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沖縄・石窯天然酵母パン〈宗像堂〉
宗像誉支夫さん みかさん

PEOPLE
vol.033

posted:2015.12.4   from:沖縄県宜野湾市  genre:食・グルメ

〈 この連載・企画は… 〉  ローカルにはさまざまな人がいます。地域でユニークな活動をしている人。
地元の人気者。新しい働きかたや暮らしかたを編み出した人。そんな人々に会いにいきます。

writer's prodile

Yu Miyakoshi

宮越裕生

みやこし・ゆう●神奈川県出身。大学で絵を学んだ後、ギャラリーや事務の仕事をへて2011年よりライターに。アートや旅、食などについて書いています。音楽好きだけど音痴。リリカルに生きるべく精進するまいにちです。

酵母の息吹と先人の仕事に耳を澄ます

那覇市街から北東へ車を走らせ、約30分。
国道を西へ折れて高台を上っていくと、
やがて道がなだらかになり、畑の向こうに海が見えてくる。
道のかたわらに〈宗像堂〉と書かれた小さな丸い看板を見つけ、
わきの道を下っていくと、風を避けるようにして白い平屋の建物が建っていた。
天然酵母パンの店、宗像堂だ。

辺りには燦々と日がふりそそぎ、がじゅまるの木が生い茂っている。
木のドアを開けてなかに入ると、台の上にずらっとパンが並んでいた。
まだ辺りが暗いうちから石窯に薪をくべ、じっくりと焼かれたパンたちだ。

宗像堂のカンパーニュをかじると、ライ麦のほろ苦さと酸味が鼻にぬける。
クラムは弾力と水分を抱え、噛みごたえがある。
ゆっくりと発酵した生地を石窯で焼いているため、
表面はパリッと、中はしっとりとした、石窯独特のパンに焼き上がるのだ。
このパンの後をひくおいしさが人びとを惹きつけ、カリスマ的な人気を博してきた。
いま、沖縄に数ある天然酵母パン店の先駆けとなったのも宗像堂だ。
今回はこの店の店主、宗像誉支夫(よしお)さんとみかさん夫妻にお話をうかがった。

後列左から時計まわりに〈角食〉〈ライ麦カンパーニュ〉〈アーサチーズパン〉〈やんばるソーセージベーグルロール〉〈くるみ&カレンズ〉〈黒糖シナモンベーグル〉

宗像堂は、現在の場所に12年。
宗像さん夫妻は、パンをつくりはじめて15年になる。
だがふたりには、パン屋で修業をしたり、
パン職人のもとに弟子入りしたりといった期間がないという。
それでなぜ、こんなに味わい深いパンがつくれるのだろう。

「私はもともと、大学院で微生物の研究をしていたんです。
それが縁あってパンづくりを始め、独学で研究し、
いろんな人やものに影響を受けながらパンをつくってきました。
いまでも私たちの研究はずっと続いていて、見えている世界もどんどん変わってきています。
おもしろいと思うのが、やればやるほど昔の人たちのやり方に近づいていくというか、
昔の人たちの高度さを理解することになっていくんですよ。
日本古来の、千年とか1万年という歴史や文化——そういうものを感じながら、
余計なものを削ぎ落とし、ベストを尽くしていくことが大事かな」(誉支夫さん)

沖縄の地で

宗像誉支夫さん、みかさん

誉支夫さんは福島県に生まれて琉球大学の大学院に進み、
微生物発酵液を練りこんで焼いたセラミックスがウイルスの感染を
阻止する方法について研究していた。
みかさんと出会ったのは、ちょうどその頃。
みかさんは奄美大島に生まれて東京で働いた後に沖縄へ移住し、
沖縄音楽のミュージシャン〈ネーネーズ〉のマネージャーをしていた。

「当時の私は、一生研究に携わっていくもんなんだと思っていました。
それでみかさんのお父さんに結婚の挨拶に行った時も、
“微生物の研究所に勤めますのでよろしくお願いします”と、
そういう感じだったんですけどね(笑)」(誉支夫さん)
                
ところが誉支夫さんはほどなくして体調を崩し、研究所を辞めてしまう。
そして、立ち上がれないほど疲弊していた時に出会ったのが、陶芸家の與那覇朝大さんだった。
土にふれると、粘土細工や工作が好きだった子どもの頃の感覚がよみがえり、
「こんなことを仕事にしていけたらどんなにいいだろう」と思った。
当時は、陶器をつくることだけが生きる喜びだった。
それから誉支夫さんは與那覇さんに頼みこんで弟子にしてもらい、陶芸の道に入る。

目の前のことに全力で打ち込んでしまう性格だという誉支夫さんは、
約3年の間、陶芸の仕事に打ち込んだ。
ところが、陶芸の粉塵や釉薬などが原因で喘息にかかり、
仕事を続けることが困難になってしまう。

みかさんは、仕事を辞めたのは病気だけが原因ではなかったと言う。

「修業していくうちに、先生から求められることと、
彼が表現したいことの間にギャップが出てきて。
そのストレスもあったんですよね」

ものをつくる人がしばしばぶつかる壁だ。

「まあ、ものを知らない若者がはまってしまう穴だと思うんですけれど。
そこに見事にはまってしまって(笑)」(誉支夫さん)

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初めてつくったパンの味

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パンをつくる暮らし

それから誉支夫さんは考えた。
陶芸を辞めて、どうやって生きていくか。

「その時は、本当に困っていたんです。
ちょうど子どもが生まれたばかりの時だったし、仕事はできないし。
そんな時に、研究者時代の友人たちが奈良で天然酵母のパンづくりを教えている
楽建寺のお坊さんを連れてきたんですよ。“パンをつくって食べていきなさい”と言って。
それで私は最初“器は焼くけどパンなんか焼かないよ”と言っていたのですが、
初めてつくったパンの評判が良くて。
それから、徐々にやってみようかなという気持ちになっていったんです」

3年間土と向き合ってきた誉支夫さんは、パンをこねるのもうまかった。
それから周りの熱心な勧めもあり、2000年より当時住んでいたアパートの一室で
パンをつくる生活を始める。

「最初は家庭用のオーブンを借りてつくり始めました。
カフェやマッサージ屋さんに配達して、かごをひとつ置かせてもらって、
ひとかごずつ増えていくという感じで、少しずつ注文が増えていきました」(みかさん)

それから1年ほど経ちアパートが手狭になってきた頃、
現在店がある宜野湾市内の物件に出会い、拠点を移した。
見晴らしのいい、高台の外人住宅(*)。だが、周りには緑と人家しかないところ。
それから、住居を店としてオープンさせるために改装しながら生活し、
パンをつくっては配達するという生活を送った。

そして2003年、ついに宗像堂という名で店をオープンさせる。
この時は、店舗は玄関先だけで裏には窯小屋があるだけだった。

*外人住宅:在日米軍の軍人や家族のために建設された米軍ハウス。1972(昭和47)年の沖縄返還後より民間に貸し出されるようになり、白い外壁、四角い建物というシンプルさが好まれ、住宅や店舗として人気を集めています。現在では「外人」という言葉が差別に当たるという指摘もありますが、沖縄では「外人住宅」という固有の表現が浸透しているため、ここではあえてそのままの言い方を使用しています。

アーティストたちとの恊働

テラスの壁に描かれたパンを焼く人の絵は、絵本作家の沢田としきさんによるもの。

宗像堂の店づくりには、店のデザインを手がけたアーティストの豊嶋秀樹さんや
ロゴを手がけた〈ミナ ペルホネン〉のデザイナー・皆川明さん、
テラスの壁にパンを焼く人を描いた絵本作家の沢田としきさん、
リーフレットの写真を撮った藤代冥砂さんなど、いろんな人が携わっている。
不思議とその時々で助けてくれる人やものに出会い、広がってきたのだ。

ほのかな酸味がおいしい〈角食パン〉は、
とあるミュージシャンのオーブンとパウンド型を借りたことがきっかけで生まれた。

「それまでパウンド型のような道具を
一切使ったことがなかったんですけれど、
その型をお借りしてから食パンをつくるようになりました。
しばらくはそのオーブンと借り物の電気オーブンの2台でパンを焼いていました」(みかさん)

それから1年後。ふたりはなんと、友人たちの手を借りて石窯をつくってしまう。

「ある時友人が石窯のつくり方の本を持ってきてくれて、
つくってみようということになって。
その時に、本がとてもおもしろかったので、著者の須藤章さんに連絡をとってみたんです。
そうしたら偶然にも宮古島から本州へ戻るところだというので、手伝いに来てくださって。
土台づくりまで手伝っていただいて、その後は自分たちで一気につくりました。
それから何度も改造し、いまの窯は5代目です」(誉支夫さん)

窯を横から見たところ。右側が薪をくべるためのスペース、左側が窯にパンを入れる工房になっている。

現在の窯はかまくら型で4層構造になっている。
熱の伝わり方を研究した結果、このかたちにたどり着いた。
近頃、石窯はヨーロッパでも減っているというから、その工法も窯自体も、かなり貴重だ。

宗像堂の店内。白を貴重とした色味や、使い古された家具が調和し、気持ちのいい空気が流れている。

店のデザインを手がけた豊嶋秀樹さんは、空間構成や作品制作、
イベント企画などを手がけ、多彩な表現活動で注目されているアーティストだ。
豊嶋さんは10回以上も宗像堂に足を運んでリサーチを行い、店をつくっていったという。

「豊嶋さんは新しい素材を使わず、
もともとそこにあったものや道具で制作するブリコラージュという手法で
素材と空間のエネルギーを最大限に引き出す作品をつくっているアーティストです。
彼は長時間にわたって私たちにインタビューを行い、
“宗像堂を展示する”というコンセプトで、宗像堂全体を手がけてくれました。
もともとあったものを再利用しているので、看板がカウンターになっていたり、
廊下や棚に使用していた木材がテーブルになっていたりします。
土地の持つ力や、空間に流れるエネルギー、
そこで働く私たちを感じて制作されているせいか、
我々もこの空間にインスパイアされています」(誉支夫さん)

テラスの床にほどこされた模様も豊嶋秀樹さんによるもの。豊嶋さんがひとつひとつ型を押していった。

皆川明さんとは、4ほど前に共通の友人である田原あゆみさんの
ギャラリー〈Shoka〉で出会って意気投合し、
お互いに「何か一緒に仕事ができたらいいね」と話すようになった。
それから二度目か三度目に会った時に、皆川さんが宗像堂のパンを
入れるためにデザインした〈ミナムナパンバッグ〉が生まれた。

パンをかたどった線画とお店のロゴは、皆川さんが宗像堂のテラスで描いたという。
宗像堂の魅力を控えめに、それでいて上質に表している。
皆川さんと宗像さん夫妻の恊働は、これからも続いてきそうだ。

「いい仕事をしている人に出会うことが、
仕事のエネルギーになり、私たちの仕事を助けてくれています。
その人が軽やかに仕事を楽しんでいるエネルギーを感じれば感じるほど、
作品の心地良さや大きさを感じる。そういう仕事っていいなあ、と。
皆川さんも遊び心があって、粋なんだよねぇ」(誉支夫さん)

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さまざまな酵母が存在する理由

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さまざまな酵母が存在する理由

ふたりが大事にしているもうひとりのパートナーが、酵母という存在だ。

「菌の世界を見ていると、いかにたくさんの種類の菌が
パンづくりに関わることが重要かということに気づかされるんです。
そこに良い菌、悪い菌というものは一切ない。
ただおいしいパンをつくるという目的のもとになるべく多くの菌が集まることによって
本当に奥行きのあるものが生まれるんです」(誉支夫さん)

パンづくりの過程で起きている現象も大事だが、人との関係性も大事だと誉支夫さんはいう。

「私はこの仕事をすればするほど、そこで起こっている現象よりも、
人との関係みたいなことのほうがむしろ重要だと思うようになりました。
つくっている人間同士の意識がどういう風につながってこのパンができ上がっているのか、とか。
おそらく、昔の人はそういった人間の深みのようなものを食べものや工芸に、
無意識のうちに表現できていたと思うんです。
たとえば昔のように、夜の暗闇の中や、メディアをまったく目にしていない状況の中で
いい仕事をしようと思うと、いろんなことを自分で感じなくてはならないんですよね。
現代では、そうやって想像力を働かせたり、集中したりといったことが
難しい状況になってきている。
そこをもう少しひたむきに、背景を含めて深く観察しながらつくっていく
という作業が大事だと思うんです。
そうして仕事を続けていくなかで、いい仕事をしている人や
昔のものに出会うと、自分と何が違うんだろうとか、
このいい感じがどうやったら出せるんだろう、と考えるようになる。
そうやっていろんなものやことがつながり、パンづくりがどんどん深まっていくんです」

ふたりがインスパイアされるもののひとつが、ワインやチーズなどといった伝統的な発酵食品だ。

「すばらしいチーズやワインに出会うと、ものすごく触発されます。
優れたものは、口にした時に情景が浮かんでくる。
生産者の方がシンプルに食材に向かっている、
心意気みたいなものが伝わってくるといいますか。
おもしろいことに、私たちが独学で試行錯誤しながらつくってきたパンと、
フランスで千年ぐらいつくられてきたチーズが、ものすごく相性が良かったりするんですよ。
ということはおそらく、私たちが昔の人のつくり方に近づいていくような仕事ができていて、
お互いの味を高め合えるいいハーモニーがつくれているんじゃないか、と。
そういった食材に出会うと、私たちにも喜ばれるもの、価値あるものを
つくっていけるんじゃないかな、と勇気づけられますね」(誉支夫さん)

酵母を掛け継ぐ

店の裏へまわると小さな工房が立っている。朝一番に訪れたら、職人さんがフル回転でパンを焼き上げていた。

宗像堂のパン酵母は、人から譲ってもらったものをずっと掛け継いでいる。

「人を介して受け継がれてきたものに、自分の歴史を加えて
掛け継いでいくことのおもしろさを感じるんです。
微生物は環境に適応するものなので、扱う人によってどんどん変わっていく。
そのことをわかったうえでおつき合いし、いかにお互いに切磋琢磨しながら、
いいパフォーマンスをつくっていけるかどうか。
いろんな種類の菌がそれぞれに増えたり減ったりしていくので、
その山がどう変化し、どういう風に重なっていて、どの辺でつかまえてパンにしようか——、
というところを想像しながらつくっています。
それから、自分の中に私たちが常に大切にしている味があるので、
そこに響くポイントを逃さないようにしています。
それがないと、菌の変化とともにどんどん変わっていってしまうので」(誉支夫さん)

年に一度、武道のワークショップを受けている誉支夫さんは
武道とパンづくりは似ているという。

「武道の先生が“言語を超えた世界共通の感覚がある”と言われました。
たしかに、武道にもパンづくりにも、
本当に“ここ”としかいいようのないポイントがあるんです。
先生にそう言われて、自分は普段からそういったポイントを感じながら
仕事をしていることに気がつきました。
それは自ら感じようとしないと、感じられない。
だから私たちは、窯に温度計をつけないんです。
温度計があると、自分の感覚で感じるということをさぼってしまうので。
感覚を総動員させて、手をあてたり、水を弾く時の音を聞いたりしながら判断しています。
そういう仕事をしていると、感覚が死ぬことがない。
そうすると、パンが生きてくると思うんです。
私たちはなるべくそういう、生きた仕事を心がけています。
世の中においしいものが溢れているなかで、
そこにないものをつくっていかないと、私たちの存在の意味がないので」

ふたりは今年の冬から、20年来の友人と一緒に小麦の栽培に取り組んでいく予定だという。
「まるでわらしべ長者のように縁がつながり、どんどん進化していきますね」というと、
みかさんは「私たちはゆっくり進んでいると思っているんですけど」と笑った。

「日常のなかで出会うものと、ゆっくり向き合ってきたという感じですね。
いつもその時々で起きることが、ちょうどいいタイミングだなと思うんです」

profile

YOSHIO / MIKA MUNAKATA 
宗像誉支夫 みか

琉球大学大学院で微生物の研究をしていた宗像誉支夫さん(福島県出身)と、沖縄音楽のミュージシャン〈ネーネーズ〉のマネージャーをしていたみかさん(奄美大島出身)が沖縄で出会い、結婚。2003年より石窯天然酵母パン〈宗像堂〉を主宰。独自に研究した方法によりパンをつくり続けている。

information

宗像堂(イートインカフェあり) 

住所 沖縄県宜野湾市嘉数1-20-2
電話  098-898-1529
営業時間 : 10:00~18:00 水曜定休
http://www.munakatado.com/

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