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移住先の有力候補? 津市美杉町で
〈日本料理 朔〉を営む
魅力的な夫婦との出会い|Page 3

暮らしを考える旅 わが家の移住について
vol.004

Page 3

建築も料理も作品もすごい!
沓沢家に惚れ惚れ

山深い細い道を登っていくと、急に目の前が開け、
抜けのある広大な敷地に到着。
その敷地に、母屋、レストランに改装中の離れ、
山羊の小屋、ツリーハウスが点在しています。
思っていた感じとスケールが違うぞ、とわくわく、ぞくぞくしてきました。

その年の夏にレストランをオープンすべく工事を進めている現場を、
沓沢敬さん、佐知子さんご夫婦に案内していただきました。

まず、驚いたのが、もともとは離れだったという小さな古民家を
独自の発想で、とても斬新で魅力的な建築にしていることでした。
手づくり感満載のDIYというレベルじゃないのです……。

増築した部分が斜面よりせり出している独特の佇まい。本職は料理人の沓沢敬さんの発想だそうです。難しい大工工事は地元の大工さんにお願いしており、ちょうど大工さんもいらっしゃったのでお話をうかがいましたが、やはり敬さんの発想に驚かれていました。

エントランスへの石畳は、近くの川の石を持ってきて敷き詰めていました。壁はそこの土を塗ったそう。土地の素材を使うということは、経済の流れのなかでつくる建築とは一線を画す、建築本来のあるべき姿なのかもしれません。

それらを見ているうちに、僕の建築・リノベーションのプロとして
やってきた自信はがらがらと崩れ去っていく感じを受けました。
すべてが想像以上だったのです。

敷地の近くを流れる川に川床をつくっていました。なんとも贅沢な遊び場所。娘同士の似てるっぷりも想像以上でした!(撮影:津留崎徹花)

そんな沓沢家にいよいよ興味が湧いてきてしまい、勢い余って
「明後日、泊まるとこ決まっていないのですが、
この空いてるとこにテント張らせてもらえないでしょうか……? 
自分、工事も手伝います!」とお願いしてみました。

そんな、めちゃくちゃな申し出に快く応じていただき、
翌々日に本当にお邪魔してしまいました。

ご主人と中学生の長男で夏休みにつくったというツリーハウス。そして、厚かましくもお願いして張らせていただいたテント。どんなキャンプ場にテントを張るよりもワクワクしました。 *当時は工事中ということで、一応、その道のプロである自分が工事を手伝うということを志願して、特別に敷地内にテントを張る許可をいただきました。現在は飲食店を営業されていますので、訪問者が敷地内にテントを張ることはできません。

さらに、夜には宴まで開いていただき、
料理人である敬さんの手料理を堪能させていただきました。
土地の食材の力、敬さんの料理のセンスに圧倒され、
至福のひとときを過ごしました。

ここんとこ、包丁でなくのこぎりしか握ってないからどうかな~、とおっしゃっていたのをよく覚えています。料理も建築も素材を見極め、つくりあげる、という意味では近いのかもしれません。

工事現場やツリーハウスを見て、びびびっとなっていた自分でしたが、
話をしていてもびびびっとくることが多く、特に印象に残ったのが
「上流に住んでいるのだから流す排水のことを
しっかり考えないといけないと思っている」という話でした。
語るだけでなく、独自に排水を浄化する仕組みを考えて、
つくり上げているのです。

こちらは完成後の写真ですが、エントランス脇に鴨のいる小さな田んぼがあり、この田んぼも水の浄化装置のひとつとなっているのです。そして、この田んぼの米もお店で出すと。なんとも深いです。

こんなすばらしい家族との偶然の出会いがうれしくて、楽しくて、酒が進み、
すっかり酔っぱらった僕は、敬さんを「あにきぃ~!」と呼びまくって、
尊敬の念をアピールしておりました……。

さらには、その翌日には、彫刻家で陶芸家の奥さま、
佐知子さんの作品を見せていただいて、またもや衝撃が走ったのでした。

土地の土で地層を表現した一輪挿し。やはり深い……。(撮影:津留崎徹花)

夫婦揃ってすごすぎる……世の中、すごい人たちがいるんだなあ……って。
これ、僕だけが感じたわけでなく、
一緒にいた妻も沓沢家に完全に惚れていました。

自らの手で店をつくり上げる沓沢夫妻と愛犬ゆう。ほかにも山羊のシロ、鴨のチャチャもいて、敷地内には鹿もよく出没する。自然と動物とともに生活があります。(撮影:津留崎徹花)

沓沢家の皆さまはそんな馴れ馴れしい僕たちを楽しんでくれたようで、
それ以来おつき合いをさせていただいているのです。

2015年の6月に〈日本料理 朔〉オープン。美杉の美しい自然、敬さんの料理、佐知子さんの器をはじめとするアートワーク。敬さんは自らの料理を命のリレーの最終章と言います。

撮影:津留崎徹花

そんな沓沢家との出会いから1年が経ち、
わが家は移住先探しの旅をすることになったのです。
もし沓沢家と出会っていなかったら
その選択は少なからず違うものになったいたのかもしれません。