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連載

有田焼創業400年 
ARITA EPISODE2の胎動 前編 
技術の「伝承」と新しい「伝統」の
第二章にむけて

貝印 × colocal
これからの「つくる」
vol.041

posted:2015.2.17   from:佐賀県有田  genre:ものづくり

sponsored by 貝印

〈 この連載・企画は… 〉  プロダクトをつくる、場をつくる、伝統をつなぐシステムをつくる…。
今シーズン貝印 × colocalのチームが訪ねるのは、これからの時代の「つくる」を実践する人々や現場。
日本国内、あるいはときに海外の、作り手たちを訪ねていきます。

editor profile

Tetra Tanizaki
谷崎テトラ

たにざき・てとら●アースラジオ構成作家。音楽プロデューサー。ワールドシフトネットワークジャパン代表理事。環境・平和・社会貢献・フェアトレードなどをテーマにしたTV、ラジオ番組、出版を企画・構成するかたわら、新しい価値観(パラダイムシフト)や、持続可能な社会の転換(ワールドシフト)の 発信者&コーディネーターとして活動中。リオ+20など国際会議のNGO参加・運営・社会提言に関わるなど、持続可能な社会システムに関して深い知見を持つ。
http://www.kanatamusic.com/tetra/

photographer

Suzu(Fresco)

スズ●フォトグラファー/プロデューサー。2007年、サンフランシスコから東京に拠点を移す。写真、サウンド、グラフィック、と表現の場を選ばず、また国内外でプロジェクトごとにさまざまなチームを組むスタイルで、幅広く活動中。音楽アルバムの総合プロデュースや、Sony BRAVIAの新製品のビジュアルなどを手がけメディアも多岐に渡る。
http://fresco-style.com/blog/

「ARITA EPISODE1」から「ARITA EPISODE2」へ

佐賀県有田町を中心につくられる有田焼。
来年2016年に有田焼は創業400年を迎える。
一昨年末、創業400年に向けて「ARITA EPISODE2」プロジェクトが始動した。

その前に「ARITA EPISODE1」とは何か。
1616年に日本で初めて磁器を焼成して以来、400年にわたり、
ものづくりの進化と革新を続け、今に引き継がれる有田焼。
その400年の歴史を「EPISODE1」という。
まずは以下の動画をぜひご覧いただきたい。

有田焼プロモーション映像。悠久の歴史を刻んできた有田焼の匠の技と伝統の美が、有田のまち並みや花鳥風月とともに描かれている。

1616年に有田焼の歴史は始まる。
かつて秀吉の朝鮮出兵のときに朝鮮から連れてこられた陶工 李参平が
有田の泉山(いずみやま)にて、良質の磁石を発見することから始まった。
李参平は日本で初めて白磁を焼いた有田焼の祖と言われている。
良い磁器をつくるために必要なのは
「磁石」と「きれいな水」と「燃料となる赤松」。
そのすべてが有田にはあった。
その後、17世紀から18世紀にかけて
オランダ東インド会社(VOC)を通じてヨーロッパに輸出され、
ヨーロッパの王侯貴族たちに愛された。

有田焼は「柿右衛門様式」「古伊万里」「色鍋島」など
さまざまな様式の変遷を経て、
世界において日本の磁器を代表する代名詞となっていく。
明治に入ってからはパリ万博で最高賞を受賞するなど、
有田焼の黄金期を迎える。その後、輸出量は減少するが、
国内においては昭和の高度経済成長とともに需要が拡大。
平成3年に最盛期を迎えた。

そして来年、有田焼は創業400年を迎える。
これまでの400年を第一章「EPISODE1」として一度句読点をうち、
これからの100年を「EPISODE2」として、
新たな時代の始まりを告げるストーリーへと踏み出そうとしているのだ。

いま有田焼は産地としての危機を迎えている。
この20年、右肩さがりで需要は落ちている。
「有田焼の危機を乗り切って、有田焼の次の100年につなげていきたい」
「有田焼500年の礎を築きたい。新しい有田焼の物語を紡いでいきたい」
佐賀県の職員、有田焼窯元や商社、デザイナーたちの
そんな想いが集まり始まったのが「ARITA EPISODE2」だ。

泉山磁石場

泉山磁石場。1616年前に朝鮮の陶工、李参平によって良質の石が発見されたところから有田焼の歴史が始まる。400年間でここにあった山が有田焼の器に変わった。

有田焼を代表する窯元、柿右衛門窯

有田焼を代表する窯元、柿右衛門窯。

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有田焼創業400年事業推進グループ

佐賀県 有田焼創業400年事業推進グループリーダー志岐宣幸さんにお話をうかがった。
志岐さんは平成元年に有田焼と関わって以来、
これまで四半世紀にわたって有田焼の振興や産地再生支援事業に関わってきた。

「料亭、割烹、高級旅館などで愛用されてきた有田焼なんですが、
バブル以降、これほどかというほどに売り上げを落としていって、
いまやピーク時の6分の1。かつて従業員を100人規模で抱えていた窯元も
いまは片手ほど。いまやまち自体が疲弊している」
と、志岐さんは厳しい現状を説明する。

理由は高級食器の需要の低下やライフスタイルの変化、
中国をはじめとする安価な商品が入ってきたことなどいくつかの要因があるという。
志岐さんは、日本の経済成長とともに高級磁器として重用された最盛期の有田焼を
平成3年に経験してきた。
「20年前、250億だった産業」が現在「50億を切っている」という。
20年の間に失われた200億。それをどこまで取り戻せるかの勝負である。

「落ち込んだとはいえ、まだまだ国内では有数の磁器の産地。
日本磁器発祥の地として優れた技術を有し、まち並みも良い感じで残っている」と志岐さん。
「磨けばまだ光る。再生できるまち。この危機を乗り切って産地としての再生を果たしたい」
それが個人的な想いでもあるという。

志岐宣幸さん

佐賀県 有田焼創業400年事業推進グループリーダー 志岐宣幸さん。

「EPISODE 2」の3つの視点

「EPISODE 2」には3つの視点がある。
それは「イノベーション」「リブランディング」「クリエイターの育成」だという。
志岐さんに詳しくうかがった。

「まずは、これまでの既成概念にとらわれない新しい有田焼をつくる
“イノベーション”が必要です。
たとえば国際的な展示会ミラノサローネで発信され、
2013年『エル・デコ』のグランプリをとった新しい『1616 / Arita Japan』。
ここでは伝統的な文様をほどこさない、素材感をもった有田焼が登場した。
この商品の成功がひとつのヒントになりました。
有田焼はこれまで色絵や呉須(ごす)といった文様に特徴があったんですが、
あえてその路線ではないものが新しい有田焼として登場したんです」

世界のベスト・ デザイン賞を2013年に受賞

「1616 / Arita Japan」。25か国の『エル・デコ』が選出する世界のベスト・ デザイン賞を2013年に受賞した。撮影:Kenta Hasegawa

たしかにこれまでの有田焼のイメージと異なる色彩のものだ。
これはオランダ人デザイナー、ショルテン&バーイングスがデザインしたもの。
パステル調の色彩は伝統的な有田焼に使われていた絵の具を再解釈したものだという。

有田焼の「リブランディング」

そしてふたつ目に有田焼の「リブランディング」が必要と話す志岐さん。
「かつて伊万里港から輸出されたことから
有田焼はヨーロッパでは“IMARI”という名のほうが知られている。
これを海外において“ARITA”という名前で再評価を促したい」という。
先祖から脈々と受け継がれているものづくりと、
時代の変化に合わせた商品づくりを重ねあわせることで、
新たな「ARITA」のブランドイメージをつくりだしたいと考えている。

古伊万里の破片のかたちを再現した新しい有田焼

発掘された古伊万里の破片のかたちを再現した新しい有田焼。提供:佐賀県

クリエイターの育成

「イノベーション」や「リブランディング」で「商品」としての価値を高めるだけでなく、
それをつくりだすための「クリエイターの育成」も重要だ、と志岐さん。
3つめに「クリエイターの育成」の仕組みづくりをあげた。
いま有田では世界で求められる有田焼を生み出すため、
優れた職人やデザイナーなど、世界で活躍する人材が集う
「ものづくりの聖地」を目指している。

「有田というのは白壁の伝統的建造物群のまちでもあります。
その有田のまちに海外のクリエイターを呼び込んで、
ものづくりのプラットフォームをつくろうとかんがえているんですよ」
いま1616/ Arita Japanのデザイナー柳原照弘さんを
クリエイティブディレクターに迎え、商品開発ができる空間づくり、
その基盤づくりを行っている、という。
実際に昨年より海外のデザイナーに有田に短期滞在してもらい、
窯元と商品開発をする仕組みなどをつくった。
このあたりの事情については後編の柳原照弘さんの取材で
もうすこし詳しく掘り下げたい。

李荘窯業所の重箱

宇宙からみた地球をイメージした李荘窯業所の重箱。写真提供:李荘窯業所

「イノベーション」「リブランディング」「クリエイターの育成」
この3つの視点をもとに具体的にはどんな事業が動いているのだろうか。
「単に400周年記念イベントをやるというようなことではないんです」と志岐さん。
3つの視点をもとに、佐賀県有田焼創業 400 年事業体系として、
1)市場開拓、2)産業基盤整備、3)情報発信、
を行っているという。
イベント的な打ち上げ花火ではなく、
有田焼の産業の再生に向けた地に足をつけた市場開拓と基盤づくり。
現在20ほどのプロジェクトが進行中だ。
そのことが観光や文化とも連動し、佐賀ブランドの確立や
佐賀県のプレゼンスの向上にもつながると考えているという。

柿右衛門窯

柿右衛門窯。創業400年事業において、伝統技術の継承や焼き物文化の発信も重要な事業のひとつ。

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柿右衛門窯〜技術の「伝承」と新しい「伝統」の第二章

有田焼を代表する窯元が「柿右衛門」。
初代は乳白色(濁手)の地肌に赤色系の上絵を焼き付けるという
柿右衛門様式と呼ばれる磁器の作風を確立した。
2014年に第15代酒井田柿右衛門が襲名し、「伝承」しつつ
新しい「伝統」へと進んでいる。

有田焼創業400年事業において、
伝統技術の継承や焼き物文化の発信も重要な要素のひとつである。
伝統的な有田焼を伝える柿右衛門窯を訪ねた。

柿右衛門窯。この道、数十年の職人技。

柿右衛門窯の支配人石井孝実さんに「柿右衛門窯」を案内していただいた。

「日本で始めて磁器がつくられたのが1600年代のはじめ。それから約30年後、
1640年代に初代柿右衛門が、それまで白い白磁のものだったり、
青い染め付けだったものから、初めて「色絵」というものを完成させました」

柿右衛門様式の特徴は、余白を多く残している。
色絵であること、左右非対称の構図、そして白を際立たせる濁し手という手法を使う。
暖かい白、色絵が映える白である。
この濁手(にごしで)という手法は5代、6代の時代にいったん途絶えてしまったものを、
12代の柿右衛門が古文書を元に、長男(のちの13代)の協力を得て復活させたという。
13代のときに国の重要無形文化財に指定され、
14代はそれに加えて「色絵磁器」の個人の指定、いわゆる人間国宝となった。
そして現15代もこの技を継承している。

濁手 団栗文 花瓶(にごしで どんぐりもん かびん)

濁手 団栗文 花瓶(にごしで どんぐりもん かびん)15代 柿右衛門の作品。提供:柿右衛門窯

上絵付けの様子

柿右衛門窯。上絵付けの様子。

伝統と格式がある柿右衛門窯は、
有田焼創業400年の新しい動きをどのように見ているのだろうか。
「400年は節目の年。単発のイベントではなく、
ここから始まる流れになってほしい」と石井さん。
この業界全体がそれを機会に右肩あがりに盛り上がってもらいたい、と願っているという。
とはいえ、柿右衛門がいきなりコンテンポラリーなものをつくるわけにはいかない。
これからの柿右衛門は? と聞いてみた。

「“伝承”と“伝統”というふたつの言葉があります。
昔から伝わる技術は変わらず伝えなければならない。それが“伝承”。
しかしそのまま伝えるのではなく、
それに加えて時代エッセンスを加えて伝えることが、新しい“伝統”をつくることなんです」
「木に例えるならば、柿右衛門の幹がある。そこに枝を増やしていけばいい、
と当代15代も言っています。“伝承”することは窮屈と思っていたが、
実際はそうでない、奥が深いんです。そこに枝葉として時代の風を入れていけたら」と言う。
400年続く太い幹は揺るがすことなく、そこに時代の風をエッセンスとして入れる、
それが新たな「伝統」となる、という。
聞いてみるといま海外にはほとんど出していないという。
いまだからこそ海外ということはないのだろうか。
「もともと柿右衛門窯はヨーロッパ貿易で力をつけてきたんです。
原点に帰るということかもしれませんね」と石井さん。
今年3月3日より九州国立博物館で「柿右衛門展」が予定されている。
「受け継がれる技と美」と題し、古くは17世紀のものから、
現在の当主15代の作品にいたるまで代々の柿右衛門の作品をみることができる。

石井支配人

柿右衛門窯 石井支配人。

窯の中の様子

柿右衛門窯の窯の中の様子。

国際見本市『メゾン・エ・オブジェ』出展する「ARITA 400project」

フランス パリで開催される国際見本市『メゾン・エ・オブジェ』出展する「ARITA 400project」 撮影:高村佳園

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ARITA 400project(メゾン・エ・オブジェ出展)

現在、有田焼の99%は国内向けにつくられている。
残る1%が海外。その海外も現在は中国、韓国、台湾に向けてのものだ。
「市場開拓は主に海外市場、特にヨーロッパ向けに展開しています」と志岐さん。

昨年9月、工業デザイナー奥山清行さんをプロデューサーに迎え、
「ARITA 400project」はフランス パリで開催される
欧州最大級のインテリア・デザインの国際見本市「メゾン・エ・オブジェ」に出展した。
世界中の約3000社の家具、装飾品、テーブルウェアなどが並ぶ、
デザインのトレンドの中心的なショーである。
コンテンポラリーにデザインされた有田焼を「ARITA」として展開。
「リブランディング」戦略のひとつとして、
最新のトレンドや世界の富裕層のニーズに即した新しい有田焼を発信するのが目的だ。
第二章の始まりである。

『メゾン・エ・オブジェ』に出展

工業デザイナー奥山清行氏のプロデュースのもと、『メゾン・エ・オブジェ』に出展した。撮影:高村佳園

かつてヨーロッパに輸出され、ヨーロッパの王侯貴族たちに愛された有田焼。
おそらく日本の文化的価値が世界に認められた最初の輸出産業であったと言える。
海外へと展開を考える有田焼の事業者に声をかけると
ARITA PORCELAIN LAB、カマチ陶舗、キハラ、源右衛門窯、224 PORCELAIN、
畑萬陶苑、深川製磁、李荘窯業所の8社が集まった。
チーム「ARITA」ともいうべき、ドリームチームを結成した。
これまでの有田焼の色絵のイメージとは違うモノトーンのブース。
世界のハイクラスにむけて有田焼を売り込む営業を展開した。

「メゾン・エ・オブジェ」には、欧州における有田焼の
リブランディングと販路開拓を目指し、3年連続で出展する。
同時に欧州仕様の商品開発や現地での販売態勢も整えていくという。

モノトーンの有田焼ブースのARITA 400project

モノトーンの新しいイメージの有田焼ブースのARITA 400project。撮影:高村佳園

ARITA EPISODE2。
次週はオランダとの連携等により
世界のクリエイターが集うプラットフォームづくりを目指す「2016/project」や、
世界のトップシェフに向けた
新しい有田焼を創造する「プロユースプロジェクト」など、
具体的なプロジェクトのキーパーソンを訪ねます。

後編:有田焼創業400年 ARITA EPISODE2の胎動 後編 コラボレーションの未来型 はこちら

Information


map

有田焼創業400年事業総合ウェブサイト

http://arita-episode2.jp/

柿右衛門窯 公式サイト

http://kakiemon.co.jp/

(*今回特別の許可を得て撮影しました。一般には公開されていません。見学などはご遠慮ください。)

「柿右衛門 受け継がれる技と美」

九州国立博物館 4階文化交流展示室 関連第9室・中央

2015年3月3日(火)~5月10日(日)

http://www.kakiemon.co.jp/kakiemongama/latest-news/157-kakiemonkokuritsu201503.html

李荘窯業所

http://www.risogama.jp/

1616/arita japan

http://www.1616arita.jp/

コロカル商店でもお買い求めいただけます。

ショルテン&バーイングスの「カラーポーセリン」シリーズ

・カップ&ソーサー

https://ringbell.colocal.jp/products/detail.php?product_id=2009

・マグカップ

https://ringbell.colocal.jp/products/detail.php?product_id=2008

https://ringbell.colocal.jp/products/detail.php?product_id=2007

https://ringbell.colocal.jp/products/detail.php?product_id=2006

・エスプレッソカップ

https://ringbell.colocal.jp/products/detail.php?product_id=2005

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