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だらすこ工房 
仮設住宅にお住まいの大工さんたちが、
太陽光発電所を建てたら地元で大評判。

TOHOKU2020
vol.024

posted:2014.3.11   from:岩手県九戸郡野田村  genre:活性化と創生

〈 この連載・企画は… 〉  退屈はきらいだったんだ。だから津波で倒された防潮林の木材を使って、木工を始めた。
そのうちに発電所を建てないかと勧められて、最初は途方もないことだと思ったけど、
話を聞いてみると自分たちには簡単に建てられる技術があった。
だったら地元のみんなでやってみよう、おもしろいじゃないか、と。

text&photograph

Shozo Nishioka

西岡正三

にしおか・しょうぞう●佐賀県唐津市出身。出版社勤務の後、フリーランスの編集者、ライターとして独立。2007年に行われたハワイの外洋航海カヌー《ホクレア》の日本航海をサポートするうちに日本列島の魅力に目覚め、今も貴重な自然や文化が失われ続けているようすに少し慌てている。フィットネス関係、自転車、音楽にも強いとの噂。

三陸海岸の北の端、
久慈駅から三陸鉄道北リアス線に乗って二駅め、
陸中野田駅を過ぎると間もなく、左手に三陸の広い海が現れる。
「ここは東日本大震災で三陸鉄道が最も大きな被害を受けた海岸です」
そんな車内アナウンスが流れた。

見ると、未だに破壊されたままの堤防の周りで復旧工事が続いている。
右手には、まるで荒野のような雪原が広がっている。
しかし、ここにはかつて10メートルの津波にも耐える防潮堤があり、
さらには鉄道を覆い隠すように、黒松の防潮林があった。
右手の雪原には村の中心部があり、500世帯近い民家や商店街があった。

かつてここには黒松の防潮林があり、この位置からは海はもちろん、三陸鉄道の線路も見えなかった。

ここは岩手県九戸郡野田村。
東西11.3km、南北13.8km。
人口は4000人をわずかに越える小さな村で、
村の北と西は久慈市に隣接し、
連続テレビ小説『あまちゃん』で有名になった久慈市の小袖漁港は、
岬をひとつ隔てた隣の海にある。
そして、今回の話の主役である5人の男たちも、
かつては村の中心部で暮らしていた大工さんや漁師さん。
全員が、あの大津波で家を失った。

「それはもう、すごい揺れだったよ。
でも子どものころ、揺れたら30分以内に逃げろって、
年寄りから何度も聞かされてたから無事だったんだ」
と、メンバーで最年長の広内幸作さん。
「オラは浜にいたよ。岸壁でタコを探してたら地震が来てよ、
その場でしゃがみ込んだら、山の上の岩が崩れるのが見えたんだ。
あれを見て、これは危ない、逃げろって」
と、若い頃から関東地方に出稼ぎに出ていた石花 栄さん。
「津波が来ることは地震が教えてくれるんだ。
でも、あれほど大きな津波が来るとは思わなかったな」
と、仮設住宅で自治会長を務める畑村 茂さん。
「幸い野田の場合は山が近いし、山に向かう道がいいから、
助かった人が多かったんだろうな。
もしも海沿いの道ばかり整備されていたら、
被害はもっと大きかったはずだよ」

村の中心部からクルマで5分も走ると深い森の中。そこに雪に埋もれた工房があった。

工房に隣接する談話室。室内は薪ストーブで暖かい。

この日は、郷土料理の「とうふ田楽」で使う串が作られていた。

「だらすこ」とは、この地方の方言で「ふくろう」の意味。
主宰する大澤継彌さんは親戚からこの場所を借り、
25年くらい前から個人で工房暮らしを楽しんでいた。
「村で家の引っ越しや建て替えの話があるたびに、
何か捨てるものがあれば、ここに持ってきてくれって声かけて、
こうしてひとりで建て増しするわけさ」
言わば大人の隠れ家、秘密基地のようなものだった。
それが震災を機に、大きな役割を担うことになる。

仮設住宅では、いつも、
何か作りたくてうずうずしていたんだ。

野田村には、長年の出稼ぎ生活で技術を身につけた、
ご高齢の大工さんや土木技術者、職人さんが多い。
しかし震災で住む家も道具も仕事も失い、すっかり元気をなくしていた。
「仮設住宅には、男の居場所がないんですよ。
部屋でテレビを見たり、あてもなく散歩したり。
もちろん集会所はあるけれど、あそこは女性たちの天下です(笑)。
何か作りたくてうずうずしている男たちにとって、
お茶を飲みながら談笑しているだけでは我慢できないからね」

そこで大澤さんは、仮設住宅の自治会長を務める畑村さんに声をかけた。
「うちの工房を男の集会所にしませんか。道具だったら揃ってますよ」
そこから先の話は速かった。
すぐに現在のメンバーが集まり、
お茶を飲む間もなく、全員が木工の道具を触り始めた。

まず初めに、津波で跡形もなく倒された、防潮林の黒松を持ち込んだ。
瓦礫となっていた村のシンボルが、
次々に落ち葉や、魚や、ふくろうに姿を変えていく。
素朴な温もりのある箸置きやアクセサリーは、
地元の道の駅や商店での販売が始まり、今でも作られ販売されている。
併せて小学校を訪問して木工教室を開くなど、対外活動にも忙しくなった。
工房を訪ねてくる子どもたちも増えた。

「これが工房で作った最初の作品」と畑村さん。津波で倒された防潮林の木材を使って、葉っぱの形の箸置きを作った。ところでこの村では、たびたびこの網カゴを見かける。縦に繋げて吊すこともできる。これはホタテの養殖に使われるものらしいけれど、何にでも使えて便利そうなのだ。

赤坂正一さんも長年の出稼ぎで技術を磨いたひとり。「お互いに文句を言い合うこともあるけど、ここでものを作ることは何より楽しいよ」

「ちょうどそんな時に、知り合いの紹介で、
太陽光発電所を作らないか、という話が舞いこんできたんです」
小規模の太陽光発電の普及活動を行うNGO、「PV-Net」からの相談で、
このあたりに用地を探しているという。
「だったら工房の向かいの土地は日当たりもいいし、
ご自由にお使いください。とお伝えしたところ、
いや違う、発電所の建設も運営も、すべて我々で行うということなんですよ」

全員がプロだもの、
発電所を建てるなんて簡単だよ。

「だらすこ工房」が発電所を建てて運営する?
最初は途方もないことのように思われた。
しかし太陽光発電所の構造は、
単管パイプを組み合わせて、上にパネルを載せるだけ。
高さはパネルの台になる部分さえ揃っていればいいので、
用地には多少の凹凸があっても何も問題はない。
「建設現場でおなじみの、足場を組むのに使うパイプです。
発電所の場合は、もう少し肉厚のパイプを使いますが、
あれを組むことはみんな得意ですからね」
ただしパネルは太陽に向けて傾斜させて並べるので、
後ろのほうほど長いパイプが必要になる。
基礎を打ち込むには重機も登場し、それなりの技術も必要になる。
しかしこのメンバーには、すべての工程において専門家がいる。
最初に技術指導を受けた後、あっと言う間に完成させてしまったのだ。

大澤さんと薪ストーブを囲む、メンバー最年長の広内さん(写真左)。このストーブは、小型ながら本当に暖かい。100%自然エネルギー。簡単な煮炊きもできるし、復興には欠かせない道具のひとつだ。

ひまを見つけては雪かきをしている石花さん。70歳とは思えない足腰。「毎日こういうことやってれば、丈夫にもなるさ」

総工費は約1800万円。総発電量は約50kW。
およそ30世帯の電力をまかなう発電量だという。
費用は市民ファンドを通じて、ひと口10万円で一般からの投資を募った。
売り上げの1%は、配当金として投資家に還元される。
発電された電気は100%電力会社への売電で、
毎月の売り上げは、およそ15万円から20万円ほど。
売り上げは毎月、ブログを通じて報告されている。
太陽光発電に関する専門的な知識や、
発電所の運営、さらにメンテナンスの方法などは、
前述のNGO、「PV-Net」からのサポートが受けられる。

「太陽光は発電できる容量が決まっているから、
この数字を増やそうと思えば新たに建てなくてはなりません。
もちろんこれで終わろうとは思っていないけど、
我々はメガソーラーを目指しているわけではないし、
おカネのために始めたわけじゃないからね。
お互いに顔のわかる地元の仲間や投資家の皆さんと一緒に、
こういうものを作ることが大切なんです」

静かな森の工房に、
若い見学者が集まり始めた。

発電所開設は2013年の6月。
以来、毎日のように訪問客が来るようになった。
「村の子どもたちはもちろん、
大学生がツアーを組んで来たこともあったし」
「関東からも見学ツアーが来るようになったね」
「おかげで標準語も覚えたな」
「村に下りると、知り合いから声かけられるのさ。
『オマエのとこの電気、売れてんのか』って。だから言ってやるよ。
『なぁに言ってんだ。あんたの家の電気も、
オラんとこで作ってるかもしれないんだぞ』って」

「せっかく若い人も訪ねてきてくれるようになったから、三陸の昔話を聞いてもらう機会も増やしたいなぁ」と大澤さん。

写真からもわかる通り、このメンバーはとにかくお元気だ。
いったん話が盛り上がると、全員が一斉に話し始める。
だから誰の話を聞いていいのかわからなくなる。
「こんなに楽しいことやってると、病気しているヒマないもんな」

復興で新たに生まれるまちには、
自立するためのテーマが必要なんだ。

震災直後、野田村では電気の来ない期間は1週間、
断水は2週間も続いたという。
被災地の中でも特に首都圏から遠く、交通も断たれていたため、
取材に入るメディアが少なく、
村のようすが報道されることはほとんど無かった。
「あの1週間はなぁ、何も情報が無いんだもの。
どうしていいのかさえわからなかった」
それでもここは顔見知りばかりの小さい村。
お互いに声をかけあって、役場が配るチラシや防災無線を頼りに、
震災後の混乱をどうにか切り抜けたのだという。

膝から腰の深さまで積もった雪をスコップでかき分けながら、自慢の発電所に向かう。

パネルを覆う雪は思いのほか深かった。しかしこの作業を怠ると、パネルは発電してくれない。

小さい村だからこそ話がまとまるのも早いのか、
野田村では県内でもいち早く被災住宅の高台移転が決まり、
すでに造成工事が始まっている。
「野田ばかりではなく、これからは東北地方の各地で、
このような新たなまちや団地が作られていくだろうね。
だったらせっかくの機会だから、計画を立てる前に、
どんなまちを作りたいのか、テーマが欲しいよなぁ」
と大澤さんは語る。
「私だったら災害に強い団地作りをテーマにするね。
そのためには、団地がエネルギーから自立する必要がある。
これから建てられる住宅の屋根に5kWのパネルを乗せるだけで、
1週間も情報が断たれるなんてことは、なくなるかもしれないからね」

裏から見るとこの通り。建設現場の足場に使う単管パイプよりも肉厚なパイプなのだという。後ろに行くほど長くなり、工事も難しくなるらしい。

たとえば50棟新設される住宅の屋根に5kWのパネルを乗せたら合計250kW。
すでにこの発電所の発電量を上回る。
野田村の一般家庭の消費電力の場合、
5kWのパネルであれば半分近くは余り、売ることもできるという。
そのためには計画段階から全戸南向きに作るなど、
太陽光発電に合わせた団地の設計が行われなくてはならない。
だからこそ、最初にテーマが必要になるというわけだ。
「もちろん、村全体をまかなえるほどの発電量には遠く及ばないけど、
計画が、そういう方向を向いていることが大切なんです。
復興の速さや内容は被災地によってさまざまだろうけど、
我々の技術や経験が必要になるのであれば、できる限り出向きますよ」

「だらすこ工房」のメンバー。左から、広内幸作(ひろない・こうさく)さん、80歳。畑村 茂(はたむら・しげる)さん、65歳。石花 栄(いしはな・さかえ)さん、70歳。大澤継彌(おおさわ・つぐや)さん、68歳。赤坂正一(あかさか・しょういち)さん、64歳。

取材の前日、この地方では珍しいほどの大雪が降った。
インタビューを終えると、メンバー全員で発電所の雪下ろしに向かう。
言うまでもなく、パネルが雪で覆われたら発電できないためだ。
腰まで積もった雪をスコップでかき分けながら、
苦もなく進む、平均年齢70歳に近いメンバーたち。
「これで孫たちにも自慢できるでしょう。
お爺ちゃんだって、やればこんなもの作れるんだぞ、って。
少子化なんだから、年寄りだって頑張らなきゃ。
これで若い人たちが続いてくれたら、もう言うことはないな。
そして何より、ここで元気な姿を見てもらうことが、
震災で支援してくれる全国の人たちへの、最高の恩返しなんだよ」

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だらすこ工房

岩手県九戸郡野田村大字野田7-116
TEL&FAX. 0195-75-3923 
http://www.darasuko.com/

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