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たとえば、東京の自宅で家飲みをするときには、
ほぼ私が料理をつくるというスタイルでした。
「手ぶらでいいよー!」なんて張り切って声をかけ、
友人たちにはお酒やデザートなどを買ってもらうのが定番。
それが当時の自分には楽しかったのですが、
最近は自分だけ黙々と料理をするのがなんだか楽しめなくなってきた。
もっと肩の力を抜いて、人の手を借りたいというのか
(歳をとって段取りが悪くなったこともあります)。
そこで、わが家で集まるときにも
みんなに“持ち寄り”をお願いするようになりました。
そして、誰かの家に集まるときにもみんなで持ち寄るのが
とても心地よいのです。
たとえば、先日わが家で開いた「新米を食べる会」。
今年もお米を無事に収穫できたことを祝い、
手伝ってくれた友人たちと一緒に新米を食べました。
私はおでんをつくったり土鍋でご飯を炊いたりしたのですが、
友人たちにも一品持ち寄りをお願いしました。
そうしてみんなで囲んだ食卓には、
それぞれの手料理がずらりと並び、まさに絢爛豪華。
これが実に楽しくて、そして幸福感を味わえるのです。
「おいしい!」というのももちろんですが、
手料理を食べるとどこか心が満たされます。
それはきっと、手料理というものが
目の前の食べものとしての存在だけではなく、
背景に物語を伴っているからではないか。
たとえば、ある友人が甘酢あんの肉団子をつくってくれました。
箸を入れると中からうずらの卵が出てきて、子どもたちは
「わ! 卵が入ってる~」と大喜び。
「手間のかかる料理だね~」と聞くと、おばあちゃんが正月のおせちに
毎年つくってくれた料理だと話してくれました。
またある友人が持ってきてくれた焼売はやさしい甘みが感じられ、
思わずにんまりしてしまうおいしさ。
友人につくり方を聞いてみると、参考にしたレシピに
自己流で玉ねぎを入れているのだそう。甘みのあるほうが、
子どもたちが喜んで食べるだろうという母心からです。