連載
posted:2015.11.4 from:熊本県水俣市 genre:食・グルメ
〈 この連載・企画は… 〉
ローカルにはさまざまな人がいます。地域でユニークな活動をしている人。
地元の人気者。新しい働きかたや暮らしかたを編み出した人。そんな人々に会いにいきます。
writer profile
Yoko Yamauchi
山内陽子
やまうち・ようこ●企画と文章。熊本生まれ、熊本育ち、ちょっと放浪、熊本在住。地元を中心に、広告・広報の企画を手がけています。おいしいものが大好きで、お米、お水、お魚、お野菜、いろんなおいしいものにあふれている熊本から離れられません。
credit
撮影:木下幸二(熊本在住)
熊本県の最南端の地である水俣市から安心できて、おいしい食材を、
自らの足で探して発信する食のセレクトショップ〈もじょか堂〉。
その代表である、澤井健太郎さんの、水俣という土地に対する想いは大きい。
水俣は、長いあいだ、食べものに「水俣産」と言えない時代が続いてきた。
「MINAMATA」を世界的に有名にした産業公害。
あれから60年の年月が経ったいまの水俣は環境モデル都市として国の認証を受け、
人々の努力によって豊かな海を取り戻している。
そして、60年という年月を積み重ね、
食べものに対しての意識の変化も少しずつ見えてきている。
もじょか堂で取り扱っている食材や加工品は、
澤井さんをはじめ、スタッフが畑や生産の現場を訪ねて
つくっている人の話を聞いて、吟味して、納得したものばかり。
丸田さんのお野菜、天野さんの紅茶といった具合に
すべての商品について、誰々さんがつくったものとわかる。
顔が見える生産者から一歩進んで、
話を聞ける生産者がつくるものしか取り扱っていない。
有機栽培、自然栽培の商品が多いが、特に限定しているわけでもない。
農業に対する、自分なりの考えを持っている生産者であり、
その土地に合ったものを、おいしくつくっている人に、澤井さんは惹かれるという。
もじょか堂では、そうして集めてきた商品をもとに、ネット販売をはじめ、
水俣市内にある店舗での販売、熊本県内のレストラン、料理店への卸などを行っている。
「実際に会って、話したことのある生産者さんがつくっているものだから
売るときには、お客さんにつくっている人の話を交えながら商品を紹介できます。
また、取引先の飲食店の方からは、食材をどう料理したのか、話を聞くことができます。
それを生産者さんにフィードバックすると、とても喜ばれるのです」
食を通じた、生産者と生活者の豊かな交流。
それをつなぐ役割も、もじょか堂は担っている。
Page 2
澤井さんは、水俣市生まれの、熊本市育ち。
大学時代は関東で過ごし、ニュージーランドへの留学経験を持つ。
ニュージーランドで語学を、水俣で農業を学んだことがきっかけで、
JICAの青年海外協力隊で、村落開発普及員として海外に行くことを目標に掲げていた。
しかし、いざ、その目標を現実のものにするためにJICAに応募するも
二次試験の健康診断でストップがかかった。
「心臓に問題が見つかり、すぐに手術をすることになりました。
青年海外協力隊をめざして一直線だったから、途方に暮れましたね。
でも、病室で考え直したんです。
農業だったら、地元でもできるんじゃないか、と」
それは、澤井さん、26歳のときの一大決心だった。
最初に澤井さんが手がけたのは、自宅でできる養鶏だった。
4羽の鶏を手に入れ、鹿児島の養鶏家に教えを請いながら、放し飼いの養鶏を始めた。
すぐに卵を産んでくれるだろう、と思っていたが
初めて鶏が卵を産んでくれたのは、10か月後のことだった。
「とにかく、この1個が神々しくて。食べものに見えませんでした。
家族といっしょに割ってみると、ぷっくりとおいしそうで。
生で食べてみると、さらに感動しました。これが卵か!って」
それから、養鶏がおもしろくて、力を入れるようになった。
おからや給食の残飯といった地域の未利用資源を集め、発酵させ、
餌づくりにこだわった。そうすると、明らかに卵の味が変わった。
それから少しずつ規模を大きくし、安定的に卵を供給できるようになったときに初めて、
「どこで売るのか」という問題が立ちはだかった。
そこで、地元の麹屋に卵を持ち込んで相談した。
食に対して厳しい目をもつ店主に味を認められ、卵の1個売りを始めた。
それが、もじょか堂のはじまりだ。
Page 3
「もじょか」とは水俣の方言で、「かわいい」という意味。
かわいい、かわいい食材たちを、大事に、大事にしていきたい、という
澤井さんの食材への愛が込められている。
そして、もうひとつ、名前に込めたものがある。
ニュージーランドに留学していたときに出会って
そのおいしさに衝撃を受けたアボカドだ。
「アボカドゥ、もじょか堂、響きが似てませんか(笑)。
産地で食べたアボカドが、こんなにおいしいものか、と衝撃的だったんです。
その出会いが、私の農業の原点になっているし
だからこそ、名前にもアボカドをイメージさせたかったのです」
2007年に澤井さんひとりでスタートを切ったもじょか堂は、
地元の建設会社の新事業として2009年にネット販売を展開することに。
澤井さんの卵だけでなく、地元の農産物に目を向け、発信する場として広げてきた。
途中、鳥インフルエンザが流行したことで養鶏を断念するも、
新しい試みとして、4年前から澤井さんの原点であるアボカド栽培に取り組み始める。
「これまで露地栽培で自然に育ててきましたが、
今年は台風の影響で1個を除いてすべて落ちてしまいました。
現在は、新しくハウスをつくり、土づくりから試行錯誤を始めているところです。
水俣、という土地に合った栽培方法を見つけて、確立して、
水俣をアボカドの一大産地にすることが目標です」
そのほかにも、高齢化によって耕作困難となっていた農園で
マイヤーレモンの自然栽培にも取り組み始め、今年初めての収穫物を販売。
また、取り引きのあるレストランシェフの発案から、
水俣の棚田でリゾット米の生産・販売を手がけている。
その一連の取り組みの根底にあるのは、「地元の産物の価値を高めたい」という想い。
価値を高めることで、地元の生産者の“つくる喜び”につなげたいと澤井さんは考えている。
Page 4
2014年10月、もじょか堂は建設会社の事業から独立して法人化。
さらに、2015年12月には、スタッフが編集長となり
『水俣食べる通信』を発刊させることになった。
澤井さんがめざしている、地元の持続可能な農業・漁業のあり方。
効率的にその価値を伝えていく方法を模索した結果、
直接生活者とつながることが一番の方法であり、
それを実現する手段として考えた結果だ。
「現代は、ひとりの人がいろんな価値観を持っている時代。食に対しても、そう。
そのさまざまにある価値観をどうやって結びつけたらいいのか考えているときに、
東北で始まった『食べる通信』と出会いました。
『食べる通信』のすばらしいところは、
生産者さんと読者をつなげる受け皿となっていること。
顔が見えるだけでなく、生産者さんに会いに行けることが大きな利点。
再生した水俣だからこそ、伝えられるものを発信していきたい」と意気込む。
「食と人間とのつながりは、水俣から発信するから意義がある」
その言葉を、東京から移住してきたスタッフから聞いたときに、
澤井さん自身、ハッとさせられたという。
「水俣は私自身のふるさとでもありますが、
外から見ていた人たちの目に映る水俣を知り、あらためて、
水俣で食について取り組むことの意味に気づかされました。
水俣だからこそ、できることがある、と。
まぁ、想いは大きくても、日々やっていることはコツコツと、
地味なものなんですけどね」と語る澤井さんの目は、
足元の土地を見つめながら、10年後、20年後、
さらにその先につながる、持続可能な社会を向いている。
profile
KENTARO SAWAI
澤井健太郎
1979年水俣市生まれ。水俣市にある食のセレクトショップ〈もじょか堂〉代表。26歳のときに4羽の養鶏からもじょか堂をスタート。2014年10月には法人化し、食に対する取り組みの展開を広げている。
information
もじょか堂
Feature 特集記事&おすすめ記事