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神奈川県横浜市寿町

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3 Lives in Kotobuki 「寿」な人たち。

浦田琴恵『永遠の開拓者たち』/大巻伸嗣『Memorial Rebirth』(2008)

河本一満さん

橋本誠さん

まちはアートで動く、変わる。と信じる人たちが目指す
「KOTOBUKI クリエイティブアクション」のまちづくり。

「寿合宿」は、
「KOTOBUKIクリエイティブアクション」という
2008年に始まったアートプロジェクトの一企画だった。
このプロジェクトでは、ほかにも地域住人たちと協働で
さまざまなアート活動やまちづくりに関係するプログラムが
長期的・継続的に行われている。

毎週金曜の炊き出しが行われる寿公園を、
地元の要望を採り入れて再整備していく「寿作戦」。
カップ酒の空き瓶を使ったキャンドルイベント「寿灯祭」。
まちを歩きながら、まちの現状とプロジェクトの活動内容を
知ってもらうための「ツアー」など。
これらの活動は、事務局である
「寿オルタナティブ・ネットワーク」がプロデュースしているが、
アーティストそれぞれが自ら企画したり、
チームをつくってプログラムに取り組んだりしていて、
他のアートプロジェクトのようにプログラム全体を
事務局がコントロールしているわけではないところが特徴である。
「寿オルタナティブ・ネットワーク」のアートプロデューサー、
橋本誠さんは言う。
「寿のようなまちでアートすることがどんな意味を持ち、
まちに対して何をもたらしていくのか、
最初のうちはよく見えていなくて、たとえば
『寿合宿』みたいな企画が実現するとは思ってもいませんでした」

「寿合宿」は、08年にアーティストの浦田琴恵が
ひとりでまちに滞在し、作品づくりに取り組んだ経験から
派生したプログラム。当時はまだプロジェクトの開始直後で、
初めて寿町に入ったアーティストには
まちの雰囲気を「恐い」と感じていた人も多かった。
事務局のサポートによってどうにかセンター広場での
インスタレーション作品の展示までこぎ着けたが、
おじさんたちと親しくなってまちをよく知るところまでは
至らなかったという思いが残ってしまったらしい。
ひとりではさみしいし、できることも限られてしまうというので、
彼女が幸田千依はじめ複数のアーティスト仲間に声をかけて
改めて企画したのが「寿合宿」だった。

「こちらから“これをやってほしい”と頼むより、
むしろアーティストのほうが動いてひとつひとつ
かたちにしていって、事務局側はそれを見て、
どう上手く伝えていくか、どうまちづくりにつなげていくか、
後追いで整えていったような感じですね。
従来の展覧会やアートプロジェクトは、いつどこで何のために
何をするのか、きっちりディレクションするのが当り前で、
私もそれを仕事にしてきました。ところが、
寿での活動は仕事ではないし、前提条件のようなものも、
確信の持てるビジョンもなかった。
最初は見切り発車のようなところがあって、結果、
こちらから頼んで来てもらった人たちだけでなく、
自分でやると決めて主体的にアクションを起こすアーティストが
たくさん出てきた。そして、そこで起こる出来事の強度が
ものすごくあったんです」と橋本さん。

では、そもそも寿町にアートを持ちこもうと思いついたのは誰か。
千依いわく「個人的に寿町にとりつかれてる」河本一満さんだ。
「寿オルタナティブ・ネットワーク」の総合プロデューサーだが、
実は寿町在住の横浜市の一職員である。アーティストではないし、
社会福祉の専門家というわけでもないし、ただ寿町が大好きで、
個人として、寿町から社会を変えようと本気で取り組んでいる。
彼が、まちとのパイプ役として不可欠な役割を持つ。
「寿オルタナティブ・ネットワーク」の事務局スタッフの多くは、
専門領域でそれぞれ仕事を持つ「プロボランティア」。
その筆頭が河本さんで、それまで自分が関わってきた
まちづくりの仕事もふくめ、日本社会全体が積み上げてきた
公共事業とはいったい何だったのかということを自省し、
自らの思いを実現する場所として寿町を見出したのだった。
「元来、まちづくりは住人が幸せになるという目的のための手段。
ところが、多くの公共事業ではその手段自体が目的化している。
だから寿町では、本来の目的に立ち返って、
暮らしている人たちの幸せのためにできることを
一からやってみようという思いで活動を始めたのです」

寿町のドヤは一泊1500~2000円前後。
1か月にすると5~6万円前後だから、意外と安くない。
でもよく考えれば、家賃月6万円のアパートなら、
都心にだっていくらでもみつかる。
それなのに、日本中から、
同じような境遇の人たちが選択の余地なく寿町に来る。
「寿なら大丈夫」「寿でなら生きていける」と思うからだ。
なぜかと言えば、他のまちでは許容されないものが、
寿町では受け入れられているからに他ならない。
家族や地域での人と人とのつながりをなくした人たちに
1か所で肩を寄せ合って生きることを強要する、
日本社会全体の歪みがそこに露呈している。

06年、河本さんは身ひとつで寿町に入り込み、リサーチを開始した。
古くから活動を続けている人たちの話を聞き、
おじさんたちと酒を酌み交わし、ドヤのオーナーと親しくなり、
足がかり手がかりになる人を増やして
ネットワークをひろげていった。
2年近くはひとりの活動が続いたという。
「外の人にも“寿で何かしよう”って
どんどん声をかけたけど、なかなか乗ってきてくれなくて、
もう100人くらい振られたんじゃないかというころに、
橋本くんが反応してくれて。それでやっと展開し始めた。
その後はアート分野以外にも、空間デザインや
フィールドワークなどの専門家が興味を持ってくれるようになり、
今では4つの大学の研究室も協力してくれています」

河本さんはよく、お酒を飲みながら泣いてしまう。
寿町のおじさんたちの人生を思いながら。
ボランティアの人たちの地道な活動の話をしながら。
「おじさんたちの生き方を見ていると感動しちゃうんだ。
悲しいときもあるけど、やっぱり人はもともと、
人や社会とつながり、自分の存在価値を感じながら
生きていきたいと思うものなんだと実感する。
マザー・テレサが言っていたみたいに、経済的な貧困より、
心の貧困のほうがずっと苦しいんだなとわかる。
だから、どんな人も受け入れられる温かいまちをつくるために
長年活動を続けてきた人たちには本当に頭が下がる思いです」
でも、河本さんはアーティストではないので、
そういう気持ちを絵に描いたり歌にしたりはしない。
一方、アーティストにはいろいろなことができる。
そういう意味で、河本さんはアートの力を信じているのである。
「始めた当時は、アーティストがドヤに住んで
おじさんたちと車座で酒を飲むなんて信じられなかった。
絵を描いてあげて仲良くなるなんて考えられなかった。
こうやって、目の前のひとり、
またひとりというふうに顔を見知って、知り合って、
アーティストがいてくれたから、アートに触れたから、
楽しくなったなあって人がひとりずつでも増えていけばいい。
おじさんたちと一緒になって積み上げて、
一緒に変わっていきたいと思っているから」

アーティストにとって寿町は、確実に、
ただ作品をつくりに来る場所という以上の意味を持つ。
「寿に足を踏み入れて、何をすべきかと考え始めたら、
この日常があるなかで、自分はどうやって生きていくんだと
どうしてもつなげて考えますよね。だから、
寿で活動することは、『作品をつくる』という単純な言葉では
語りきれなくて、自分の生き様はこうだというのを
『表現している』という言葉のほうがハマるかもしれない。
そういう瞬間を見るとすごく楽しいし、そこにとことん
寄り添っていきたいと思う」と橋本さん。

これまで寿町に来たアーティストのうち、半数くらいは
寿町に自主的に戻って来て活動を継続しているという。
寿町での活動を広く知ってもらいたいとも思っているだろう。
ただ、寿町が有名になって観光地のようになってしまっては問題だ。
ひっそりと生きていきたい人もいるし、
ここを追われたら行くところのない人も多い。
そこが、河本さんや橋本さんの悩みどころ。難しい。

でも、河本さんの真のビジョンは、こういうことだ。
「寿町を、住まざるを得ないまちではなくて、
住みたいまちに変えていきたいってことなんだよ。
誰もがゆるやかなつながりを感じられるコミュニティがあって、
まちの空間全体がひとつの家みたいで、
みんなで場を共有しながら、自分の居場所もしっかりある。
寝室は3畳で狭いけど、楽しく過ごせるリビングルームは
広場や道路だったりする。そういう空間づくりをしたい。
そのために何ができるか。暮らす人ひとりひとりの目線に立って、
できることをみんなと一緒になって続けていきたいんだ。
寿町と一緒に自分自身も変わっていきたい」