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伊豆下田へ移住した3人家族。
小学6年生の娘が語る
「移住と下田のホンネ」|Page 2

暮らしを考える旅 わが家の移住について
vol.144

Page 2

幼稚園〜小学6年生まで、自ら移住を綴る

「暮らしを考える旅」を読んでくださっているみなさま、
いつもありがとうございます。
私と夫が交互に綴っているこの連載ですが、
今回は初めて娘が担当します。
移住したときに幼稚園児だった娘は、今年で小学6年生。
来年からは下田の中学に入学します。

娘は1年ほど前からオンラインで作文の授業を受けているのですが、
仕上がった作文を読むと、
親が気づいていなかった娘の感情や想いがうかがえて驚かされます。

娘にとって、とても大きな出来事だった東京から下田への移住。
実際にどんなことを感じてきたのだろうか。
そして、いまの暮らしをどう考えているのだろうか。
会話ではなかなか汲むことのできない娘の胸中を知りたい。
そして、子連れでの移住を考えている方の
参考になればと思っております。
(母・徹花)

キッチンで料理をする津留崎さんの娘さん

三重への移住、下田への移住

はじめまして。
今回、母から原稿を書いてみないかといわれ、
最初は「絶対無理!」と思ったのですが、
なんとか頑張って仕上げました。
最後まで読んでもらえたらうれしいです。

私は、父と母と私の3人家族です。
私たちは、もともと東京に住んでいました。
けれど、東日本大震災でスーパーの食品棚が
空っぽになっていたことがきっかけで、
父と母が「自分たちで食べ物をつくろう!」と思い、
移住することを決めたのです。

最初は、三重県の津市に住み始めました。
けれど、結局、静岡県下田市に移住。
下田は東京に比べると田舎ですが、三重に比べると都会だし、
近くにきれいな海がたくさんあって、
いつでも泳いだり遊んだりできるとてもいい場所です。

私は今思うと、三重に住まないで
下田に移住してよかったと思います。
なぜなら、母の仕事の関係もあって、
下田のほうが私たちにあっているからです。

雪が積もった中、三重県の美杉町太郎生で家族3人で記念撮影

三重県の美杉町太郎生という山深い地域で生活をスタートしました。大変だった思い出と、楽しかった記憶が交差します。

(母・徹花)
東日本大地震が起きた直後、
食料を調達することができないという
人生で初めての経験をしました。
自分たちの食料を少しでもつくれるようになりたいと、
食べることと暮らしの距離が近い地方への移住を考え始めるように。
紆余曲折があり、最終的に落ち着いた場所が下田でした。
下田に移住してから始めた米づくりも、今年で6年目となります。
「母の仕事の関係」と娘が書いていますが、
私はカメラマンで、東京と下田の2拠点で仕事をしています。
三重よりも下田の方が東京に通いやすい、ということです。

雪の中、ヤギと遊ぶ津留崎さんの娘さん

下田での暮らしが落ち着くまでいろいろなことがありました。
まず、最初に三重に引っ越しました。
私は、三重ではつらいこともあったはずなのに、
なぜか楽しかったことしか覚えていません。
たとえば家族でピーマンの肉詰めを食べたり、家の庭で雪合戦。
さらに、父に的あてのおもちゃを買ってもらったり、
友だちと川遊びもしました。

どのことも、今思い出してもにやにや笑ってしまうほど、
とても楽しい思い出です。
けれど、なぜ下田に引っ越したのか母にたずねると、
東京での暮らしとあまりにも違ったからだといいます。
そして、私も帰りたいと話したそうです。
私は、楽しかったことしか覚えていないから、
その答えに少し驚きました。

(母・徹花)
娘が帰りたいと言ったのは、
東京で一緒に暮らしていた従兄弟たちとの別れからでした。
それもひとつのきっかけではありましたが、
きっと母親の私が移住に対して、
それまでの暮らしとはかけ離れた環境に
不安を感じていたからかもしれません。
にしても、娘にとって楽しい思い出がたくさん残っているというのは
この原稿を読むまでまったく知りませんでした。
ホットしたような気持ちになります。

川遊びする子どもたち

三重で知り合った友だちと、近くの川で遊んでいるところ。久しぶりに写真を見返してみると、いい笑顔がたくさん残っていました。

庭で雪で遊ぶ津留崎さんの夫と娘さん

奈良県にほど近い太郎生。とても雪深い地域ですが、空気が澄んでいて昔ながらの文化が色濃く残るすばらしい場所でした。

笑顔の夫と娘さん

さらに、下田に移住して、
幼稚園に通っていた頃も
私のなかではまだまだ落ち着いた暮らしとはいえませんでした。
幼稚園では、楽しかったこと、つらくて嫌だったこと、
どちらも覚えています。

同じ机で給食を食べていた女の子3、4人と、
大人になったらみんなでパティシエになろうねと話したり。
ある男の子が私のことを「ママー」と呼んできて、
少しおもしろくて楽しかったことを覚えています。
ですが、幼稚園に行くのがいやでバスの中で泣いたこともあったし、
父が園庭の草刈りにきているときは
会いたくてしかたがなかったです。

さらに、まだ友だちが少なかったので友だちをつくろうとして
いろいろな子にしつこく話しかけていました。
その結果、一度だけ水筒で頭を殴られたことがあります。
今の自分は、人にしつこく話しかけることがあまりできません。
なので、このときの自分は
すごく勇気があったんだなと感心しました。
小学校に上がってからはいい友だちができて、
平和な日々が続いています。

バス停への坂道を下る2人

保育園のバス停に向かう娘と夫。

木登りをする子どもたち

バス停で知り合った友だちと木登りをして遊ぶ、小学1年生の頃。

机に向かい合って宿題をする娘さんと友達

小学6年生のいま、同じくその友だちと夏休みの宿題をやっている。娘が素のままでいられる相手です。