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「OCICA」と「ぼっぽら食堂」

TOHOKU2020
vol.016

posted:2013.3.28   from:宮城県石巻市  genre:活性化と創生

〈 この連載・企画は… 〉  2011年3月11日の東日本大震災によって見舞われた東北地方の被害からの復興は、まだ時間を要します。
東北の人々の取り組みや、全国で起きている支援の動きを、コロカルでは長期にわたり、お伝えしていきます。

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SHOE PRESs

仙台を拠点に東北の観光ガイドブックや情報誌を制作している編集プロダクション。東日本大震災以降は、取材で何度も訪れた沿岸部の一助にと「つながるひろがる東北応援の輪プロジェクト」をスタートさせ、明るく元気な被災地支援を展開する。
http://www.shoepress.com/

牡鹿の人と土地を象徴した手仕事ブランド「OCICA」

三陸海岸の南から太平洋に向かい南東にせりだした牡鹿半島。
複雑なリアス式海岸に点在する約30の浜ごとに集落を形成するこの地域は、
漁業関連の仕事に従事していた多くの住民が、津波により家と仕事を失った。
現在、瓦礫の撤去はほぼ終わり、
ワカメや牡蠣などを扱う水産加工業の生産体制も徐々に回復へと向かっている。
しかし、「復旧」から「復興」へ向けた動きのなかで、
集団移転の問題や回復の進まない地域経済など、さまざまな問題が浮かびつつある。

そんな中で、地域住民のつながりを大切にした
「一般社団法人つむぎや」の活動が注目されている。
代表の友廣裕一さんが手掛けるふたつのプロジェクトを追った。

牡鹿半島には美しい漁港がいくつも点在する。

「OCICA」を制作する地元のお母さんたちと、右端が友廣裕一さん。週に2度の制作時間を楽しみにしている人も多い。

2年前——。
被災後間もない牡鹿へ支援のために入った友廣さんは、
瓦礫が山積し、援助が行き届かない苦しい状況のなかで工夫をこらし、
希望を失わず、前に向かって生きようとする牡鹿の人々に出会った。
この人たちのために自分ができることはないか——。
全国70か所にわたる日本の中山間地を旅しながら、地域の人々の生活に触れ、
その中から関係性をつむいできた自分だからできることをしたかった。

「一歩踏み出そうとする人たちと同じ方向を向いて、全力でサポートしていこう」
それが、“つむぎや”のはじまりだ。

牡鹿半島には鹿が多く生息している。
当然、鹿の角も豊富に手に入るが、まったく使われていなかった。
「なにかできないか」と友廣さんは、
素材調達、加工、デザインなどひとつひとつの課題をクリアし、
「OCICA」というアクセサリーブランドを生み出すプロジェクトを立ち上げた。
デザインには、「NOSIGNER」デザイナーの太刀川英輔さんの力を借り、
まず、鹿の角と漁網の補修糸を用いたネックレスができあがった。
2011年9月、プロジェクトは本格的に動き始めることになる。
仕事を失ったまま、仮設住宅に暮らす東浜地区(竹浜と牧浜)の女性に
わずかながらでも定期的な収入をもたらすことと、
ともすれば途絶えがちになる彼女たちの交流をうながし、
コミュニティとしての再生を図ることを目的としてスタート。
火・木曜の午前中、みんなで集まってアクセサリーをつくるという“しごと”。
これは、現在も続いている。

だが、素人が始めたその道のりは決して平たんではなかった。
そこは、知らないことは謙虚に教えを乞う姿勢で。
振り返れば、牧浜の女性たちを紹介してくれた牧浜区長の豊島富美志さん、
鹿の角を仲間から大量にかき集めて提供してくれた猟師の三浦信昭さん、
磨きから加工まで教えてくれた元捕鯨船の乗組員の安部勝四郎さん、
そして、NOSIGNERの太刀川さんなど、
縁ある多くの人々とつながり、協力を仰いだ結果がそこにあった。

おしゃべりしながらでも手は止まらない。楽しい手仕事は午前中いっぱい続く。

鹿の角の加工は難しい。お母さんたちは独自に練習を積み腕を磨く。

このように、OCICAは仮設住宅の集会所で製作されている。
仕事をする女性たちはみんな明るく、笑顔がたえない。
「今日、もらった野菜の中にガーベラが一輪あったの。部屋に飾ったら
パッと明るくなって、うれしくてねぇ」と阿部けい子さん。
「うちはお花はいいから、野菜をもっとちょうだいって言ったさ」
そう返す阿部美子さんの言葉に一同笑いが起こる。
美子さんは、小学生を筆頭に一女三男の子供を持つお母さん。
一番下の男の子は、震災後の4月に生まれた。
秋から本格的に始まる牡蠣の殻むきの仕事を心待ちにする一方、
色々な人と交流できる作業場での時間を生活の張り合いにしている。

チーム最年少の阿部美子さん。みんなに頼りにされている。

「ここがあったから立ち直ることができたんだよ」
そう語るのは、チーム最年長の豊島百合子さん。
孫の結婚式に出るため出かけた横浜で震災に遭遇。
やっとの思いで牡鹿に辿り着き百合子さんが目にしたのは、
津波で壊滅的な被害を受けた故郷牧浜の変わり果てた姿だった。
独り身の百合子さんは震災の深いショックから立ち直れず、
仮設住宅で昼夜ふさぎ込む日々が続いた。
そんな折、百合子さんはOCICAの初回ワークショップに出席する。
「最初は手さ、ぶるぶる震えたけど、やってくうちに気にならなくなって、
いつの間にか笑えるようになったのよ。みんなのおかげだよ」
以来、皆勤賞。収入につながる仕事の達成感もさることながら、
ここに来れば誰かがいるという安心感が大きかったという。

豊島百合子さん。よい商品をつくるために人知れず練習を重ねる努力家。

人々が共に“笑顔で過ごせる場”をつくることの大切さ。

ここでは30〜70代の幅広い年齢の女性が一堂に会してアクセサリーをつくる。
話をしながらも、手元を見つめる目は真剣そのもの。
少しでもよい商品にしようと、日々改善を加えながら作業にあたる。
テキパキと作業をこなして本日の製作分が終了すると、
OCICA恒例の “お茶っこ”の時間だ。
自宅で収穫した白菜の漬物や、茎わかめの煮物、ゆで卵など思い思いの品を持ち寄って、
お茶を飲みながら語らいの時間をもつ。
「この時間とみなさんの笑顔を大切にしたいんです。
いつの間にか作業の反省会に突入すると、どんどん白熱していって、
時の経つのを忘れて話しているときもありますけどね」と、友廣さんがほほ笑む。

OCICAは、海外にも販売店が広がり、順調に売り上げを伸ばしている。
購入する人たちは、ひとつひとつ形の違う商品に手づくりの温もりを感じ、
その背景にある「OCICA」の「人」や「物語」に魅力を感じるという。

だからこそ、短期的なプロジェクトで終わるのではなく、
OCICAを継続させる中でお母さんたちの求めるかたちを
日々追い求めていきたいと友廣さんは話す。

ひとつの夢の実現が、新たな夢へつながっていく。

このOCICAとはまた違う歩みをしてきた、もうひとつのプロジェクトがある。
2011年4月——。
被災で仕事を失った鮎川地区(鮎川浜、新山浜)の
牡鹿漁業協同組合女性部の女性たちと友廣さんは、
早急に、なにか手仕事がつくれないかと模索していた。
夫婦で漁業に携わる人の多くが、漁船や漁具を失っていた。
震災前、女性は夫の手伝いをしながら、
空いた時間には牡蠣むきなどのパートに出て小さな現金収入を得ていたが、
それらの加工施設も沿岸にあったため壊滅してしまった。
それに代わるものとして、何とか元手をかけず、
地域に眠る資源を使った手仕事ができないか——。

みんなで話し合う中で、
安住千枝さんから、漁師町のアイデンティティである
漁網の補修糸を使ったミサンガならつくれるという話が持ち上がった。
2日後には、流出しなかった糸を使ってミサンガをつくり始めたのだが、
それが美しく、メンバー一同これをつくっていきたいということになった。
ミサンガは切れることで願いを叶えるというが、漁網は丈夫で切れない。
メンバーたちは、「切れない絆」に強い願いを込めた。
その日から千枝さんを中心としたミサンガづくりの特訓が始まった。

カラフルな漁網でつくられたオリジナルのミサンガ(photo:Ayumi Ito)。

3か月後、集まったミサンガを香川で行われた野外フェスで
1本1000円で販売。1日で400本近くを売り切った。
ここでも鮎川地区の女性たちの「切れない絆」の「物語」は、
ミサンガ購入へと人々の心を動かしていた。
これらで得た売上については、半分を製作した人の収入に、
もう半分は次の事業を始める資金に使うべく貯蓄に回した。
完売という結果は、当初弱気だった鮎川地区の女性たちを勇気づけ、
ミサンガの編み方を自ら考え出したり、色合いに細やかな気を配るなど、
商品の品質をさらに向上させていった。
ロゴは、震災後ボランティアとして
何度も足を運んでいたデザイン事務所「あちらべ」が手掛けてくれた。

「みんなで集まる場所がほしいよね」
震災後、集まる度に千枝さんがふるまってくれた、
支援物資を使ったアレンジ料理が好評だった。
そば粉がケーキに、レトルトカレーがカレーパンに変わり、
食べたみんなが笑顔になった。
漁業が一部再開するようになってからは、市場には流通しないが、
自宅でおいしく食べられている魚を、ボランティアの人などにごちそうしていた。
「鮎川の人々が集まれる場所をつくりたい、
地元の美味しい食材を使った料理をふるまいたい——」
いつしか千枝さんを中心にした弁当屋を開くのが共通の夢となっていった。
これが「ぼっぽら食堂」が始まるきっかけとなる。
ミサンガをつくっていたメンバーでオープンを目指した。
つむぎやも店舗建設や設備にかかる費用の確保に奔走した。
設計については、「akimichi design」の柴秋路氏、
「DOOGS DESIGN」の中島保久氏が関わってくれた。

2012年7月。
弁当屋・ぼっぽら食堂は、多くの人の力添えによってオープンを果たした。
現在、牡鹿漁業協同組合女性部7名の有志で結成された「マーマメイド」が
運営しており、地元で人気の弁当屋に急成長中だ。
月曜から土曜まで営業し、日によっては100食近くを売り上げる。

午後、すべての業務が終わったあと、メンバーは休憩に入った。
訪れた友廣さんにまかないの山盛りチャーハンをさりげなく差しだす。
「弁当屋の次はやっぱり、海産物の加工品の店を出したいっちゃね」
つかの間の休憩時間、メンバーのおしゃべりに花が咲き、笑顔がこぼれる。
だが、時計の針が3時を指すとみんな一斉に立ちあがった。

「さあ、明日の仕込みをすっぺ!」

「マーマメイド」のリーダーを務める安住千枝さん。陽気で元気な浜のお母さん。

方言である「ぼっぽら」には、急に・準備なしにという意味合いがある。地元食材を使ったメニューでボリュームのある温かい弁当を500円で販売している。

本当の意味で被災地が「復興」を遂げるには、
地方都市の農林水産業の衰退、それを伴う過疎化、高齢化など、
震災で浮き彫りになった、日本が抱える多くの問題を解決していく必要がある。
地方の「人」、人々が集まる「場」、活用しきれていない「土地の素材」。
それらをつなげ、ひとりひとりの役割が果たせる仕事を創出する
つむぎやの地道な活動は、「復興」につながっていくであろう
日本の健全かつ新しい仕事のかたちを予感させる。
キーワードとなるのは、人々の“笑顔”だ——。

Information

一般社団法人つむぎや

http://www.facebook.com/TUMUGIYA

Information

OCICA

石巻市牡鹿半島のお母さんたちによる、手仕事のブランド。
http://www.ocica.jp/

Information


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ぼっぽら食堂

住所 宮城県石巻市鮎川浜北18-4
電話 080-2816-1389
浜のお母さんたちが作る日替わり弁当がワンコイン(500円)で食べられる。
http://mermamaid.com/

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