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沖縄県・竹富島

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「こんなに大きいのは40年ぶり」と人々が恐れた台風17号が近づいてきた。
牛たちは一晩中、お互いの無事を確かめ合うように鳴き続けた。

「強い海風にさらされ続けると、あらゆるものが朽ちていくんだよ。放置されてた軽トラが、サビてサビてサビ尽くして、いつの間にかほとんど消えてなくなってたのには驚いたねえ」と、ある島人が言っていた。

人が毎日使っている軽トラは朽ちないのに、人が使わなくなってぽつんと放ったらかしにされた軽トラは、朽ちてなくなってしまうのだ。人が海風にさらされて放っておかれたらどうなってしまうだろうか。でも、人も虫も鳥も牛たちも、生きているものは朽ちてなくなったりしない。そんなことは聞いたことがない。

内地ではほとんど報道もされないことだが、八重山の台風は、直撃すれば農地を使用不能にしてしまうほど猛烈である。2012年は台風の当たり年だった。なかでも17号は、竹富島にも、一晩で島じゅうの風景が一変するほどの暴風雨をもたらした。

空が白み始めたころにやっと風がやみ、停電が続く中、島人たちは淡々と自分の家の周りを掃除し始めた。木々は真っ二つに折れるか、葉がほとんど全部吹き飛ばされて丸裸になっている。雨戸が吹き飛び、石垣が崩れ、野良猫たちはどこかに隠れて出てこない。草原につながれた牛たちは、どうやってこの夜を過ごしたのだろうか。海では、観光船が一隻沈んでしまったそうだ。

石垣島からの高速船が終日欠航したその日は、不思議と静かで平和な一日だった。

島の観光スポットのひとつで、いつもは夕景が美しい北西海岸の西桟橋に来てみると、遠くに猛烈な高波が立っていた。小浜島との間のリーフエッジ(珊瑚礁が途切れるところ)に、珊瑚を砕かんとするほど強く撃ちつける高潮だ。島はもうすでに穏やかな日常を取り戻しつつあるというのに、海はまだまだそれどころではないらしい。ただし、島が珊瑚礁に囲まれていなければ、今まさにあんな波に襲われていたかもしれない。竹富島は八重山の島々の中でもリーフが大きく、浜からエッジまでの距離が長いため、津波の被害を受けにくいとされる。1771年(明和8年)、八重山諸島全体で1万2000人が命を落としたという明和の大津波でも、竹富島が波にのまれることはなかった。珊瑚礁が、島の豊かさを守っている。

ところが、実は台風も、島の暮らしになくてはならないものであるという一面がある。山も川もなく、水の少ない竹富島。米のできない竹富島。台風の雨は、夏の間に干上がった土地に一気に吸い込まれ、貴重な地下水となるのだ。

広い海に漂う木の葉のように小さな島の上で生きるたくさんの生きものたちを、神々はあらゆる手段を用いて守ろうとしてくれている。生きものは、その荒療治に耐え忍ぶ力を備えている。それは、場合によっては鉄の塊よりも強い力で、一日一日こつこつと、新しい歴史をつくっている。だからこの島は、サビて朽ち果てたりはしないのである。