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その後、もっと漁の撮影をしてみたい、
とくに同じ働く女性でもある海女さんが漁をする姿を撮影してみたい
という気持ちが強くなり、東北や三重の漁協に問い合わせました。
ところが、漁は天候に左右されるので、
撮影できるかどうかは当日にならないとわからないというのです。
当時、私は出版社の社員で、
現地に長期滞在して待ち構えることができませんでした。
そうして断念したまま放置していたことが、
下田に移住してから実現したのです。
実際に暮らし始めるまでは、
下田にこれほど多くの海人さんがいることを知りませんでした。
天草納屋で初めて海女さんたちを見かけたときはうれしくて、
とても興奮したことを覚えています。
撮影を始めた当初は、
海人さんたちにレンズを向けることにとても緊張しました。
東京からきた「よそもん」がずけずけと入ってはいけないのではないか。
撮影されるのがいやではないだろうかと。
けれど、通い続けているうちに海人さんとの距離が少しずつ縮まり、
「おねえさんまたきたのー」と笑顔で迎えてくれるようになって、
正直とてもホッとしたのです。
さらに、ある同世代の海士さんと知り合って仲良くなり、
お願いをして船にも乗せてもらえるように。
海士さんから「口開けしましたよ〜(漁が解禁になること)」
という連絡を受けるとウェットスーツに着替え、海まで車を走らせます。
漁の期間は限られた日数、
その機会を逃すと翌年まで持ち越しになるという貴重な機会です。
近くに住んでいないとなかなか出会うことのできない、
そして、海人さんの協力がないと立ち会えない
貴重な現場を撮影させてもらっています。
下田で漁の撮影を始めてみると、
天草諸島で受けた衝撃と同様に未知の世界が広がっていました。
たとえば、春の味覚として地元で愛されている海藻のはんば海苔。
はんば海苔は荒波が押し寄せる岩場で採取するのですが、
足元はとても滑りやすくいつ波にさらわれるかわからない危険な漁です。
80代の海女さんは、はんばを摘みながら常に波の音を耳で聞き分け、
「波がくるぞ!」と思うと岩場を猛スピードで駆け上がり逃れます。
その直感と技、荒波の立つ大海原に立ち向かう勇ましさを
目の当たりにすると、心底感動します。