神奈川県横浜市寿町
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顔見知りだったふたりと、仲良くなった。
するとだんだん、まちのことも好きになっていった。
「よーく見てると、おじさんたちにも
ちゃんとテリトリーがあって、
まさに野良猫みたいなんだけど、でも寿では、
みんながみんなの存在を無視しない。一番端っこの人も。
それがいいなあと思う。“あいつ、しょうがねえヤツだな”
とか言いつつも、いじめられてもいじめても、存在を無視しない。
みんな知ってる間柄、っていう感じなの」
それは、外から来た幸田千依や他のアーティストの場合も同じ。
何度もまちに足を運ぶうち、最初は顔を知っているだけだったのが、
やがて「知り合い」という感覚になる。
千依の場合は、特にそのうちふたりと「友だち」になった。
しんちゃんとスーさんだ。
なぜ、寿町のようなまちが生まれたか。
「昔は、近所にひとりやふたりは当り前のように
“ヘンなおじさん”がいたものだけど、
そういう人を追い出すようなことはなかったはず。
“ああ、またあの人だ”と思ってそっとしておいてた」
つまり、日本でも少し前までは、「異端者」や「弱者」がいても
排除しないコミュニティの寛容さがあった。
彼らが今、寿町に集まってしまっているということは、
いつの間にか、隣人も地域も彼らを許容しないで
排除する世の中になってしまったということを示している。
名前があって前金さえ払えば住むことのできるドヤ街が、
ニーズに合ってしまったということである。
ただ、ドヤのなかにいる限り、彼らは差別されないし、
冷たい視線を感じないで安心して暮らすことができる。
こういう現実から、目をそらすべきではないだろう。
しんちゃんとスーさんも、理由があって寿町にいる。
ふたりとも自分の過去を多くは語らない。
でも、「今」を見てこのまちで暮らしている。
いろいろあって、全部経験してここに来て、
このまちでもきっといろいろあって、
そして今は、今を生きている。それだけで、それがすべて。
しんちゃんとスーさんと友だちになって、
千依は、寿町に生きる人の人生を実感するようになった。
寿町というまちと、
もっともっと関わっていく大きなきっかけを手にした。
そして、ふたりのために絵を描こうと決めた。