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富士山の裾野から各地へ。
文化財の茅葺屋根を支える
御殿場産の茅

Local Action
vol.081

posted:2016.7.8   from:静岡県御殿場市  genre:活性化と創生

〈 この連載・企画は… 〉  ひとつのまちの、ささやかな動きかもしれないけれど、創造性や楽しさに富んだ、
注目したい試みがあります。コロカルが見つけた、新しいローカルアクションのかたち。

writer profile

Rieko Nagai

永井理恵子

ながい・りえこ●静岡県御殿場市出身。食いしん坊で呑んべえ。15年の東京暮らしを経て知ったのは、生まれ育った静岡県と御殿場市が案外ステキなところだったということ! 現在、その良さを発信すべく鋭意活動中。

富士山の裾野で育つ、良質な茅

世界文化遺産として知られる、飛騨高山の白川郷。
ここに建つ古民家の茅葺屋根に使われている茅が、
静岡県の御殿場産だということを知っている人がどれだけいるだろうか。
富士山の裾野に広がる広大な原野から
茅葺き屋根の材料である茅が、各地に出荷されている。

茅を刈るのは、御殿場市の板妻地区に長く暮らす人々。
その刈り手のひとりである長田友和(おさだともかず)さんが代表を務める
〈富士勇和産業〉がその茅を取りまとめて出荷している。
白川郷のほか、関東近県や京都などにある文化財の茅葺屋根にも使われているそうだ。
また、富士勇和産業では、関東近県にある茅葺屋根の葺き替えもしている。

御殿場産の茅を刈る、若手のふたり。長田友和さん(左)と宮田裕一さん。

御殿場生まれ・御殿場育ちの長田さんは、千葉県にある大学を卒業後、
市内にある半導体関連の会社に就職するため帰郷。
茅刈りを家業とする実家に暮らしながら、会社へ通っていた。
「会社員だった親父が定年になったら親父が継ぐ。
同じように、自分が定年になった頃、まだ茅刈りが
仕事として成り立っていたら継ごうかなと思ってたんです」

社会人になって数年経った頃、ずっと茅刈りを続けていた祖父が80歳を超え、
体力的にしんどそうに見えた。
「だからちょっと手伝ってみようと思って、会社勤めをしながら茅刈りを始めたんです」
週末だけの茅刈りだったが、回を重ねるごとに気持ちが固まって、
家業を継ぐことを決意。26歳のときに会社を辞めて、それから13年経つそうだ。

「会社を辞めたばっかりの頃は、体がもっと細かったんです。
体ができてないから、ほかの人より仕事が遅い。刈り手は近所のおじいさんばかり。
『どけぇ、案山子か!』なんて、結構怒鳴られました(苦笑)。
みんな近所だから、自分がそれこそ赤ん坊だった頃から知ってるわけじゃないですか。
それにうちのじいさんがボスだったから
もっと丁寧に扱ってくれるのかと思っていましたけど、
そんなことはまったくなく(笑)。悪気がないのはわかっていても、
最初は、仕事だからこそ分け隔てなく接してくれているのを理解できなくて、
イライラすることもありました」
それでも辞めなかったのは、自分が跡を継がなかったら
茅刈りを生業とする地元の人が困る、材料がないと茅葺きの職人さんたちが困る、
そんな気持ちが強かったからだ。

富士勇和産業の敷地に一歩入ると真っ先に目に飛び込んでくるのが、巨大な倉庫。この中には、刈り取ったあと乾燥させ、出荷を待つ茅がぎっしりと積まれている。

乾燥させた茅はトラックに乗せて倉庫へ運び込む。

「家は、木でもなんでも、その土地のものを使って建てるのが
気候風土に合っていて一番いい。茅がとれる御殿場にも、
かつて、茅葺の家がたくさんあったんですよ」と長田さんは言う。

ひと束の重さはおよそ5キロ。一軒の屋根を噴くのに必要な茅はおよそ3000束だそう。

「御殿場の茅刈りは、江戸時代から続いていると言われている生業。
1980年代頃、ゴルフ場が買ってくれるからと芝の栽培に転向する農家が多いなか、
僕の祖父が『地元から茅はなくならない』『昔からやってることだから』と
茅刈りを続けていました。でも、茅葺の家は減っていく一方。
これでは衰退していってしまうと考えて、販路を探してあちこち歩いたんです」

御殿場に限らず、茅葺の建物がある場所はもともと茅がとれていた場所だ。
長田さんの祖父が販路を探し始めた頃は、地場産の茅を使うのが当たり前だった時代。
だから、なかなか買ってもらえず苦労したようだ。

「茅が生える場所を“茅場”と呼びます。
茅場には毎年火を入れてメンテナンスしないと雑木が生えてくる。
10年くらい経てば木はそこそこ大きくなって、
気づいたら茅を刈るのが難しい状態になっている。
こうして、茅場がどんどん衰退していったんです」
そういう理由で、徐々に注文が入るようになった。
現在では、東京や神奈川、新潟や群馬など東日本のほか、
京都などにある国の重要文化財にも、御殿場産の茅が使われているそうだ。

2〜3月の風がなく晴れの日の土日を選んで、野焼きを行う。

山を焼いて出る灰は肥料になるし、一緒に蛾の幼虫やダニなどの害虫を焼き払うので、
刈った茅に害虫の卵がついていることがない。
だから、屋根材として、安心して使うことができるのだ。

野焼きの日、風向きによっては、御殿場の民家にも黒い灰が舞い落ちることも。

黒く燃えていないところは、周辺の植林地や道路への延焼を防ぐための防火帯として、
幅20メートルほど、草刈りをしてある。富士山の太郎坊から板妻方面まで、
およそ24〜25キロほどの距離の草刈りを長田さんが秋のうちに実施する。
東富士入会組合原里支部作業班の班長を務める長田さんにとって、
これも大事な仕事のひとつだ。

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なぜ御殿場の茅が重宝される?

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冷涼で多湿。御殿場の気候がいい茅を育てる

御殿場の茅が重宝されているのには、理由がある。
それは、茅の質がよく、まとまった数量を調達できることだ。
質のいい茅とは、真っ直ぐで同じ長さであること。
そういう茅で葺いた屋根は、目がしっかりと詰まっているけれど、
茅の油分で弾じかれた雨水が滞留したり染み込んだりすることなく流れ落ちるから、
茅葺き屋根が長持ちするという。

御殿場市は、富士山や箱根、愛鷹山と、三方を山に囲まれた盆地である。
駿河湾から吹き上がる湿った暖気が、愛鷹山に沿って富士山の正面へと向かい、
冷えながら箱根連山沿いへと吹き回るうちに飽和状態になって雨を降らす。
そして同時に霧も生み出す。
富士山の麓に広がる茅場の標高は、国道469号線沿いで550メートルほど。
なかには1000メートルを超すところもあり、夏でも比較的涼しい。
冷涼で多湿な御殿場独特の気候が、良質な茅を育てるのに欠かせないのだ。

収穫した茅の断面。芯がぎゅっと詰まっていてしっかりしているのがわかる。

「昔はよく霧が出て、1日中しとしとと雨が降り続ける日が多かった。
この気候のなかで育つ茅は、芯がしっかりして、天に向かって真っ直ぐに伸びる。
ところが最近は、梅雨時でも肌寒いということはあまりなく、
春が終わると急に気温が高くなって暑いですよね。
そして、集中豪雨で、一気にドカッと雨がふる。
急に暑くなってドカッと雨が降ると、茅の芯が弱くなってしまうんです。
御殿場で茅といえばススキのことなんですが、
ススキは穂と葉が上のほうについてますよね。
茅の芯が弱いと、穂と葉の重さで弓なりに曲がったりS字に曲がったり、
クセがついちゃう。そうすると商品価値がなくなるんです」

さらに茅場には、ススキだけが生えているわけではない。
「ススキと一緒に、ガニガヤ、オニガヤという
ススキにそっくりな植物も生えているんです。
特にオニガヤは、素人が見てもススキとの違いがわからないほどそっくり。
でも、茅葺屋根に使えるのはススキだけ。
ちゃんと見分けて刈らなくちゃいけないんです」

刈り手は、そこにある植物の種類を瞬時に判断し、
真っ直ぐに生える茅だけを選んで刈っていかねばならないのだ。
「収穫量は半分程度なのに、労力は倍以上(苦笑)。
以前は、田んぼ一反くらいの面積で50束ほど刈れてたのが、
ここ数年、10束あるかないかということも少なくない。
茅刈りの期間を終える前に『今年はよくないからやめる』という
刈り手も少なくないですね」

背の高いススキをかき分けながら、茅場に入っていく長田さん。

ススキだけを選んで抱えたら、鎌で刈る。ザクザクと小気味いい音がする。これを数回繰り返して束にするのだ。

富士山からの吹き下ろしの風に吹かれ、少し傾くようにして生える。
「愛鷹山に向かって進むようにすると、傾いた茅刈るのにちょうどいいんです」

ある程度の量になったら、紐で束ねる。茅を束ねるのに使うのは、長田さんたちが開発した機械。これを使えば、ひとりでもしっかりと茅を束ねることができる。

まっすぐに伸びるススキを刈って、束ねる。
非常に容易な作業のように思えるが、
実際には、まっすぐなススキだけを選別して鎌で刈って長さを揃えて束ねていくという、
高い技術と経験が求められる仕事なのだとわかる。
さらに最近では、良質な茅の量が減っている。
だからこそ、刈り手の高い技術がより求められる。

ところが、その刈り手の人材不足も深刻なのだ。
現在、30名ほどいる刈り手のうち、半数が60代以上。
高齢化の波はここにも押し寄せる。
「体力的にしんどいという理由で、経験豊富なベテランが辞めていってしまう。
そこをなんとか補充できないかといろいろな取り組みをしているのですが……
なかなか難しいですね」と長田さん。

しかも、茅を刈るのは12〜2月の冬期限定。
機械で刈ることはできないので、鎌を使いすべて手作業で刈っていく。
茅が群生する“茅場”は斜面が多いため足場が悪い。
そんな場所で、中腰の姿勢で茅を刈り続ける作業は相当な重労働だ。
冬の間だけの仕事で重労働。10人集めても続くのはひとりかふたり。
若手がなかなか育たない。

数年前まで全国シェアの5割以上を誇っていた御殿場産の茅。
温暖化で質のいい茅が減っていることと、刈り手が減っていることが原因で、
いま現在のシェアは3割ほどだという。

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茅の組合で野菜を販売?

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茅を刈るのに必要な「入会権」

御殿場の茅場は、市内から富士サファリパークへと続く
国道469号線の両側に広がる原野だ。
実はここは東富士演習場で、平日には、御殿場市にある3つの駐屯地と、
御殿場市にあるCAMP FUJIに駐留する米軍による演習が行われる。

左に見える道路が、国道469号線。正面に見えるのは、愛鷹山連峰だ。

東富士演習場は、御殿場市、裾野市、駿東郡小山町にまたがるように広がる。
東富士演習場地域農民再建連盟著『東富士演習場概説』によると、
市内に3つある自衛隊駐屯地と演習地を合わせるとおよそ8680ヘクタールあり、
このうち民・公有地が約5340ヘクタール、国有地が約3640ヘクタールである。
御殿場市の総面積の25%ほどが富士山と箱根外輪山であることを考えると、
生活圏である平坦部のおよそ半分を東富士演習場が占めていることになる。

明治時代以前、この原野では、地元住民が耕作や採草、植栽などを盛んに行っていた。
明治45年に日本帝国陸軍と地元町村との間で富士裾野演習場使用協定が締結され、
その後、第一次、第二次世界大戦を経て、昭和34年6月24日、
第一次東富士演習場使用協定が締結されると同時に、入会協定と水利協定が締結された。

広辞苑によると「入会(いりあい)」とは
「一定地域の住民が特定の権利を持って一定の範囲の森林・原野に入り、
木材・薪炭・まぐさ等を採取するなど共同利用すること」とある。
つまり、この土地=入会地(いちあいち)=東富士演習場で、
山野草を採ったり茅を刈ったり木を伐採するには、入会権が必要なのだ。
入会権のない人は、茅を刈ることができない。
また、入会権を持つ人が生業のために演習場へ立ち入りができるのは、
演習のない土曜の午後と日曜日だけで、年間50日程度。
限られた日数のなかで、注文を受けた分だけは必ず良質な茅を刈らなければならない。

「板妻に入会権持っている人は多くいるけれど、
新たに茅刈りをやろうという人はいないんです。
ところが、よその人のなかには、茅刈りに興味を持ってきてくれる人がいるんです。
でも、あなたは入会権持ってないからダメです、
茅刈れないですとなっちゃうんですよね」

やる気があって来てくれる人がいるのなら、何とかしたい。
大きな地元組織をつくればなんとかなるかもしれない。
そう考え、演習場の国有地にあたる土地の管理を一手に担い、
入会権を守るためにある組織〈入会組合〉などに掛け合い、
2012年に〈富士山御殿場かやの里企業組合〉を設立した。
設立にこぎつけるまで3年ほどかかったそうだ。
さらに、組合の直売所までつくってしまった。

「かやの里企業組合の組合員になれば、茅を刈る権利を発行できるようにしたんです。
こうして集まってくれた人の多くが、農業をやっている人でした。
大きな畑で野菜をつくっている人は、農協の直売所へ持って行って売っています。
でも、小さな畑でつくっている人たちは、自分たちで食べる分以外は
近所や親戚に配って、それでも余ればダメになっちゃうから捨てるしかない。
それじゃもったいないないですよね。
それで、売店を設けて売ればいいと思いついたんです。茅刈りで収入があるのは冬だけ。
野菜の売り上げがほかの季節の収入になれば、張り合いになりますよね」

茅場へ向かう国道469号沿いにある〈かやの里〉の売店。

売店には、旬の採れたて野菜がたくさん売られている。
夏の土日には、早い時間に完売してしまうこともある人気の直売所だ。
「当初は、みんながつくっている野菜が同じものばかりだったり、
生産量が足りなかったり、いろいろな問題がありました。
でも最近では、いままでよりいろんな種類の野菜をつくるようになりました。
なかには、無農薬で手間をかけて野菜をつくっている70歳過ぎのおじいさんもいます。
板妻のおばちゃんたちがつくる民芸品を置いたりもしてるんですよ」

お客さんは、定期的にやって来る観光バスの乗客のほか、
裾野市十里木にある別荘地へやってくる人、富士山麓へやってくる人など、さまざま。
「餅がよく売れるんです。草餅はヨモギの量が多いからおいしいって」

売店に併設されているトイレも茅葺屋根。

かやの里企業組合の活動が、御殿場のおじいちゃん、おばあちゃんたちの
心の支えとなり、心の拠り所になっているのがよくわかる。
「つくる楽しみができたせいか、うちの年寄りはみ〜んな達者。
こっちが元気をもらうくらいです」と長田さんは笑顔。

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茅を使った新たな商品とは?

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それはまるで“温故知新”。茅を使った新たな建材を開発

生産量と刈り手の減少という問題は抱えているものの、
文化財などに使用されているため注文は多く、産業としては順調な御殿場の茅刈り。
とはいえ、現行の建築基準法では茅葺き屋根の家を新築することはできないのだから、
茅の未来はどうなるかわからない。
「何かに代用できないかと考えたとき、琵琶湖のヨシがヒントになりました」

琵琶湖の浄化に役立つため、株分けして植えられているというヨシ。
すだれや葦簀(よしず)として有名で、葦簀は天井などの建材に使われることもある。
「以前、ヨシをボード状に加工したものを
壁材にしている建物を見たことがあって、それだ! と」
茅を使った新たな壁材をつくることを思いつき、
つくってくれそうな会社をインターネットで探した。
「岐阜県にある自然素材のみで木材ボードなどをつくっている木工所を見つけたんです。
すぐに連絡して、メールでやりとりして。実際に茅を送って、
細かく刻んだり、圧縮具合などを打ち合わせて、製作してもらったんです」

これが建材に使われている茅。さまざまな大きさに刻まれている。

茅を乾燥させて余分なゴミをとって加工した茅を、
天然由来の糊を使って板に加熱圧着して、サンダーという機械で表面を削る。
こんな方法で〈茅ボード〉は完成した。

富士勇和産業の事務所の壁には、茅ボードの試作品が飾られている。

「これ1枚つくるのに6000円かかるんです。ここから茅を送って、
つくってもらって送り返してもらうとさらに輸送費がかかるので、
原材料費に輸送費をプラスすると、1枚1万円程度。
つくってみたものの意外と金額が高いんです。
大量につくればコストは下がりますけれど……。
裾野にあるお蕎麦屋さん〈恋路亭〉の奥にあるバス会社〈すそのバス〉の
事務所のテーブルに、茅ボードを使ってもらってます。
ボードの上にアクリル板を乗せて使っているんですけど、ものすごくかっこいい。
壁材やインテリアとして、茅をもっと生かしていければいんですけれど」

これが茅ボードを使ったテーブル。確かにかっこいい。

文化財がある限り、需要が途絶えることはない。
でも、地元の産業として、いつまでも続けていくためにはどうしたらいいのだろう……。
こんな風に、昔から続く地域の産業を大切に思い、
新たなことに取り組んでいる長田さん。
茅の刈り手のなかで最も若い長田さんが、
地元のおじいさん、おばあさんたちに愛されているのは、
この地域に根づく産業への強い気持ちがあるからだろう。

「御殿場の茅場は本州最大。しかも富士山がある茅場は、ほかにはないですよね。
それに、板妻には、高い技術を持つ人がたくさんいる。
そういう意味ではとても恵まれていると思うんです。
産業としてある程度成り立たせるという目的はもちろんありますが、
自分のなかで、地域を大事にしたいし、よその人たちに
板妻のこと、御殿場のことをもっと知ってほしいという思いがある。
そのために、御殿場の茅をもっと知ってもらうための活動を、
いま以上にしていきたいと考えているんです」

information

map

富士山御殿場かやの里企業組合 農産物直売所

住所:静岡県御殿場市板妻719-4

TEL:0550-88-0133

http://kayanosato.org/index.php?FrontPage

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