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沖縄県・竹富島

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人の心から心へ受け継がれてきた島の島らしさ。
絶え間ない流れの中でも、本当に大切なことは消えてなくなりはしない。

富島では年に一度、旧暦8月8日(2012年は9月23日)にニライカナイから神がやってきて、穀物の種子を授けてくれると考えられている。結願祭で締めくくられた年が明け、また次の新しい一年が始まるとも言えるこの日に行われるのが「世迎い(ユーンカイ)」。朝早くに神司と公民館執行部の面々が、島の西岸にある「ニーラン石」の前でニーラン神を迎え、島へ招き入れる。

その後、一行は神とともに集落へ入り、人々がそれを出迎える儀式が始まる。

神迎えの唄「トンチャー」は、集落ごと、家庭ごとに口承で伝えられてきたもので、この祭りに欠かせない唄だ。はるか彼方からやってきた神が、すばらしい世をもたらしてくれる――。神司は、ゆったりと響く銅鑼のリズムに合わせてそう歌いながら、両手のひらを開いて前方に向け、上から下へ振り下ろす動作を繰り返し、きれいに掃き清められた白砂の道を静かに進んでいく。集落で待つ人々も同じように歌いながら、こちらは両手のひらを開いて空に向け、下から上へゆっくりと振り上げる動作を繰り返している。

神司が、何か目には見えないものを前へ前へ押し進めながら近づいてくる。待ち受ける人々がそれを引き寄せる。だんだんと距離が縮まってくる。まさに双方が交わりそうになったそのとき、その何かが彼らの目の前でふわっと舞い上がったように見えた。「神さまがそこにいる」と分かった瞬間だ。張り詰めていた空気が弾けて、みんなの顔に笑顔がこぼれて、同時に銅鑼の調子が急に変わった。ガーリが始まった。

竹富島の人々は喜びを表現したいとき、「ガーリ」を舞う。沖縄本島でいう「カチャーシー」に近い踊りだ。脚を交互に踏みならしながら、腕も頭上に振り上げる。竹富島のガーリでは、「イーヤ、イーヤ」と掛け声をする。この日も、何度も何度もガーリを舞った。その度に、目に見えないものがまるで大きな風船のように、人々の頭上で一緒になって舞い弾んでいたような気がする。

島の伝統文化や自然を保全していくための「竹富島憲章」が制定されて以降、島人たちはより積極的に島の運営・管理に参画するようになった。それまでは、たとえば土地の売買は自由に行われていたし、島の自然や秩序を保ち、島を守り生かすための具体的な指針が示されていたわけでもなかったが、それが明文化され、内外に示されたことで、まず島のために責任ある行動をとることが島人の共通理解となった。

また、外から訪れる観光客や取材者などに対しても、憲章を理解してもらったうえで、島のために守るべきルールがあることを明確に提示できるようになった。たとえば、「ゴミ、空き缶、吸い殻などを海岸や道路に捨てない」「キャンプや野宿は禁止」「集落内を水着・裸身で歩かない」「消灯は23時」「草花、蝶、魚貝、その他の生物をむやみに採取しない」などの常識的なルールが、以前の島では守られないことも多かったという。

ただ、憲章の存在以前に、多くの島の人たちは、美しい砂浜や、整然としたまち並みや、神々とのかかわりを守っていくことを、ごく当たり前の、自然なことと考えているように見える。もちろん、すごく積極的な人もいれば、それほどでもないような感じの人もいるのだけれど、どちらにせよ、島がずっと自分の好きな島であるようにと願って行動している人が大半なのではないだろうか。そして、この島で生まれた限り、両親も、祖父母も、曾祖父母も、みんながやってきたことを自分が受け継ぐのは当り前のことだと考えている人も少なくないはずである。

ちなみに竹富島には警察署も駐在所もないのだが、この島にいて、だからといって不安になることは特にない。つねに年長者を敬い、ごく常識的に礼儀をわきまえて生活し、いつでも隣人に手を差し伸べるつもりでいれば、自分も助けが必要なときに頼りにできる相手はちゃんと見つかるはずだ。

人々が求めているのは、住み慣れた愛すべき島の中で守られながら、思うような暮らしができる自由があることで、みんなで助け合ってその環境をつくろうとするのはごく自然のことなのだろう。それは竹富島に限らず、本来は世界じゅうどこの社会でだって同じこと。

竹富島には「テードゥンムニ」という方言があるが、古来、文字はなく、島の歴史、歌の文句、祭事にまつわる決まりごと、島のしきたりなど、あらゆることを文字で記録して残す習慣は、ごく最近になるまで定着していなかった。おそらくこの島で、口から口へ語り伝えられてきたいろいろなことは、実際はけっこう流動的なもので、つねに少しずつ変化してきたに違いない。再生し続けていると言い換えたほうがいいかもしれない。
それは、ひとりの人間が、分子レベルで見れば一瞬たりとも同じ人間ではなく、絶え間なく分解と合成を繰り返しながら、つねに再生し続けているのとよく似ている。

たとえば、誰かが話したことが集落の中をぐるぐる回るうちに違う話になるとか、昔は祭りでやっていたことを今はもうしていないとか、カゴを編むのにいつもの材料がないから違う材料でつくってみたら意外とすごくきれいなのができたとか、織物の昨日の続きをやろうとしたけど、今日は疲れていて考えごとも多いから上手く織れなかったとか。そういうような揺らぎが起こるのは自然なことで、島は時のうねりの中で数々の揺らぎを飲み込みながら、片時も静止することなく、つねに動いている。

揺らいだ結果、悪い方向に行くこともあるかもしれないけれど、もともとよりさらに良いものになっていくこともある。ただ、この島では、そのスピードはたいていすごくゆっくりだ。対話に対話を重ねて慎重に、みんなの気持ちをひとつにまとめてから行動することのほうが、スピードよりもよっぽど大切で確かなことだと考えられているからだ。

伝統文化も、ひょっとするとそういうものではないだろうか。古くから守られてきたものを保つためだったはずの行動が、誰も見たことのない新しい歴史をつくるかもしれない。

たとえば、島の人たちは、朝一番で自分の家の前の道をきれいに掃き、毎日真新しいほうき目に新しい足跡を一歩一歩つけていく。昨日もあったその道は、昨日とはどこかが少し違う今日を刻むことになる。たとえば、集落の道に敷き詰められた白砂は、海に流れるか、台風に吹き飛ばされるかして、やがてはなくなってしまう。そのとき、人々はもう一度、浜から砂を運んで道に敷き詰める。真新しい砂の道は一層輝いて見え、歩く人の心も真新しくなるようだ。

たとえば、昔は畑だった場所がいつの間にかジャングルになり、人手に渡ってしまったけれど、今また人々はそこを取り戻そうとしている。星のやという新しい集落をつくり、自分たちの土地に、文化に、新しい価値を見出し、希望を見出している。新しく畑を耕して、もっと島で作物を育てようという人も出てきたし、民具づくりの名人の下には、今や後継者が何人もいる。

竹富島は、真白な真新しい道を歩き始めた。新しい歴史が日々つくられているのである。