驚きました。
漁港があるので魚はもちろんのこと、旬の生ワカメや海苔、野菜や山菜、
そしてお米もお肉もお味噌汁もお酒もすべておいしい。

石巻の人が当たり前すぎて意識していない「石巻の食の豊かさ」に気がつき、
そのことを石巻内外の人に知ってほしいと思うようになりました。

お世話になったかめ七呉服店。1階の天井際まで津波で浸水しました。

おいしい地元産の鹿肉との出合い

そして私が通い始めて1年が経った2012年春頃、
東京で親しくしているカフェのメンバーが石巻を訪ねて来てくれました。
彼らに石巻のまちを案内したところ、「自分たちも何か応援をしたい」と申し出てくれました。
ではシェフの腕を生かして、石巻の夏のお祭り〈川開き祭り〉で屋台を出そうということに。

しかし普通の屋台を出しても意味がない。ならば、石巻で知られていない地元食材を発掘し、
石巻にはない食べ方で提供してみようということになりました。

思い返せばこれが〈日和キッチン〉の起源。
その時に出会ったのが猟友会の三浦信昭さんと「牡鹿半島の鹿肉」という素材です。

キッチンカーで川開き祭りに出店。

さて近年日本全国で、鹿や猪が農地を荒らす獣害が社会問題になっていますが、
石巻もご多聞にもれず同じ問題を抱えています。
特に鹿といえば牡鹿半島や金華山が思い浮かぶ方も多いかと思いますが、
最近では内陸部に被害が拡大しており、行政から依頼を受けた猟友会の方々の手で
年間1500頭が計画的に駆除されています。
人間の都合でただ駆除をする。なんだかとっても申し訳ないと思いませんか?
しかも猟友会も高齢化が進み、若い担い手が不足。
近い将来には駆除する人手が不足することが容易に想像できます。

石巻猟友会の三浦さん。

ではこの悪循環を変えるにはどうしたらよいでしょう?
鹿肉は鉄分が多くヘルシーな赤身のおいしいお肉。
現代人に不足しがちな天然のミネラル分も豊富に含まれています。
ジビエ料理をみんなでおいしく食べて、石巻の名物・財産にできたら、
それ自体きちんと利益を生む産業になるかもしれない。

石巻人の健康にも寄与できちゃったら一石二鳥三鳥ではないか!
という結論に辿り着きました。

■深夜バス利用者に向けて駅前に朝ごはんが食べられるお店が必要
■石巻の家庭料理のすばらしさを内外に伝えたい
■牡鹿半島のおいしい鹿肉を資源として活用したい

この3つの課題に気がついてしまったら、
もう「誰か」ではなく「自分」がやるしかないな。そう思った半年後に、
石巻のおウチごはんとジビエ料理のレストラン〈日和キッチン〉を
オープンしてしまったのだから、我ながら猪突猛進ですね(笑)。

日和キッチンのロゴ。デザインは山崎百香さん。黄色の稲穂は石巻の大地の恵み、青い鹿角は石巻の海と鹿の恵みを表しています。

山崎百香さんが日和キッチンHP用に描きおろしたもの。

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しかし、当時は貯金はすっからかん……どうする?

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DIYでお店づくり

さて石巻の駅近くに「朝ごはん・家庭料理・ジビエ料理」が食べられる
飲食店をつくろうと決心をしましたが、お店の場所も探さなくてはならないし、
もちろんお金も必要です。
建築家なんていうとお金を持っていそうなイメージをお持ちの方も多いかと思いますが、
まだまだ日本での建築家の地位は低く、報酬も仕事量に比すると特別多くはありません。

ちょうど震災前に独立したばかりで貯金もすっからかん。
石巻に通う費用を捻出するのが精いっぱいという懐具合でしたから、
お店をつくるにもまず先立つものが必要だということで、
当時公募されていた内閣府の創業補助金に応募。
書類審査、プレゼン審査を経て200万円の軍資金を得ることができました。

200万円、私にとっては今まで手にしたことがない大金ですが、
飲食店をゼロからつくるとなるとなんとも心細い額です。
しかしそこは建築の専門家のウデの見せどころ。
最近ブームのDIY(「Do It Yourself」の略語。「自分でやろう」という意味)
という手法で、「自分でできることは自分でやればいいんだ!」と思い立ち、
ならば手のかけ甲斐のある場所・建物を探そうと、
夜行バスの発着所から近い石巻駅前付近で空き物件を物色し始めました。

そして出合ったのが、立町大通りから一本入った横丁
富貴丁通りの大正時代建築・築100年の長屋だったのです。

トンガリ屋根と瀟洒(しょうしゃ)な棟飾りが特徴的な、今見てもモダンな木造長屋。
十数年前から空き家で、老朽化しているところに津波の浸水被害を受けて、
そのままでは人に貸せない状態でした.

それでも大家さんにとっても思い入れの深い手放せない建物だったそうで、
お店の主旨や私が建築家であることに理解を示してくださり、
お借りすることもDIYで改装することも快諾してくださいました。
そして実際に、解体工事から塗装工事までできるところはすべて
自分と友人たちの手を借りて工事しました。

改修にあたり最初に取りかかったのが2階の壁や天井の解体工事。
まずここで、屋根裏に溜まった100年分のホコリを全身にかぶるという洗礼を受け、
DIY工事への覚悟が決まった気がします。
これ以上に大変で貴重なことは、そうそう起きないだろうと(笑)。

100年の間に改築が繰り返され、壁や天井は2重3重に重ねられた状態。
はがし進めると大正時代~昭和初期の新聞やチラシ、子どもの落書きが出てきて、
当時の生活が想像でき、おもしろい体験でした。
それらは貴重な資料として、なるべくそのまま残しています。

工事開始前に日和キッチンのFacebookを立ち上げて、
工事スケジュールや工事内容、進捗を写真つきで公開。それを見た東京の友人や設計仲間、
石巻でできた友人やボランティア仲間が変わるがわる手伝いに来てくれました。

大半はDIYでつくりあげていますが、電気・上下水道・ガス工事は専門業者に頼んでいます。
石巻は寒冷地なので、特に水道まわりは関東と工事仕様が異なり勉強になりました。

1階部分は十数年前にアパレルのテナント仕様に改修されていたので、
床や天井、照明器具などはそのまま生かすことができました。
ただ津波のヘドロの痕跡が磨いても磨いても浮いてきて、何十回とモップがけ、
ぞうきんがけを繰り返しました。

壁と天井は既存のクロスの上から塗装を施しただけ。
塗料は〈日本ペイント〉が支援で寄贈してくださり、
なんと日帰りで塗装工事を手伝いに来てくれました。
たまたま店の前を通りかかった知り合いを引きずり込んで手伝わせたりも(笑)。

ファサードの木工事は仲間の〈石巻工房〉に依頼。
斜めの木の壁は、実は震災で割れたガラスをそのまま生かしたデザインです。
とても気に入っていましたが、オープンから2年ほど経った頃から
じわじわとヒビが広がり始め、安全のため現在は新しいガラスに入れ替えています。

建築家といっても工事は素人。
解体工事から、大工工事、塗装工事、板金工事まで、自分でいろいろやってみて、
改めて職人さんのすごさや大変さが身に染みてわかりました。
いつも無理を言ってスミマセン!

お箸や手づくりコースター、食器類を送って応援してくださった方も多数。
3年半が経った今も、大切に使わせていただいています。

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ついに、日和キッチン完成へ

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工事完了、オープン当時のファサード。屋根と棟飾りの細工が映えるように余計な手摺を撤去し、割れたガラス部分を木の壁で埋めました。

内装は、ロゴと同じブルーとイエローをアクセントに、明るく温もりが感じられる空間づくりを心がけました。

自宅のダイニングにいるように寛いでもらうため、キッチンはフルオープンに。

東西南北、どこにも足を向けて寝られないほど、
本当にたくさんの方々に助けられ、2013年4月に予定通りお店をオープン。
最高の立地・最高の建物・最高のスタッフでお店を構えることができました。

まったく地縁のない土地でお店を出すのは、普通だったら難しいことですが、
震災後に通い続けた1年10か月、
ボランティアからつながった多くのご縁があったからこそ
つくり上げることができたのだと思います。

オープン後に考えたのは、小商いを生む商いのこと

さて、日和キッチンを始めてから、特に意図したわけでもないのですが、
日和キッチンで働き、卒業した人が近くで起業・独立する流れが続きました。

オープンからわずか3年の間で、実に5人もの起業人や小商いが生まれており、
つながりながら、お互いの商売を応援し合い、お客さまを皆でもてなしあい、
これこそがまちの、商店街のあるべき姿ではないかと、
そんな思いがじわじわとふくらんできました。

元スタッフの徳竹奈央さん。現在は〈橋通りCOMMON〉という屋台村に自分のお店〈カナイ〉を構えています。

そんな過程で私自身のライフスタイルにも大きな変化がありました。

石巻に日和キッチンをオープンして1年半。東京では設計の仕事、石巻では飲食店と、
2拠点をひたすら往復する日々から、日和キッチンや石巻のまちに時間を使って
もっと深く関わりたいという思いが徐々に大きくなり、
2014年10月に東京から石巻に完全移住を果たしました。

商店街のにぎわいを担う商店主の責任として、
なるべく多くお店を開き、シャッターを開けたいという思いもありましたが、
より一層まちに馴染むなかで、方々から設計の相談をいただくようになり、
今度は石巻で設計と飲食を両立することに。
やはり日和キッチンを開けられるのは土日の2日間が精いっぱいという状況が続きました。

お店は開けたいけれど人を雇ってまでとなると収支が合いそうにもないし、
事務や経理的な仕事は逆に増えてしまう。
そこで思いついたのが、私に代わってお店を開けてくれる
「日替わりオーナー」を募集する方法でした。

お試し起業の場所として、チャレンジの足がかりとして、
ネットワークを広げる糸口として、日和キッチンを利用してもらい、
小商いを生み出す人、まちで起業する人を応援できれば、
お客さまも日替わりオーナーさんも私もハッピーなうえ、
まちもにぎやかになって、一石二鳥どころか一石四鳥ではないか! と。

年始休みにそんなことを思いついてからわずか3日後、
今年2016年1月4日にFacebook上で日替わりオーナーの募集を始めたのですが、
さっそくその日にひとりのチャレンジャーが名乗りをあげてくれ、
1月13日には水曜日オーナーとしてスタート。
そして3月いっぱいで早くも日替わりオーナーを卒業して、
4月には自分のお店を構えたのですから、すごいスピード感ですね(笑)。

水曜日オーナーだった浅野基くんは2016年4月26日にフレンチトースト専門店をオープンしました。光栄なことに名づけ親に任命されたので、みんなが出かけたくなるようにとの思いを込めて〈NICE PICNIC DAY〉(ピクニック日和)と命名しました。

2006年8月現在の週間予定。

そして現在は、平日の火・水・木曜日に、
それぞれ3組の週替わりチャレンジオーナーさんが入り、
独立・起業を目指して頑張っています。

木曜日オーナー〈モクレン〉の高橋さん(右)と阿部さん(左)。

〈モクレン〉の野菜たっぷり「和の彩りランチ」(1000円)。毎週、旬の野菜に合わせて内容が変わります。20食限定、13時前には売り切れるほどの人気。

震災後、石巻のまちに関わり続けたそもそもの理由は、建築家の使命として
「まちににぎわいを取り戻すお手伝いがしたい!」という思いがあったから。
そのひとつの試みとして日和キッチンというお店をつくった背景があります。

では昔ながらの商店街ににぎわいを取り戻すにはどうしたらいいのでしょう?
実際に自分が商店主になって、その経験から気づきを得たことですが、
石巻のまちに一番フィットする方法は、

「個性的な小売店、小商い(こあきない)をまちに増やすこと」

かなと私は考えています。飲食店経営という回り道にも思える過程を経て、
建築家としての石巻での自分のミッション、
「にぎわいの創造の出発点を担う」ところに
自然に辿りついたというか戻ってきたような感じですね。

飲食店の立ち上げから、店舗を活発に動かす仕組みづくりへとフェーズを進めてきましたが、
そこからじわりじわりと枠を広げて、
今まさに取り組んでいるのが〈富貴丁通り〉のにぎわいおこしです。

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まちに生まれた新しいお祭りとは?

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お店づくりから、通り全体のにぎわいへ

日和キッチンが面する道幅4メートルほどの横丁は、
日和キッチンの建物と同じく大正時代につくられ、
「富貴丁通り」という気品のただよう名称がついています。

大正~昭和初期の富貴丁通り。右側手前は石巻で最初のコンクリート造の建物だそう。左列の中程には現・日和キッチンの建物も見受けられます。

現在は公道ですがつくられた当時は地主さんの私設の私道で、
ここで商いをする店子さんが繁盛するように願いを込めて名づけました。

当時の面影を残す建物は日和キッチンともう1棟しかありませんが、
どちらも屋根形状やファサードが凝った造作になっています。
地主さんが非常に豪儀な方で、
腕のいい大工さん・職人さんを集めて、通りの両側に何軒もの長屋を、
意匠を競って建てさせたのだそう。
今でいうコンペのような方式だったようですね。

大正~昭和初期の富貴丁通り。当時最先端のコーヒーを出す喫茶店もあり、活気がうかがえます。

大正から昭和にかけて石巻の栄華とともに横丁も栄え
1970〜80年代ごろはハイブランドの洋服店が建ち並び、宮城県内でも有数の、
ファッションの最先端ストリートとしてアパレル文化を牽引していました。
しかし1990年代には勢いを失いシャッターが目立つようになり、
そこに追い打ちをかけるように津波が襲いました。

1980年代の富貴丁通りの様子。当時の石巻のタウン誌に掲載された記事です。

震災後の2012年の秋、私が空き店舗を探しているころは、
ほかの通りから移って営業を再開している商店やNPO拠点などができてはいましたが、
まだ空き店舗が目立つ状況で、人通りもまばらな寂しい横丁という印象でした。

2013年の春、日和キッチンができて少し人通りが増え、認知度もアップ。
2014年の秋に、私自身も店の向かいの民家に移住し、
通り全体のにぎわいおこしを強く意識するように。
2015年の夏、日和キッチンの隣の空き店舗を借り足して、店舗スペースを拡大。
2015年の秋には、同じようにまちへの思いや意識をもって小商いをする人を、
通りに誘致する動きを始めました。

通りの店舗数の変化。

それからわずか半年足らずで、通りに新しい商いが4店舗も生まれ、
週替わりオーナーたちの頑張りも手伝って、
4年前からは見違えるように人通りが増え、活気づいてきました。

日和キッチン開業当初は、わずかな仲間と狭い店舗内で孤軍奮闘していましたが、
今では、通りを盛り上げようと一緒に奮闘してくれる仲間たちも増え、
またそれを応援してくれる大家さんや、
昔ながらの商店主さんたちにも強く背中を押されて、
にぎわいおこしもさらにボリュームとスピード感を増しています。

その象徴ともいえるのが、2016年の春から始まった通りのお祭り
〈富貴丁スペタコペタ市〉です。

第1回富貴丁スペタコペタ市のチラシ。

富貴丁通りの日和キッチンのお隣に、朱色の鳥居の小さな稲荷神社があります。
毎年春と秋に、大家さんの声がけで通りのご近所さんたちが集まり、
こぢんまりと祭事を執り行っていましたが、
この通りで商売を始めた新参者の若年者として、
日頃のお礼をかねたような催しを通りのみんなで一緒にできないかなと思い、
大家さんと相談をして、通りに関わる有志で実行委員会を立ち上げ、
お稲荷さんの祭事に時期を合わせて
「富貴丁スペタコペタ市」というお祭りを始めることになりました。

「スペタコペタ」は石巻の方言「スペタノカペタノ」を語呂がいいようにもじった造語。
意味は「なんだかんだ/あーだこーだ」という感じです。

春は豊穣を祈り、秋は実りに感謝し、石巻の大地の恵みを味わいつつ、
ご近所さんや所縁のある知人友人たちとスペタノカペタノ、つきない話に華を咲かせる。
難しいテーマはあえて掲げず、身近で親しみやすいお祭りとして石巻のまちに定着し、
これをきっかけに、富貴丁通りとお稲荷さんの存在を、
そして石巻に暮らす豊かさをあらためて知っていただければと願っています。

第1回富貴丁スペタコペタ市の様子。

ちなみに、「富貴丁スペタコペタ市」第2回の開催日は9月25日。
お稲荷さんにお参りがてら、おなかをすかせて来てけらいん!

石巻は被災地のなかでも被害が大きい都市。震災から5年が経ちましたが、
今も縁がつながったたくさんの方が足しげく通い続けていますし、
観光で、旅行で応援しようという方も増えています。
また、私と同じように移住した人やまちの若者たちが、
まちのため、自分のために日々奮闘しています。
震災というショックが大きなバネになって、まちも人も変わろうとしています。

今は物も情報も与えられるばかりの時代。
個人が力を発揮して社会に影響する、そんな機会が減っていますが、
見る角度を変えたり、自分の枠を取り払ってみたり、
いつもと違う行動を起こすことで見えてくる物事や課題があります。

そんなところにこそ、自分が成すべきミッションが隠れているのではないでしょうか?

第1回富貴丁スペタコペタ市のときの集合写真。

profile

Miki Amano 
天野美紀

日和キッチン/オーナー、特定非営利活動法人 モクチン企画/理事。一級建築士事務所アトリエ・天工人、ブルースタジオを経て独立し、2010年に株式会社アトリエイーゼロサンを設立。本業は建築士(二級建築士)で、個人住宅・集合住宅の企画・設計監理・リノベーション・デザイン監修・建物管理など、住まいに関わることを全般的に手がける。 震災後、縁あって石巻に通い始め、2013年4月に「日和キッチン」というレストランをオープン。現在は日和キッチンの「食」事業を核に、本業である建築設計、デザイン業、イベント企画、シェアハウスの管理人や宿泊所・観光案内などなど、石巻のまちのプラスになる事・必要とされる事に枠を越えてチャレンジしている。

information

map

日和キッチン

住所:宮城県石巻市立町2-7-26

営業時間:土日/朝ごはん6:30〜9:30、昼ごはん11:30〜14:30 、火水木/日替わりオーナーさんのランチ営業11:30〜14:30  

定休日:月曜・金曜

朝ごはん定食550円、昼ごはん定食800円

日替わりオーナーさんのランチ内容・価格は日によって変わります。

詳しくはFacebookページをご確認ください。

https://www.facebook.com/HiyoriKitchen/

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