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滝川 Part2
仕組みを利用して、
遊びながら学んできた。

山崎亮 ローカルデザイン・スタディ
vol.028

posted:2012.8.16   from:北海道滝川市  genre:活性化と創生

〈 この連載・企画は… 〉  コミュニティデザイナー・山崎亮が地方の暮らしを豊かにする「場」と「ひと」を訪ね、
ローカルデザインのリアルを考えます。

writer profile

Maki Takahashi

高橋マキ

たかはし・まき●京都在住。書店に並ぶあらゆる雑誌で京都特集記事の執筆、時にコーディネイトやスタイリングを担当。古い町家でむかしながらの日本および京都の暮らしを実践しつつ、「まちを編集する」という観点から、まちとひとをゆるやかに安心につなぐことをライフワークにしている。NPO法人京都カラスマ大学学長。著書に『ミソジの京都』『読んで歩く「とっておき」京都』。
http://makitakahashi.seesaa.net/

credit

撮影:山口徹花

生まれ育った北海道滝川市にて、デザインとアートによるまちの再生にたずさわる
彫刻家・五十嵐威暢さんと山崎さんの対談を、4回にわたってお届けします。

太郎吉蔵会議のルーツは、小学生の作戦会議。

山崎

2009年の太郎吉蔵デザイン会議で初めてお会いして、
その後のメールや手紙のやりとりを通じて、
「なんておもしろい人生を歩んでる方なんだろう!」と、
五十嵐さんに魅了されたんです。ランドスケープという共通点もあって、
すぐにまたお会いしたくなり、アトリエまでお邪魔することに……。

五十嵐

うん。三浦半島まではるばるね。

山崎

そのとき制作されていたのも、このモチーフだったような記憶があるのですが?

五十嵐

そうだね。まったく同じものではないんですが、
日本に帰ってきてアトリエを構えてからつくり始めたシリーズなんです。
この夏から「かぜのび」のために、巨大なのを作る予定です。

山崎

「かぜのび」……たしか、小学校跡ですよね。

五十嵐

ええ。石狩川を渡って、滝川市の隣町、新十津川町にある、旧吉野小学校です。
3年前の春に廃校になり、いまはぼくのアトリエとギャラリーを中心とした
彫刻体験交流施設として運営されています。

山崎

小学生のころの五十嵐さんは、どんな子どもだったんですか?

五十嵐

この小さな田舎まちに生まれて、オモチャもろくにない時代なので、
「どういう遊びをするか」を仲間と相談するところから、遊びが始まったんです。
その作戦会議をした場所のひとつが、太郎吉蔵だった。

山崎

そうだったんですか! なるほど。

五十嵐

当時は、造り酒屋から食料品問屋になっていて、
塩やなにかが積んである倉庫だったんですが、両親はじめ、
まわりのおとなたちも、ぼくたちが自由に遊ぶのを許してくれたんですね。

山崎

それは素晴らしい。太郎吉蔵会議のルーツともいえる作戦会議ですね。

五十嵐

そういうことです(笑)。

館内には、五十嵐さんの作品がゆったりと展示されている

103年の歴史に幕を下ろした小学校をリノベート。館内には、五十嵐さんの作品がゆったりと展示されている。

カフェスペース

教室も、ゆったりとした時間を過ごせるカフェスペースに。窓から見える田園風景や山並みが、ゆったり、のびのびすることを教えてくれる。

巨大な作品制作がいよいよ始まる体育館

巨大な作品制作がいよいよ始まる体育館。おふたりは、たまたま取材と同じ時間に「かぜのび」にいらした、吉野小学校の卒業生だというご兄弟。奈良の十津川村からこのまちに入植したというご両親のはなしは、おそらく明治時代のこと。「ほら、裏山のあの木は、わたしが植えたんですよ」と懐かしそうに指差す姿があまりにほほえましくて、写真を撮らせていただいた。

いくたびも、リセットを重ねてきた人生について。

五十嵐

作戦を練って、道具をつくって、遊ぶ。
人形芝居なんかは、ストーリーを考えて、人形だけでなく芝居小屋までつくって、
ちらしやポスターもつくって配る。こうなるともう、総合芸術ですよ(笑)。

山崎

スゴイ小学生ですね!(笑)

五十嵐

おとなを巻き込むと、さらに面白くてね。
たとえば防火週間にポスターをつくったりすると、
おとなが喜んで新聞社に電話してくれて、翌日の朝刊にぼくらの写真が載るわけ。
得意満面、してやったり(笑)。だから、いまも、デザイナー時代も、
やってることは小学校時代の延長で、ぼくにとっては「普通のこと」なんです。

山崎

仕組みを利用して、遊びながら学んでいたわけですね。

五十嵐

でも、家庭の事情で中学からは東京に引っ越して、カルチャーショックを受ける。
都会の田舎者として、すっかりおとなしく暮らすようになってしまうんです。

山崎

子どもの世界とはいえ、全然違いますものね。

五十嵐

中学では、母の期待に応えようと人生でいちばん勉強して、だから高校は
進学校に入れてしまうんだけど、入学してみたら、まわりは天才ばかり。
そこで、じぶんが勉強より美術に長けていることに気づいて、
別の高校にまた入り直して、同時に夜間のデザイン学校にも通い始めるわけ。

山崎

そうやって、多摩美へ?

五十嵐

そうです。

山崎

その後の70年代半ば〜80年代のデザイナーとしての五十嵐さんの活躍は、
ここで改めて言うまでもなく、世界的によく知られています。

五十嵐

日本の経済成長に、デザインがぴったりと寄り添った時代でしたからね。
仕事がありすぎて、「50歳になったらもうやめよう」って思ってましたよね。

山崎

そういうところが五十嵐さんらしいんですよね。
個人的には、途中何度か人生をリセットされているところがとても興味深いです。

五十嵐

なんだかね(笑)。
それで実際、50歳になったときには、プロダクトか、彫刻か……と。

山崎

アーティストはクライアントがいないし、デザイナーと違って、
じぶんがつくりたいものを素直につくれるというのが魅力的ですよね。

五十嵐

デザインの世界って、非常に論理的でしょう。
つまり、キャリアが長くなると、自然といろんなことが予測できてしまう。
じぶんのカテゴリーのなかに収まってしまうようになるから、
そうなると、面白くない。

山崎

うーん、いまのぼくが、ちょうどそんな状況かもしれませんね。
とてもよくわかります。

五十嵐

そうでしょう。意外性欠如といおうか(笑)。
出会いもしごとも、想像もしない展開をするから、面白いんだよ。

(……to be continued!)

2011年にできた「かぜのび」

北海道に点在する五十嵐さんの作品を紹介するヴァーチャルな美術館「風の美術館」の拠点となるのが、2011年にできた「かぜのび」。

対談の様子

第5回太郎吉蔵デザイン会議当日の朝。対談は「hotel miura kaen」内の「レストラン イル・チエロ」にて。インテリアとして、五十嵐さんの作品『こもれび』が印象的に使われている。

information

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かぜのび

住所:北海道樺都郡新十津川町字吉野100-4

開館時間:10:00 ~ 17:00(5月~10月のみ開館。月曜休館、祝日の場合は翌日)

Web:http://www.kazenobi.org/

information

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TAKENOBU IGARASHI 
五十嵐威暢

1944年北海道滝川市生まれ、多摩美術大学卒業、UCLA大学院修士課程修了。1970年イガラシステュディオを設立。国内外でグラフィック・プロダクト デザイナーとして活動し、その作品はニューヨーク近代美術館(MOMA)をはじめ世界各国の美術館に永久保存されている。’94年より米国を拠点に彫刻制作に専念し’04年に札幌駅の時計デザイン、札幌駅JRタワー展望室の彫刻「山河風光」などを手掛け、帰国を決意。現在、故郷滝川市にて、デザイン/アートで町を再生するプロジェクト「NPOアートチャレンジ滝川」を設立し、「五十嵐アート塾」を主宰する。2011年4月から多摩美術大学学長に就任。

Web:http://www.igarashistudio.com/

profile

RYO YAMAZAKI 
山崎 亮

1973年愛知県生まれ。大阪府立大学大学院地域生態工学専攻修了後、SEN環境計画室勤務を経て2005年〈studio-L〉設立。地域の課題を地域の住民が解決するためのコミュニティデザインに携わる。まちづくりワークショップ、住民参加型の総合計画づくり、建築やランドスケープのデザイン、パークマネジメントなど。〈ホヅプロ工房〉でSDレビュー、〈マルヤガーデンズ〉でグッドデザイン賞受賞。著書に『コミュニティデザイン』。

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