神奈川県横浜市寿町
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絵は、美術館やギャラリーの
白い壁を飾るためだけに描くものじゃないと思う。
2011年11月8日の朝。幸田千依は50日間暮らした
3畳一間のドヤ(簡易宿泊所)を後にした。
横浜・寿町、第一浜松荘403号室。
結局、隣のおじさんの名前はわからないままだったけれど、
この部屋で何枚かの絵を描きあげた。
何人かのまちの住人と、仲良しになった。
千依は少し、以前とは違う千依になった。
千依がいたことで、まちも少し、変化したかもしれなかった。
寿町には約8500室のドヤがあり、
そのうち約6500室にいろんな命が暮らしている。
絵描きがひとり、そこで生活しながら作品をつくることに
どんな意味があったというのだろうか。
アーティストが地域に滞在して作品を制作する
アーティスト・イン・レジデンスと呼ばれる試みは
日本でも各地で行われていて、
千依もこれまでいくつかのプロジェクトに参加してきた。
どれも「すごい」経験だったといい、
同じまちに二度三度と舞い戻ってまた絵を描く。
自分が滞在したまちと関わりを続けようとする。
寿町にも2010年から何度となく足を運んできた。
「私は絵描きとしてそのまちに行き、
絵を描くためにいろいろ知りたいから住むのであって、
やっぱりそこで普通に住人として暮らす人たちとは違う。
自分はずーっとそのまちにいるわけじゃなく、
結局、作品をつくったら出て行く存在だから。でも、
人との関わりはなくならない、だからまた行きたくなる」
まちで絵を描いていると、よく「学生さん?」と聞かれる。
「違う」と言うと、「お金とか、どうしてるの?」と心配される。
そういうとき千依は、「いや、生きていけてます」
と答えることにしている。絵で身を立てていると言えば、
「すごいね!」と言われるかもしれないけど、
そういうわけでもない。絵が売れることももちろんあるけど、
普段はアルバイトもしているし、いろいろある。
でも、死にそうになっているわけではない。
絵描きは職業ではない、仕事というのでもない、
生き方としか言いようがない。
その生き方をまっとうするために
まちへ行き、まちに住み、人と出会い、まちを知る。
絵が売れて有名になってお金持ちになる、みたいなことよりも、
今は、絵を描く動機、描きたい気持ち、描ける時と場所、
そっちのほうが断然大事である。
絵を描いて生きるということを見ず知らずの土地で、
見ず知らずの人たちのなかでやる。
その面白さを覚えたのは、2009年、大分・別府で行われた
アートプロジェクト「別府現代芸術祭 混浴温泉世界」に
参加したときのこと。「わくわく混浴アパートメント」
というプログラムでは、2か月間の会期中、
古い下宿アパートに入れ替わり立ち替わり、
国内外からさまざまなアーティストが出入りして、
寝食をともにしながらおのおの作品制作にいそしんだ。
その様子をお客さんが見に来る。地元の人も度々覗きに来る。
生活スペースも制作現場も展示会場も全部ごちゃ混ぜ。
そのカオティックなプロセスすべてがアート。
千依はそこで、アパートの廊下の壁に絵を描いた。
「それまでは、絵は密室で没頭して描くものだと思ってた。
その概念が一気に崩壊した衝撃的な体験だった」
以降、千依は滞在制作を活動の中心にすえる。
09年は鹿児島・甑島(こしきじま)、千葉・柏。
10年に再び別府、続いて初めて寿町へ。
京都や山梨・甲府でも活動し、
11年には三度別府。再び寿町、合間に甲府。
仲間とのつながりで誘われて行ったところもあれば、
自分ひとりで行ったところもある。
今やアーティストの表現手法は多種多様で、アートは
美術館やギャラリーのなかに仕舞い込まれていた状態から
解放されつつある。それでもまだ、一般的には、
アートはなんだか敷居の高いものだと思われている。
特にキャンバスに描く油絵は、白い壁に掛けて飾る芸術作品
というステレオタイプの呪縛から逃れるのが困難だ。
「絵ってすごく高いお金で取引きされるけど、
その値段が妥当なものなのかいまだによくわからなくて、
だから以前は、そういうことにシュルンて巻き込まれたら、
ぴゅーって飛んでいっちゃいそうな気がしてた」
別府以降、度々一緒に活動している仲間たちは、
千依が感じていた不安を共有する存在でもあり、また、
新しい時代のアートをつくっていこうとする同志でもある。
彼らがまちへ出ようとするのは、
アートはもっと人の日常生活に入り込んでいくものだ
と信じているからだ。
「完成した作品だけがアートなのではなく、
つくるプロセスが大事なんだという意識が
どんどん強くなってきてる。人に見せて、人と関わって、
そのことで自分自身が変化していき、結果として
絵ができあがる。そして、それをちゃんと伝える」
絵描きがまちに来たとき、住人たちは何を思うだろうか。
絵を描くことを目的に関わりを求めてくる絵描きに対して、
何をしようと思うだろうか。絵描きだけではなく、
住人たちにも何か変化が起こると考えるのが、
たぶん、自然だ。