神奈川県横浜市寿町
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スーさんは、いつも人のことを心配してる。
たぶん、愛も悲しみもいっぱい知っているから。
スーさんは、数年前まで日雇いで働いていた。
そうして全国各地を転々として生きてきたのだけど、
寿町に来てから脊髄の病気で働けなくなってしまった。
若いころにある神父さんと出会ってクリスチャンになって、
しばらく長野の教会で過ごしていたらしい。
そこでは毎日畑仕事したり、空を見たりして暮らしてた。
そういう時間がとっても大切だったと言っていた。
今はなかなかそういうことができないから残念だと。
スーさんの部屋は、しんちゃんの部屋とは違って
きちんとしている。静かにすーっと空気が流れている部屋。
ドアを開けてすぐ右側の一角は、スーさんの「聖域」だ。
机の上に、亡くなった恩人の神父さんの写真と
一緒に飾られているのは、昔、大好きだった女性の写真。
つき合っていたけど、若くして病気で亡くなってしまった。
結婚は、しなかった。
鉢植えの花の花弁の上にも、彼女の小さな写真があった。
以前のスーさんは、「寿町が嫌い、早く出たい」と言っていたそうだ。
スーさんはたぶん、自分が「ちゃんと生きたい」と思っているから、
朝から晩まで飲んだくれているおじさんたちを見て、
「こうしたほうがいい」「ああしたほうがいい」と
気になってしかたがなかったのだろう。
みんなをちゃんとさせようとしていたみたいだ。
「もうイヤだ、オレが何言ってもみんな変わんない」と
千依に向かってつぶやくこともあった。
でも、「スーさんは変わった」とみんながくちぐちに言う。
今でもたしかにスーさんは人の世話ばかり焼いていて、
特にしんちゃんのことをすごく心配しているようだけれど、
「前よりずっとやさしくなった」と千依も感じている。
夜、まちに倒れている人がいないかパトロールする。
センターでイベントがあるときは一生懸命手伝ってくれる。
いつも一歩下がって周囲を見渡して、
助けが必要なところにスススッと来てくれる。
誰も気づかないうちに、いつのまにか
スーさんがゴミを片づけておいてくれたりする。
たぶん、スーさんは長いことひとりで
これからどうやって生きていこうかと考えていた。
そこへ、千依や、仲間のアーティストがわーっと来て、
「目の前のことをひとつひとつやっていこう」と言う。
何が変わるかわからないけどやってみよう、やれるかもしれない、
と思ったのかもしれない。
「寿でがんばっていこう」とスーさんが千依に言う。
千依の絵は、あのスーさんの「聖域」のなかには
入る隙間がないかもしれないけど、今までたくさんたくさん
いろいろなものを刻み重ねてきたスーさんの心の奥に、
じわじわ届いているのではないだろうか。
千依はうれしくなって、「できるだけ寄り添っていこう」と思った。