沖縄県・竹富島
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島出身の“テードゥンヒトゥ(竹富人)”ではなく、内地出身の“ナイチャー”で初めて公民館長を務めたのは、「喜宝院 蒐集館」の上勢頭芳徳さんだった。おそらく、いつかその後に続くのは、「アトリエ五香屋」の水野景敬(かげゆき)さんだろう。2012年度は、仲筋集落の責任者である“主事”を務めた。芳徳さんは言う。「水野くんが私と違うのは、芸能ができるってところなんですよ。芸能ができるということは、この島で信頼を得るにはすごく重要なポイントなんです。私は苦手だったから、すごく苦労したんだけれど」
祭事で奉納芸能に出演するのは島出身者ばかりではなく、外から来たお嫁さんや水野さんのような移住者でも、一から稽古してがんばれば舞台に上がることができる。たぶん、そうやっていろいろな行事に参加していくことで、島を愛する島人になっていく。そして、島のために行動することが当り前になっていき、結果的には、出身地はあまり関係なくなる。これが今の島のあり様のようにも見える。「僕の場合は、太鼓が上手くなったときに、初めてみんなに島の人間だと認めてもらえたような気がした」と水野さん。たしかに祭事は、五穀豊穣を神に願う目的で行われるものだけれど、特に現代においては、もしかしたら人々を一致団結させるための媒介として機能している部分も相当に大きいのかもしれない。
もちろん、水野さんが島人たちから広く信頼を得て、責任ある立場を任されるようになった理由は太鼓の腕だけでなく、フェアな人柄や、地道なものづくりを続けてきた“やきもの屋“らしい柔軟な感性と、ものを見る目の確かさも深く関係していると思われるのだが、さらに、島特有の事情も関係があるようだ。
水野さんは、20代前半で移住してきて以来20年近く、ずっと島に深くかかわってきた。結果として、進学や就職のために一時期故郷を離れていた島生まれの同世代よりも、ある面で最近の島の動向に詳しくなった。家々によって異なる事情、島人それぞれの思い、祭事を毎年滞りなく続けていくことの大変さ、大切さ。そういうものを、島の外から入ってきた者として、いつも痛切に受け止めながら生きてきたからではないだろうか。
水野さんのつくる器は、砂浜のようにまっさらな白、海のように強く光を放つ藍に、島の暮らしの味わいがすーっとなじんで、この島で誰もが感じるであろうちょっと不思議な時間感覚が絶妙に表現されている。白い砂浜も青い海も人の暮らしも、今目の前にある現実なのに、はるか昔を見ているような。でも、濁りのない白や藍は、やはり確実に今の新しい時をあらわしている。
沖縄の土は水はけの悪い赤土が多く、配合によって成形しやすさや釉薬との相性に大きな違いが出てくるため、思う色や形を一定に表現するのが難しいのだという。深く心を刺す“五香屋の藍”は、水野さんの長年の研究の成果である。