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『つくる暮らし』を求めて
下田へ移住し8年。
事業を始めて大きく変わった暮らし|Page 3

暮らしを考える旅 わが家の移住について
vol.152

Page 3

私生活と仕事のバランス

私生活の面ではそのように充実して過ごしていたのですが、
『仕事』の面ではなかなかコレだ!
という何かをつかめずにはいました。
基本的には、『暮らし』を充実させることをメインに考えていて、
あまりハードに仕事をしないコトを念頭においていたので、
致し方なかった面もあります。

この連載でも都度書いてきていますが、
移住後についた仕事としては……
看板屋、工務店、養蜂場のスタッフ、
行政の情報発信SNS運営やライター・カメラマン、
ワーケーション施設の拠点マネージャー。
雇用形態としてはどこも『正社員』にはならずに、
バイトや業務委託でした。
米づくりや自宅のDIY、家族との時間、
出張に出かけることもあるフォトグラファーの妻との
家事育児の分担を最優先に考えて仕事の量を調整していたので、
そのような働き方となっていたのです。

自分としても、こうした『つかめない状況』のなか、
この先もこのままいくのか? と、
考えないこともなかったのですが、
無理やり何かをはじめるのではなく、
時期が来ればきっと自然と何かを『つかめる』のではないか?
漠然とそう感じて日々を過ごしていました。

そして、やってきたのが拠点マネージャーをしていた
ワーケーション施設の運営企業の突然の撤退という事態です。
一昨年の年末に突然閉鎖が決まり、
12月末閉鎖、1月末で企業は撤退していきました。

空き物件となった元ワーケーション施設

空き物件となってしまった施設。

この仕事は、地方創生に取り組む東京の上場企業から
業務委託で請け負っていたので、
こんなにもあっさりと契約解除なんてコトがあるとは
思っていなく、唖然としてしまいました。
でも、唖然としていたのは自分だけではなく、
その施設を利用していた人たちもです。

施設の滞在をキッカケとして
住民票を下田に移してきた人もいれば、
起業して施設に会社を登記していた人もいました。
また、自分が拠点マネージャーとして力をいれていたのが
滞在者と地域の人との交流です。

施設に滞在する人が、より地域との関係性を深めるには
『交流』が欠かせない、
そして地域の人もあらためて『交流』によって
ヨソの人が見た地域の魅力を知ることができる。
人口減少に悩まされるこの地域にとっても、
こうした交流の場の必要性を感じて、
やりがいを持って取り組んでいたのですが、
こうした結果になってしまい、
どうにもやりきれない思いでいっぱいで……。

また、施設の滞在者とつながりを持った地域の人も
この撤退劇には驚いていて、
交流を仕掛けた立場としても申し訳ない思いもありました。

ワーケーション施設の屋外スペースにイベント参加者がたくさん集まっている

ワーケーション施設でのイベント時の様子。さまざまな仕掛けをして、滞在者と地域の方との交流の場をつくってきました。