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石巻絵のパレード

TOHOKU2020
vol.008

posted:2012.9.26   from:宮城県石巻市  genre:活性化と創生

〈 この連載・企画は… 〉  2011年3月11日の東日本大震災によって見舞われた東北地方の被害からの復興は、まだ時間を要します。
東北の人々の取り組みや、全国で起きている支援の動きを、コロカルでは長期にわたり、お伝えしていきます。

editor's profile

Akiko Matsui

松井亜芸子

まついあきこ●エディター/ライター。愛知県名古屋市出身。東京・中央線沿線で黒猫とともに暮らす。食べること、飲むこと、話すこと、つくることが好きで生きている。尊敬する人物は母親とジョン・カサヴェテスと星新一。

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撮影:ただ(ゆかい)
イラスト:幸田千依

石巻のまちを絵が歩く!
横浜・寿町発「絵のパレード」が、東北へ。

あれから1年半あまり。
東北のために何ができるかと、ずっと考えてきたのは、アーティストだけではない。
おそらく日本中の人が、ひとりひとり、それぞれ自分のサイズで考えてきて、
導き出した答えが、良かったのか悪かったのか、正解だったのか間違いだったのか。
判断を下すことはまだ難しい。

震災以降、石巻で活動を始めたアーティストたちを応援してくれている商店街の花屋さん。突然の歩く絵たちの来訪に顔をほころばせて喜んでくれた。

ただひとつ、言えることは、
この日、石巻に集まったアーティストたちには、実感があったということだ。
自分が描いた絵を、見てほしい人が石巻にいる。だから、見せに行く。
その人の家の前まで、その人のお店の前まで、キャンバスを持って。
「こんにちはー! お久しぶりです!」
「絵のパレードを、やっています!!」
突然の訪問に、驚いて出てきたその人の顔は、すぐに笑顔でくしゃくしゃになった。
楽器隊の子どもたちや近所のおばさんたちも引き連れて、意気揚々と行進は続く。
(ああ、みんな喜んでくれている。良かったー)と、アーティストたちはうれしくなる。
たしかな実感だ。これだけは、間違いない。

甚大な津波の被害に見舞われ、まるで防波堤のようにがれきがうず高く積まれた石巻の海岸沿いのエリア。「未来へ号」に乗ってやってきたアーティストたちがひまわりの種を植えていた。

2012年8月10日の青空の下。
人も家も消え去った灰色の大地は、月日を経て、生い茂る緑の野原になっていた。
そこにポツンと停まっている黄色いバス。
アーティストと絵を載せて東京からやってきた「未来へ号」だ。

「絵のパレード」の発案者・幸田千依。プールの水面と人とをテーマに絵を描き続けている。寿町でのパレードの後、台湾での滞在制作に臨み、現地でもパレードを行って手ごたえをつかんだ。

「絵のパレード」の発案者は、絵描き・幸田千依。
今年の正月に横浜のドヤ街・寿町で初めてパレードをして以来、
彼女にはたしかな実感があった。(Area Magazine #3
「ギャラリーや美術館へわざわざ足を運んで観に来てもらうのだけがアート表現じゃない。
アーティストが自分の手で絵を運んでまちを歩けば、思いもよらないことが起こる。
もっともっと、すごい出会いが待っている。いろんな場所で、絵のパレードをやりたい!!」

その思いに賛同したのが、東京・恵比寿で7月に開催された
『一枚の絵の力』展(アートセンター「island JAPAN」主催)の出品アーティストたち。
そして、「未来へ号」で全国をめぐる未来美術家・遠藤一郎だった。

どんな時代でも、どんな状況でも、
一枚の絵の力には伝える力があり、人の心を動かす力がある――。
『一枚の絵の力』展に込められた思いは、彼らの信じる道でもある。

石巻のまちとかかわるアーティストたちのあゆみとこれから。

今回のパレードには7枚の絵が出品された。地元の子どもたちも音楽隊として参加。住宅街や商店街をにぎやかに練り歩いた。

昨年の4月中旬、ひとりの女の子が石巻のまちとかかわり始めた。
彼女の名は“さっこ”といって、まちでは今やよく知られた存在である。
アーティストたちの間では、「つるの湯祭りのさっこ」としても有名だ。

当初、彼女がひとりで石巻へ来て始めたのは、
個人宅や商店街の泥除けや掃除、支援物資の整理配布、避難所や仮設住宅での手伝いなど。
あのころ、このまちで必要とされていたことに、何でも次々に取り組むことだった。

あのころ、多くのアーティストが「自分にできることは何か」と思い悩んで、
そのうち幾人かがさっこに導かれて石巻へやってきて、同じように取り組んだ。
幸田千依も、そのひとりである。
たくさんの出会いと、たくさんの体験が重なり、たくさんの思いが連なって、
さっこを中心とするアーティストたちは、
まちの人々といろいろなことを共有できるようになっていった。

といって、アーティストたちはまちの住人になったわけではなく、
思い思いに来ては出て行き、戻って来てもまた出て行くものなのだけど、
「またね!」と言い合って別れるとき、
その気持ちにウソはないとお互いに思い合える関係ができていったということだ。

震災の影響で休業を余儀なくされたが、今年の正月に多くの人々の後押しを得て再開した「つるの湯」。壁の大きな富士山の絵は、明るい前途を祈るアーティストたちによって描かれた。

たとえば、昨年末に開催された「つるの湯祭り」は、
まちの人々と、外からやってきたアーティストたちが、
それぞれさまざまな思いを交わしながらつくりあげたひとつの大きな出来事だった。
津波の被害に遭った銭湯「つるの湯」を再開させようと奮闘する人たち、
その晴れの日を盛大に祝おうと集まってくる人たち、
そして、期待と願望に満ちたみんなのパワーを受け止める一方で、
実は、少なからず不安も抱えていたおかみさんとご主人。
それでも、2012年元旦に初風呂は実現し、今ではまちで唯一の銭湯として、
訪れる人すべての心と体を温めている。

今回の絵のパレードの行進ルートの中でも、「つるの湯」はハイライトのひとつだった。
「久しぶりに会ったおかみさんは、笑顔だった。それがとてもうれしい。
〈つるの湯祭り〉やって良かった、がんばって再開まで応援できて、
ホントに良かったってみんなで話しました」と幸田千依。

——アーティストが来たら、楽しいことが起こる。
――石巻へ行けば、あの人たちにまた会える。
この関係が、まち全体に広がればもっといい。
今の石巻の日常は、昔の日常には絶対に戻らないけれど、
楽しいことを少しずつ増やしていくための力が、一枚の絵にはある。
そう実感する人たちが、もっともっと増えていけばいい。

パレードの後、
絵たちは石巻駅前商店街にある「日和アートセンター」のギャラリーの壁を飾った。
その後もアーティストたちがさまざまな展示やイベント活動を催し続けている。

老舗のフランス料理店のご夫婦にも絵を披露。パレードは住宅街を回り、細い路地を抜け、商店街を闊歩し、石巻の中心街をくまなく歩いて2時間以上も続いた。

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