神奈川県横浜市寿町
52
|97
しんちゃんのことだけ考えて絵を描いた。
『森林浴場』。しんちゃんがその絵に名前をつけた。
しんちゃんの本当の名前は「心一」といって、
おじいさんがつけてくれたのだって。
横須賀の生まれで、
毎年お正月には何日か実家に帰っているみたいだけれど、
どうして家族と暮らすことができないのかはよくわからない。
暴走族出身で、バンドもやっていたらしい。
詩を書くのが好きだと言っていた。
交通事故が原因なのか、右半身が不自由で歩きにくそう。
タバコばっかり吸っているからかもしれないが、
ときどき苦しそうに胸で息をしてゲホゲホやっている。
お酒も大好きで、いつも「金なくなっちった」と言っている。
どうしようもないけど、だけど、彼は寿町に住む誰よりも明るい。
「寿が好きだ」って胸を張る住人は
しんちゃんくらいしかいないのではないだろうか。
「しんちゃんは生きることを全肯定してる。
一回ダメになったかもしれないけど、また起きあがった。
そこがすごいと思う。私はしんちゃんを尊敬している」
と千依は言う。
「何も考えずにボーッとしてれば一日過ぎる。それでいいんだ」
しんちゃんの部屋はドヤの5階の角部屋で、
南側に窓がある最高のロケーション。
ただし、本当に足の踏み場がないほどごちゃごちゃで、
おそらく小さな生きものもそのなかでたくさん生息している。
たぶんしんちゃんは、何も考えていない昼間、
明るい窓の外を眺めてボーッとしているに違いない。
光のあるほうを感じているに違いない。
たぶんそうやって、いろいろなエネルギーを充電している。
千依が完成した絵をあげるために部屋を訪ねたのは夜だった。
でも、絵を壁に掛けたとき、
部屋に光が射すのが千依には見えた。
しんちゃんは絵に『森林浴場』と名前をつけた。
「真ん中でおぼれてるのがオレ。チエが上から飛び込んできて
オレを助けようとしてるんだよ」
しんちゃんにはそういうふうに見えているんだな。
「このごろしんちゃんは変わった」と千依は感じている。
「寿で何かやろう」と思い始めているようだ。
寿で千依と何かできるかもと。ボーッとしているのもいいけど、
これからは、きっともっと楽しくなるよ。
しんちゃんに絵をあげた次の日、
しんちゃんから千依に携帯メールが届いた。
「森林浴場」
これは夢幻、ホントにあった我等の森林浴場
まさか此処にも有った
夢幻の森林浴場
此処だけの 秘密 森林浴場
人には言えないパラダイス
それが森林浴場
俺達は求めてた あの森林浴場
此処で見たこと聞いたこと
人には言っちゃいけないよ
それがPROMISE
森林浴場
心一