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なぜ移住? なぜ下田?
若者に伝えたい
「東京ではできない暮らし」|Page 3

暮らしを考える旅 わが家の移住について
vol.143

Page 3

移住を考えるキッカケは
「東日本大震災」

あらためて生い立ちから振り返ります。
今では田舎のオッサンにしか見えない自分ですが、新宿区で生まれ、
小学校の数年間を渋谷区で過ごし、
また新宿区に戻ってきて高校も新宿……という都会っ子でした。
大学で建築を学び、卒業後は都内の設計事務所に勤務。
その後、紆余曲折あり、池袋から数駅の江古田という学生街で
自営業で飲食店をやり、閉店後は原宿や目黒、恵比寿という
全国的にも知られるようないわゆる「オシャレっぽい?まち」で
インテリアやリノベーションの仕事をしたり。

30代半ばで知り合って結婚した妻は、
当時はこのコロカルを運営する
出版社〈マガジンハウス〉に籍を置くフォトグラファー。
ふたりともの実家が都内で行きやすく、
初めての子どもの出産を控えている状況では、
実家が近いというのはかなりのメリットです。
今、あらためて考えてみても、
よくこの状況で移住を決意したなあ……というほどに
恵まれた「東京暮らし」の状況で、
何の疑問も持っていませんでした。

そんなときに、東日本大震災が発生したのです。
移住を考えるキッカケは人それぞれかと思いますが、
わが家の場合は『東日本大震災』でした。
震災……? 
自分のような昭和世代にとっては、
割と最近の出来事のように感じている東日本大震災ですが、
例えば、先日話をした高校生にとってみると
記憶があるかないかという時期の出来事なのです。

震災がキッカケで移住を考える? というのが
そもそもピンとこないのだ、という世代間ギャップに
こちらとしても驚いてしまいますが、
あのときに起こったことをしっかり伝えていく必要も感じました。

震源地から遠く離れた東京でもかなり揺れました。
電車は止まり、道も大渋滞。
平日の昼過ぎに発生したこともあり
職場から自宅に戻れないという帰宅難民が多くでました。

僕は割と自宅から近い場所にいたので
なんとか帰ることができたのですが
(とはいっても2時間くらい歩きました)、
途中、足止めされていた吉祥寺駅のテレビモニターに
人だかりができていて、
そこにリアルタイムで映しだされた津波がまちを襲う様子、
その映像を見て泣き叫ぶ人の声は今でも忘れられません。

自宅に戻ってからは、食品や水を手に入れなければと
スーパーに向かったのですが、
いつも溢れんばかりに陳列してあるスーパーの食品や水の棚は
ガラガラになっていて、次にいつ物が入ってくるか
まったくわからないと言われて呆然としました。

空になったスーパーの棚

その後、原発事故もあり、停電があったり、
電力不足を補うためにまちの街灯が消えて、
普段は明るい東京の夜が真っ暗になっていたことを覚えています。
また、東京でも水道水や土壌の
放射能汚染が懸念されたりもしました。

東日本大震災での混乱を経て
変わった価値観

そんなこんなの大混乱のなかで感じたことが、
「この社会の仕組みのなかで、お金を稼いで消費することで
暮らしを成り立たせているけど、その仕組みが機能しなければ、
稼いだお金を使うことすらできなく、
何ひとつ自分ではできないではないか……」。

そう考え始めると、自分がいかに
「消費するだけの暮らし」をしていたかを思い知り、
少しでも必要なものを「つくる暮らし」に
シフトすることを考え始めました。
その理由には
妻が初めての子どもを身ごもっていたこともあったように感じます。

生まれたばかりの娘さんの手をにぎる津留崎さん

震災から3か月後、妻と僕にとっての初めての子どもが無事に生まれてくれました。感謝。

「『稼いで消費する』を繰り返していくのは、
この社会にとっては必要なコトなのだろうけど、
それはそもそも人間らしい生き方といえるのだろうか?
父親になるのであれば、
もっと暮らしに必要なものをつくれるようになりたい……」

そんな思いから、主食である米をつくれるようになりたい、
家も自分でつくれたら、エネルギーも自給できたら……、
と考えるようになったのです。

そんな暮らしはこれまで暮らしていた東京ではできないのでは?
ということで、自然と地方への移住を考えるようになったのです。
とはいってもわが家が下田に移住してきたのは2017年。
震災から6年も経過してからです。

やはり先ほど書いたように恵まれた東京での環境もあって、
なかなか行動に移せませんでした。
ふたりともが正社員で収入的には安定していて、
ふたりの実家も近い。
初めての子育てに恵まれすぎた環境。
その状況を捨てて、子育ても仕事もプライべートも
全く先の見えない新天地への移住は、
相当に決意と覚悟がいりました。

でも、やっぱり一度考え始めた「消費するだけの暮らし」から
「つくる暮らし」へシフトしたいという気持ちは消えることがなく、
娘が小学校に上がるまでには移住をしよう! と妻と決めて、
動き出したのです。