滋賀県長浜市・米原市(湖北地域)
13
|62
人とどんどんつながっていきたい。
そして、もっと農業に関心を持ってもらいたい。
滋賀県湖北エリアの若手農家が集まる
後継者クラブkonefa(=kohoku new farmers)。
そのなかから結成されたkonefa samuraiは、
農業の新しい可能性を模索している若い農家7人組だ。
後継者不足、環境問題、放射能汚染、TPPなど
多くの問題を抱えている農業だが、
関西を中心とした彼らの活動内容を見ていると、
若い感性を農業に融合した輝かしい活動に見える。
だが、いち農家としてのスタートとなると、
必ずしも全員が明るいものではなかった。
メンバーの家倉敬和さんは家業が米農家で、5代目を継いだ。
「ずっと農業がイヤでしたね。
小学校の社会科の授業で親の仕事を尋ねられたときも、
クラスのボク以外すべてのお父さんがサラリーマンや公務員のなか、
しぶしぶ手を上げる感じ。
親の仕事を尊敬していないわけじゃなかったけど、
継ぐつもりはありませんでした。
でも、大学生で就職活動しているとき、親が体調を崩してしまい、
僕が帰って米農家を継ぐか、たたむか、という選択になり、
結局、継ぐことにしました」
同じくメンバーの立見茂さんも同様に、農業を継ぐつもりではなかった。
「父親は自分の代で農業をやめるつもりでいたんです。
僕には“好きなことをやれ”と。
でも、好きなことを見つけることができなかった。
だから正直いうと、前向きな気持ちで農業を始めたわけではありません」
とにかく若者にとって農業とは「憧れの職業」ではなかった。
そんな感覚のまま米農家を継ぐことで、将来への不安を感じるようになり、
自分の仕事を否定的にとらえるようになってしまう。
「今9年目ですが、ちょうど農業を始めたころ、
お米が余り、価格が下がっていき、
お米は日本人にとって求められていないという
風潮があったんです。そのなかで米農家を継いで、
僕たちはこの先どうなっていくんだろう?
という不安のなかで過ごしていました。
何かを変えなアカンけど、
何をどう変えればいいかわからない悶々とした日々でした」と家倉さん。
その時期が家倉さんにとってはひとつの転機だったのかもしれない。
自分を見つめ直し、
自分はどんな米をつくりたいのかという意志を再確認していく。
そしてここから無農薬栽培を始め、田植えや稲刈りの
農業体験イベントなどを積極的に展開していくようになる。
そうして3年ほど経ったとき、写真家のMOTOKOさんと出会う。
MOTOKOさんは、『田園ドリーム』という作品制作で、
滋賀の田園風景や農家、祭りなどを撮影していた。
家倉さんと立見さんは最初は被写体として
MOTOKOさんに写真を撮られていたが、
彼女の展覧会に呼ばれてトークショーなどに参加し、
イベントをともに手がけることで、ある意識が芽生えていく。
「子どものころに、かっこよく思えなかった農業へのイメージを払拭したい。
子どもが純粋に思う“かっこいい”こそ、
本当のかっこよさだと思うんです」と家倉さんは感じた。
さらにkonefa samuraiのなかでも“このままの農業ではダメだ”
という意識を持っていた7人が集まり始めるようになる。
それまで農家同士は、顔見知りではあっても、
問題点を積極的に話し合ったり、
作業をともに進めていくような横のつながりは少なかった。
意外に孤独なものなのだ。
MOTOKOさんのような第三者に問いかけられたり、
問題提起されるなかで、konefa samuraiの結束が生まれてきたのだ。
「都市部と農村部の考え方にギャップを感じたんです。
農村は一生懸命つくっているのに、
都市では当たり前のように思っていて生産者のことを意識していない。
だから農村は自分たちの農作物が認められていることを自覚できずに、
やりがいを保てない。お互いが断絶してはいけないと思った。
だから、農家は都市にアピールすべきだと思ったんです」
とMOTOKOさんはいう。
これ以降、彼女の後押しもあり、
グラフィックから、空間、食までクリエイティブを手がける
grafとのマルシェイベント、
滋賀県農家が多く参加した農家フェス、
クリエイターを多く抱えるdigmeoutと築き上げた農家アートなど、
さまざまな農家らしからぬ活動へとつながっていく。
それらを通して彼らが一番得たことは、
自分たちの農産物が認めてもらえるという農業への誇りと自信だという。
買ってくれる人と直接ふれあい、“おいしかった”と声をかけられる。
農業に対して感じることの出来なかった矜持を持つことで、
顔つきが変わっていく。
「僕たちが思っている以上に、農業はバカにされていませんでした。
むしろかっこいいと言ってくれる人がいる」
とkonefa samuraiのメンバーに気づきを与えた。
そして彼らは、自分たちが変われば状況が変わることも
実感できるようになっていった。
どんどん周囲を巻き込み活動が広がり、
都市部や2次産業、3次産業からの反響を感じるようになる。
6次産業という考え方が話題のように、
今や農業は農村だけで完結するものではない。
都市と農村が有機的に結びつき、交流していくことが大切だ。
そういう意味で、konefa samuraiは見事にその垣根を飛び越える。
彼らの一番の才能は、都市部ときちんと
コミュニケーションができるということなのかもしれない。
お互いが拒むことなく支え合い、必要性を感じて活動している。
だからといって彼らはそれらにかまけて、農作業を怠っているわけではない。
「半農半X」という農的ライフスタイルが人気だが、
彼らは全員、専業農家。
年間を通じて育て、1年に1回の収穫がうまくいかなければ、
自分たちが食べていくことができない。
無論、マルシェなどの直接販売の売り上げは、
甲子園球場で数えるような広さの農地を持っている彼らにとって、
微々たるものだ。
「僕たちの生業のすべてなので、現場を離れてしまうことはできない。
外に向かうことも大事だけど、
それによって田んぼが草まみれだとまったく説得力がないですよね」
と立見さんはいう。
まずは専業農家として安心でおいしい農作物を、愚直につくること。
そこには自信もあるしプライドもある。
ただ、それが評価される場がなかっただけだ。
周囲の農家や都市部、そして直接消費者とふれあい、
知ってもらうことで自分の農作物が認められる。
そしてまた、その真摯なものづくりの態度に惚れ、
ただ傍観するのではなく一緒に活動する人たちが続出している。
趣味じゃない、専業農家がやる意味。
美しい田んぼ、整った農舎、そしておいしいお米。
これらを後世にも残していくには、
日本の食を支える専業農家が変わっていく必要があるかもしれない。
そして農業に対するマイナスイメージを払拭し、就農人口をあげる。
konefa samuraiの夢はまだまだ叶っていない。
しかしその第一歩は確実に歩み出されている。